第5話 口の悪い助手の弱いところ
依頼を引き受け、豪奢な屋敷を出てから数分。
「透花様が常識と良識のありそうな方で、本当に良かったですね」
探偵事務所に戻るために街中の歩道を歩いている時、私の隣で史輝が透花様への印象を口にした。
「貴族ということで警戒していましたが、物腰も柔らかく、気品もあった。威圧的な態度を取ることもありませんでしたので、僕としてはとても安心しました。最悪な人柄の相手であることを想定していましたが、どうやら杞憂だったようですね」
大の貴族嫌い、権力を持つ者を嫌悪している史輝からの印象は上々と言える。そのことに私は安心を抱きつつ、彼に言葉を返した。
「貴族にも色々な人がいると言ったでしょ? 権力者が全員傲慢で偉そうと思うのはやめなさい。透花様みたいに良識のある人もいるんだから……普通に失礼だよ」
「しかし、先生。僕は面倒な気質の貴族にしか会ったことがありません。それこそ、問答無用でぶった斬りたくなるような類の」
「それは本当に運が悪いとしか言いようがないかな……」
思わず、苦笑い。
人との巡り合いは運の要素がとても大きい。どんな人と出会うかというのは、自分の努力や行動で変えられるものではないのだ。
これまでハズレくじしか引いてこなかったのなら、悪い印象しか持てないのも納得できる。不信感を持つことから初めてしまうのも仕方ない。けど、今後も私の助手でいる以上、その悪癖は改善してもらわないと。魔骨に関する依頼は、貴族から齎されるものがとても多い。時には史輝が毛嫌いする類の人から依頼が来ることもあると思う。その度に相手の態度に腹を立てて、刀を手に斬りかかるようなことがあっては目も当てられない。そうなれば、史輝も私も打ち首だ。
忍耐、というものが求められる仕事でもある。流石に私が危惧しているようなことにはならないと思うけれど……本当に頼むよ、史輝。
心の中で縋るように祈っていると、史輝が「それにしても」と話題を変えた。
「今回の依頼に関して、解決の糸口は掴めそうですか? 傍から聞いている限りでは、かなり難儀なもののように思えましたが」
「う、う~ん……」
問いに、私は両腕を組んで唸り声を上げた。
「正直なことを言えば……微妙、かな」
「微妙ですか」
「うん。私も初めて見る種類の魔骨だから、解決は大変だと思う」
透花様の下に現れたというあの魔骨は、かなり異質なものだ。とにかく、まずは情報収集から始めなくてはならない。何かを為すためには、その分野に対する詳細な知識を身に着けることから。それを怠れば、いつまで経っても前には進まない。その情報収集が、かなり大変な作業になるんだけどね。
私たちが行うべきことを頭の中で順番に纏め、それを口頭で史輝に伝える。
「一先ずは文献を探すために、数日は事務所の書庫に籠りっぱなしになる。そこで目ぼしい本がないかを探して、それから対応策を考える。ただ、あんな曰く付きな特徴を持つ魔骨に関する記述があるかどうか……うん、本当にないかもしれない」
「どこぞの呪い人形のような特徴を持っていましたね。捨てても戻ってくるなんて」
「子供が聞いたら大泣きしそうだよね」
その怖い話、都市伝説を聞いた時は夜に洗面台に立つことができなくなった記憶がある。鏡に映っていたらどうしよう、とビクビクしていたのを今でも憶えていた。
会話を弾ませながら、私たちは行きとは違う人通りの少ない裏道へと入る。勿論、ここは都心のため人の目が皆無になるということはない。何処に行っても必ず人はおり、無人の場所など存在しない。
けれど、裏道は表通りと比べて人の数が圧倒的に少ない。それはつまり自分たちに向けられる様々な視線が格段に少なくなったということだ。そのことが、個人的にとても嬉しい。
注目されることなく街を歩くことができている事実に喜んでいると、不意に、史輝が私に言った。
「一つ、僕から言っておきたいことがあります。先生」
「ん?」
何? と史輝に顔を向けて首を傾げると、彼は真剣な声音で続けた。
「以前から思っていたことなのですが……先生は依頼を何でも引き受けすぎだと思います。難しい、不可能な任務はハッキリと断る勇気を持つことも重要ですよ」
「……いや、わかってるけどさ」
史輝の言っていることは耳が痛いほどに理解できるため、私は言葉に詰まり、同返答をすればいいかわからず口を僅かに動かすだけになってしまった。
そんな私に、史輝は聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように言う。
「先生が人にはない力を持っていることはわかります。魔骨の声を聞く、異能とも呼べるその力で幾つもの魔骨事件を解決してきたことも。そして、先生によって多くの人が救われてきたことも。ですが……」
史輝の瞳に心配が宿った。
「ご自身でわかっているとは思いますが、先生も人間です。できることには限界があります。無理難題を全て引き受けていたら……いずれ、貴女の身体と心は壊れてしまいますよ。人間は鋼ではないのですから」
他意はない。史輝はただ、純粋に私の身体を心配して言っているのだ。それは彼の美しい瞳を見ればわかる。ただ、私を気遣っているのだと。
優しい助手の想いには応えてあげたい。
そんな気持ちが私の中で芽生え、それは瞬く間に大きくなっていく。無駄な心配をかけるわけにはいかない。私自身、少し頑張り過ぎだと思うところもあるから。彼の言葉に従い、休むことも視野に入れたほうがいいかもしれない。
しかし、私は花開く寸前の気持ちを蕾の状態で押し留めた。
「私もわかってる。最近は特に、ちょっと無理をし過ぎなのかなって思ってるよ」
「なら──」
「でもね」
史輝の言葉を遮り、私は首を左右に振った。
「力と責任は等号で結ばれている。特に……魔骨事件は、私の力を必要とするものがとても多い。ここで私が投げ出したら……助けを求める嘆きの魔骨を誰が救うの? 必死に声を上げているのに、誰にも気づかれないなんて、救いがなさすぎる。届かない声を必死に挙げる魔骨を助けるのは、私の責任だと思うの。だから、私は無理をしてでも助けを求める彼らに手を差し伸べたい。例え、私が壊れることになったとしてもね」
「……」
史輝は沈黙して目を伏せた。
彼が胸に抱くものは呆れか、失望か。どちらとも判別がつかないけれど、多分「馬鹿だな、この人は」くらいは思われたかもしれない。
けど、私の決意は変わらない。史輝には悪いけれど、これはもう変えられるものではない──隣から大きな溜め息が聞こえた。見ると予想通り、史輝が呆れた顔を私に向けている。
「恐らく、これ以上は何を言っても意味がないと思うので、言うのはやめます。先生の気持ちは伝わりましたし、貴女の考えを否定することはできませんから」
「何かごめんね」
「いえ、もう慣れたことです。ただ、自分自身をもっと大切にしてください。意気込みは良いですが、貴女は一人で動くと何を招くかわからない爆弾みたいな人なんですから」
「おー? ここで起爆してあげようかー?」
「爆弾処理班の手間になるようなことは駄目ですよ」
とても良い笑顔で人を爆弾呼ばわりしてくれた史輝に、私は青筋を額に浮かべて笑顔で言う。が、彼は子供をあやすような口調で言葉を返した。本当に笑顔で棘と毒のあることを言わなければ、完璧なイケメンなんだけど……でもまあ、寡黙な史輝なんて想像ができないから、今のままで良いと言えばその通りかな。無茶に変わろうとすると碌でもないことになるのは、世界の常識だし──。
ポツ。
頬に生まれた水の感覚に、私は足を止めて天を仰いだ。灰色の雲が支配する、晴れやかという言葉からはかけ離れた曇天。そこから一つ、二つ、幾億と、小さな水滴が地上へ降り注いだ。
同時に、周囲にいた僅かな人々が大慌てで水滴から逃れようと建物の屋根下へと退避していく。
例に漏れず、私と史輝も急いで軒下へと移動。僅かに服の表面に付着した水滴を払い、灰色の空を見上げる。
「びっくりした……通り雨かな?」
「かもしれませんね。全く、先生の不幸は天候にまで影響するのか……傍迷惑な体質ですね」
「何でもかんでも私のせいにするのやめてくれる!? これは私の不幸体質は関係ないよ……お、恐らく」
「自信なさげですね」
言い返すことはできなかった。自分でも内心「やば、これ私のせいかも」と思ってしまうところがあるから。い、いや、多分違うと信じたい。普通に天気が崩れただけで、私とは全く関係ないと。きっと、すぐに止むと。
しかし願いと期待とは裏腹に、雨は全く止む気配がない。寧ろ時間の経過に比例して雨粒は大きくなり、数も増えている。このまま待ち続けても、時間を無駄にするだけだぞと言わんばかりに。
「……止まないね」
「先生……いい加減にしてもらえますか?」
「だから私のせいにしないでよってッ!」
「冗談ですから。ただ、このままここで何時間もいると先生が泣きだしてしまいそうですので──」
「ちょっと?」
私の抗議には耳を貸さず、史輝は数軒隣にあった雑貨屋を見やった。
「事務所にも数本あるので少々勿体ないですが、傘を買ってきます。すぐに戻りますので、ここから動かず待っていてください。動くと、何が起きるかわかりませんので」
「わかってるって。傘、お願いね」
頷き返すと、史輝は足早に雑貨のほうへと走り、扉を開けて店の中に入った。私を一緒に連れて行かなかったのは、私が雨に濡れることを危惧したからだろう。別に、多少濡れるくらいでは風邪など引かないのに……心配性だなぁ。
助手の気遣いに何処となく嬉しさを感じながら、私は史輝が入っていった雑貨屋の入口から、自分の正面へと視線を戻し──気が付いた。
「! 子猫だ」
私の視線の先──細い道路の反対側、三メートルほど先に小さな黒猫がいた。
親猫とはぐれてしまったのか、はたまた死別したのか。子猫は寒そうに身体を小刻みに震わせながら、雨に打たれ続けている。
あのまま放置してしまえばきっと、あの子は衰弱して死んでしまう。
私は小さな命を見捨てることができず、史輝の言いつけを破って、子猫を保護するために道を横切った。流石に離れると言っても、三メートル程度。何も起きないだろうという慢心を胸に。
「可哀そうに……」
抱き上げた震える子猫を見つめて呟き、そっと濡れた身体を撫でつける。飼うかどうかは一先ず考えから捨て置き、元気になるまで事務所で保護しよう。多分、元気になる頃には飼う気満々になるだろうなぁ、なんて考えながら、私は元居た軒下に戻ろうとした──瞬間。
白い車が、私目掛けて突っ込んできた。
細道の端にいる私が車に轢かれることは、微塵も考えていなかった。しかし運が悪いことに、今は大粒の雨が降っている悪天候下。視界も悪く、路面も滑りやすくなっている。そんな環境の中を走る車と、私の不幸体質。これらが揃えば、結果は自ずと見えてくる。
──あ、死ぬ。
空から降る雨粒も、迫る白い車も、全てがゆっくりと見える中、私は脳裏で短い一言を呟いた。
もはや、これ以上に言葉を考える暇などない。これが、自分が最後に考えた台詞。そのことを理解する中、私は反射的にこの子だけは守ろうと子猫を抱く腕に力をこめた。そして、すぐに襲い掛かる強い衝撃に備え、身体を小さく丸めた──が。
「──え?」
全身を襲ったのは想像よりも小さな衝撃と、抱きしめられるような感覚。後ろではなく横に飛ばされた私の身体はそのまま慣性に従って路面を滑り、付近の建物の壁員ぶつかり停止した。数拍遅れて、車が建物に衝突する轟音が響く。見ると、石造りの壁に白い車が車体の半分以上を埋めて沈黙している姿が。
何が起きた? 何で私は横に飛ばされた? 混乱している頭で何とか現状を認識しようと、情報を求めて白い車から視線を外し──心臓が跳ねた。
「嫌な未来が視えて戻ってみれば……これか」
あと十センチ。首を傾ければ鼻先が触れ合うほどの距離に、史輝の美しい顔があった。普段の余裕が見える表情ではなく、珍しく見る必死の形相。濡れた髪先からは雨粒が滴っており、それが史輝が持つ男の色気を何倍にも増大させる。水も滴る良い男とは、正に今の史輝を表す言葉と言えるだろう。
制御が効かず、心拍数を増す心臓。その鼓動音を大きく感じつつ、私は自分の危機を救ってくれた史輝にお礼を言おうと震える口を開いた。
「あ、あの史輝……ありがと──」
「先生」
いつもと違う、低い声。
怒られる。直感で察した私は息を飲み、僅かに身を委縮させる。が、投げかけられたのは怒気を孕んだ大声ではなく、安堵と心配の入り混じった、囁くような声だった。
「あそこから動くなと……俺は言いましたよね?」
「──」
変化した一人称と、普段とは全く違う雰囲気。
決して強い語気ではないが、とても心に響き、耳に残る声と言葉。余裕の消滅した表情の史輝を至近距離から見つめながら、私は「ご、ごめんなさい……」と、高鳴る鼓動をそのままに謝ることしかできなかった。
史輝は私に身の危険が迫るなど、平常心を保つことができなくなると本来の性格を見せる。強引で、やや荒っぽい素顔を。
いきなり見せられると、衝撃が凄すぎる……。
減速しない鼓動を隠すように自分の胸に手を当てながら、私は深い、とても深い溜め息を吐いた。
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