第11話 依頼拒否
探偵事務所へと帰宅し、十数分が経過した頃。
「それで……」
事務所一階、来客用の応接室にて。
手触り、座り心地、共に良好な赤いソファに腰を落ち着けた私は対面に座る青年──薬師院大志に視線を向け、尋ねた。
「薬師院子爵家のご子息様が、どのようなご用件で?」
問いを模る私の声は、自分でもわかるほどに冷たく、好意的ではないことを相手に伝える低いものだった。表には決して出さないけれど、胸の内では対面の男に対して嫌悪感すら募らせている。
依頼者に対して最悪とも言える感情を抱いている原因は勿論、大志にあった。
通常、私は他の依頼を受け持っている時に別の依頼を受け入れることはない。魔骨事件の解決は一つでさえ多くの時間と労力が必要となる仕事。二つ同時に受け入れてしまうと時間も労力も体力も足りなくなり、解決失敗となってしまう可能性が限りなく高くなってしまうから。私は今、手元にある仕事──透花様からの依頼に全力で取り組むため、大志にお引き取りくださいとはっきり伝えた。今は他の任務に取り掛かる余裕はないから、と。
それにもかかわらず、大志は私の言葉には従わなかった。それはもうしつこく、こちらの神経を逆撫でにするほど執拗に食い下がってきた。少しでいいから時間をくれ、報酬は弾む。本来平民は貴族の頼みを断ることは許されない。そんなことを言いながら、事務所への道を塞いできたのだ。
このままでは我慢の限界を迎えた史輝が殴り飛ばしてしまう。そう考えた私は、とりあえず話だけでも聞こうと大志を応接室に通したのである。本当に、不本意ではあるけれど。
本心を言えば、私も大志の顔面に拳をお見舞いしてやりたいと思っている。無言のまま不穏な空気を纏っていた史輝は、私以上にそう思っているはずだ。
が、相手は貴族。そんなことをすれば大ごとになってしまうため、相手の肩を持つこの対応は適切だと判断できる。当然、話を聞いたらすぐに帰すけど。
「? どうかなさいましたか?」
いつまで経っても返事をしない大志に首を捻って尋ねると、彼は我に返った様子で言った。
「すまない、少し驚いてね。外では帽子をしていたからわからなかったけど、こうして見ると凄く若いな。数々の魔骨事件を解決している凄腕と聞いていたから、てっきりもっと歳を重ねたベテランなのかと」
「若い、とはよく言われますね。それより、ご用件のほうを……」
雑談はいらない。と、私は先の質問を再び投げる。
無駄話はいらないから早く本題に入ってほしい。こっちは身体の汚れを落としたくて仕方ないんだ。清潔になりたいという欲求を抑えてまで話を聞いてやるのだから、そちらはなるべく時間をかけないように努めるべきだろう。
数秒が経過するごとに苛立ちを大きくさせるが、大志はとても鈍感らしい。こちらの心情には一切気づかず、外国人のように大仰に肩を竦めて首を横に振った。
「例え急いでいたとしても、少しは緊張を解すための雑談も必要だ。円滑に会話を進めるためには、相手方とのラフなコミュニケーションも──」
「貴方様との会談は本来予定になかったものです。我々は生憎あまり時間がありませんので、雑談はまた機会がある時にお願いいたします」
まるでこちらに非があるような言い方をした大志の言葉を遮り、私は更に声音を低くし、威圧感すら放って告げた。
今の台詞だけで、この男が非常に面倒な性格をしていることが良く理解できた。庶民を見下す、権力に驕り高ぶる典型的な駄目貴族。同時に、自分が非常に苦手にしているタイプの人間であることも。
ここまで言ってようやく、本当に雑談が求められていないことに気が付いたらしい。気まずくなったのか、大志はわざとらしく咳払いをし、私が求めた本題へと入った。
「た、単刀直入に言うが……破壊してほしい魔骨があるんだ」
「破壊?」
大志の言葉に、私は眉根を寄せた。
「あの、お言葉ですが。魔骨の破壊が法律によって禁じられていることはご存じでしょうか?」
「無論、知っているよ。破壊したものは、相当の刑罰を受けることもね」
「でしたら──」
断られることがわかっていて、何故。
その問いを口にしようとした私に片手を突き出し、大志は静止を促した。
「禁止されていることは、わかっている。けれど、一先ず話を聞いてほしい」
「……貴方にとって良い返事をする保証はできませんが」
「構わない。まずは話を聞いて貰わないと、何も前に進まないからね」
良いことを言ったとでも思っているのか、大志は得意げな表情を作った後、話を続けた。
「私の婚約者……透花様の元に、奇妙な魔骨が現れたらしいんだ」
「奇妙な魔骨、ですか」
何も知らないふりをし、私は復唱した。
大志は私が透花様から依頼を受けていることを知らない。引き受けた依頼には守秘義務というものが生じ、関係のない第三者に内容などを知らせることはできないのだ。他の依頼を断る際に、今現在別の依頼を引き受けていると言うことはあっても、詳細を語ることはないのだ。
仮に守秘義務がなかったとしても、手元の依頼を大志に告げるつもりは全くない。この大きな態度と、強引な姿勢。好意的なものは皆無、最悪に近い印象の大志に、私は何の情報もくれてやるつもりがない。
大志は私が魔骨のことを知っていることを知らずに、語り続けた。
「とても不気味で、気味の悪い魔骨だ。透花様の傍に突然現れ、捨てたとしても戻ってくる。私は透花様から話を聞いただけで実物を見たことがないが……断言できる。その魔骨は、絶対に透花様に悪いことを引き起こす呪物だ。傍に置いたままだなんて、危険に決まっている」
拳を固め、大志は力強く言った。
「透花様は大切な私の婚約者だ。そんな人にもしも、万が一のことがあったら……私は死んでも死にきれない。私の家族になる人を護るために、どうか、依頼を引き受けて貰えないだろうか」
「……」
数秒の間を空け、私は一度目を伏せた。
大志の言いたいことは理解できる。大切な婚約者が呪いの魔骨に憑りつかれているのだとすれば、誰だって元凶を破壊しなければと考えるはずだ。そうすれば、きっと婚約者も救われる。呪いが消えて、幸福な毎日を過ごすことができるはずだ、と。
魔骨について何の知識もない者であれば、大志の想いに共感し、二つ返事で依頼を了承したことだろう。報酬も弾むと言っていたし、喜んで、と。
私は違う。
簡単にこの依頼を引き受けるようなことはしない。何故なら──私は誰よりも魔骨に寄り添い、彼らの声に耳を傾けることができる存在だから。
脳裏で透花様の館で聞いた消え入りそうな声を再生し、瞼を持ち上げた私は最初から決まっていた返答を大志に告げた。
「お断りします」
「……なんだと?」
大志は不快そうに眉を顰める。
本気で引き受けて貰えると思っていたのだろう。私の返答に対して驚きながらも、威圧的な低い声で言って眉を顰める。
残念ながら私にそれは通じない。どれだけ権力を振りかざそうと、答えを変えるつもりは一切ない。
「魔骨は人を呪うものではありません。不安を感じるのはわかりますが、貴方が思っているようなことにはなりませんよ。魔骨が人を呪い殺した、なんて前例は一つもありません」
「そんなこと、わからないではないか──ッ!」
「わかりますよ。少なくとも貴方よりは」
声を荒げて睨む大志に怯むことなく、私は毅然と返した。
「我々は法を犯す気はありません。幾ら大金を積まれようと、権力を振りかざされようと、犯罪者になるつもりはない。お引き取りを」
この意思が揺らぐことはない。
そもそもの話、誰よりも魔骨に寄り添ってきた私が破壊の依頼を引き受けること自体あり得ないのだ。依頼者が貴族であろうと、皇帝であろうと、こんな依頼は断るに決まっている。
私の魔骨に対する気持ちは。大金や権力によって変わるほど脆くない。
「く……ッ」
怯まず、臆せず、返答を変えない私を忌々し気に睨んだ大志は奥歯を噛みしめ、悔し気に言った。
「……いいのか? 権力に抵抗すると、いずれ痛みとなって自分に返ってくることになるぞ」
「そんな脅しは無意味です。何故、そこまで魔骨の破壊に拘るのですか? その魔骨に、何かやましいことでも? 存在していると不都合なことでもあるのでしょうか」
「……ッ、いいから──」
大志は声を荒げて立ち上がった。
当初張り付けていたような余裕は何処にもない。大方、自分が貴族の血筋だと知れば引き受けると思ったのだろう。ここはそんな甘い考えが通じるような人間がいる場所ではない。こんな男が透花様の婚約者だというのだから、世の中というのはわからないものだ。
他人事のように考える私は、一切動じない。威圧など、そもそも無意味。
私の傍には常に、私を護る頼もしい守護者が控えているのだから。
「──っ」
息を呑み動きを止めた大志の前には、鏡面の美しい刀の白刃。
波打つ乱れ刃の波紋を煌めかせる刀剣は、それ以上私に近付くことを許さないという意志を感じさせる。
持ち主は勿論、無言で成り行きを見守っていた史輝だ。今の彼の表情を、残念ながら私は見ることができない。けれど、大志が恐怖を顔面に張り付けていることから、何となく察することはできる。恐らく、怒気を全面に押し出しているのだろう。もしかしたら、般若のような形相になっているのかもしれない。
やっぱり、史輝が傍にいてくれると助かる。
相棒の頼もしさを改めて時間しながら、私は額から頬に汗を伝わせる大志の目を見て、再び告げた。
「──お引き取りを」
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