第4話 救済を求める嘆きの骨

 鼓膜を揺らしたそれは、とてもか細い声だった。今にも消えてしまいそうなほどに小さく、儚い音。助けを求めているようなそれは、何かに縋りたい、誰かに気が付いてほしい。そんな願いを含んでいるようにも感じられる。

 悲しみを多分に含んだ、救済を求める声。


「先生?」


 突然立ち止まった私に、史輝が怪訝そうに声をかける。その声は勿論聞こえている。けれど、疑問と心配を孕んだ彼の呼びかけに応じることなく、私は自分の周囲を取り巻く環境に意識を向け続けた。

 特に気になるような、変哲なものは見当たらない。史輝の反応を見るに、彼には今の声は聞こえていなかった。

 私だけが聞くことができた。

 その事実は、今の声を発した者が誰なのかを示す、決定的な手掛かりとなる。

 もしかしたら、また声を聞くことができるかもしれない。声が伝えたがっていたことを聞けるかもしれない。そう思い耳を澄ませ続けるが、残念なことに十数秒が経過しても声は聞こえず、やがて私は諦めて耳元に寄せていた手を下ろした。


「ごめん、史輝。ちょっと、声が聞こえたからさ」

「声? 僕には聞こえませんでしたが……それはもしかして──」

「言わなくても大丈夫だよ。きっと答えは、すぐにわかるから」


 告げ、私は史輝と共に止めていた足を再び動かし、透花様の後を追った。

 答えは急がなくてもいい。思考を巡らせる必要はない。この答え合わせはすぐに行うことができる。今は声が聞こえなくなったとしても、その時になればきっと、改めて聞くことができるだろうから。

 掻き立てられた好奇心を抑え、答えを求める自分の気持ちを静める。と、先を歩いていた透花様の姿が再び視界に映った。彼女は緑の芝生が敷き詰められた庭の中央に設置された白いテーブルと椅子の傍に立ち、私たちの到着を待っている。

 

 両手に、赤い布に包まれた直方体の箱らしきものを持って。


 きっと、あれが今回の依頼に直結する代物だ。

 確信した私は「こちらへ」と片手を上げて自分たちを呼ぶ透花様のほうへと歩み寄る。彼女が手にした代物から、片時も目を離すことなく。


「その手に持たれている物が、今回の依頼に関係する代物──魔骨でしょうか?」


 湧き上がる興味と好奇心に打ち勝つことができず、私は着席をする前に透花様へと尋ねた。机には大気中に湯気を放出するティーカップが置かれている。それを一瞥し、透花様は苦笑して言った。


「まずは雑談からと思っていたのですが……それは後回しにして、先に本題へ入ったほうが良さそうですね」


 既に私が仕事に集中する状態になっていることを察したようで、透花様は手にしてたそれを机上に安置し、赤い布の結び目を丁寧に解いた。布の下から現れたのは、とても上質な木材で作られていることを窺わせる、漆塗りの黒い木箱。透花様はそれの蓋をゆっくりと持ち上げて外し、次いで、その中に収められていた代物を手に取った。

 露わになったそれを見つめ、私は目を見開いた。


「これは……見たことのない形の魔骨ですね」


 品定めをするように手元を顎に触れさせ、私は感想を告げた。

 透花様が両手に持っているのは、鳥のような形状をした黒い骨だ。大きさは人の掌と大差ないほどに小さく、それだけでまず珍しい。色は他と同じく黒であるが、はっきりとわかるほどに目や口、翼が模られている。まるで、彫刻家によって生み出された作品のように。

 透花様の許可を貰い、私はその魔骨を手に取った。硬質で、質感は骨そのもの。しかし微かに伝わる温もりは、それが魔骨であることを理解させる。

 こうして見て、触れて、確信する。先ほど自分の鼓膜を揺らした声の持ち主は、この子なのだ、と。


「透花様、これは──」


 魔骨を手に持ったまま、私は透花様に尋ねる。この異質な魔骨は一体何処で入手したものなのですか、と。だが言葉を全て言い終える前に、透花様は私の言いたいことをわかっていたように、質問の答えを口にした。


「ある日突然、枕元に置かれていたんです。いえ、やってきたというほうが適切でしょうか」

「突然?」

「はい、突然」


 頷き、透花様は椅子に腰を落ち着け、注がれていた紅茶を一度口に含んだ。


「屋敷の誰に聞いても、知らないと言うんです。一応実家のほうにも確認はしましたが、そんなものは送っていないと。気味が悪くて一度捨てたんですけど、翌日には何事もなかったかのように戻ってきていました」


 透花様は私が持つ魔骨に視線を固定したまま続けた。


「それだけではなく、私の知らない間に移動していることや、ひとりでに揺れることもあって。捨てても戻ってくるなら壊してしまおうとも考えましたが……」

「魔骨の破壊は法律で禁止されていますから、それはできませんね」


 言葉の続きを告げ、私は手にしていた魔骨を箱に戻した。

 魔骨とはいわば、代替物の存在しない貴重な資源である。必ずとは言えないが、触れた者に神秘の力を授ける、破格の代物。数も少ないため、一つでも破壊してしまうのは大きな損失だ。魔骨の破壊禁止令は新政府発足と同時にできたものではなく、古来、それこそ華蓮という国家が建国された時から受け継がれる法律である。

 幾ら気味が悪いからと言って、重要で重大な法律を、まさか貴族が破るわけにはいかない。悩みに悩んだ末、彼女は私たちに助けを求めたようだ。


「魔骨探偵の噂は聞いておりましたから、藁にも縋る思いで助けを求めた次第です」

「そういう事情でしたか。であれば、私たちへの依頼内容は……この魔骨の正体を突き止めることに加えて、手元に戻ってこないようにする、といったところでしょうか」

「その通りです。引き受けて、いただけますでしょうか?」


 若干の不安を孕んだ声音で尋ねる透花様に、私は即座に返事を返すことはせず、今一度件の魔骨に視線を向けた。

 依頼を引き受ける前に依頼者には必ず告げることではあるが、幾ら『魔骨探偵』とは名乗っていても、私たちは必ず依頼を解決させることができるというわけではない。一度引き受けた以上は解決のために全力と最善を尽くすが、それでも、力の及ばない結果になる可能性は残る。私たちは万能な力を持っているわけではない。

 特に今回の魔骨は……とても異質で、奇妙なものだ。形状然り、雰囲気然り、これまでに多くの魔骨と相対してきた私でさえ出会ったことのない代物。どう対処すれば魔骨の怪奇現象が止まるのか、全く想像がつかない。

 それに──。


「声が、聞こえない」


 小さく呟き、私は魔骨に耳を近づけた。

 私は魔骨が発する声を聞く、特別な力を持っている。常人には聞くことができない魔骨の声を聞くことで、これまでに多くの魔骨事件を解決に導いてきた。この力は事件を解決する上ではとても強力な力になる。だけど。眼前にある魔骨からはどれだけ待っても声が聞こえない。先ほど、ここに来る道中で聞こえた一度きりだ。

 この魔骨は触れたものに力を与える類のものではない。

 であれば、これはきっと──と、周囲のことも忘れて私が長考していた時。


「あ、あの、音葉さん?」

「へ?」


 唐突に名前を呼ばれて我に返った私が顔を上げると、透花様が不安を滲ませた表情をしていた。彼女の表情を見て、自分が依頼の受諾に関する返答をしていないことに気が付き、私は慌てて謝った。


「も、申し訳ありません、考え事をしていて……。ご依頼に関しましてはお引き受けしますのでご安心を」

「あぁ、良かった……」


 安堵する透花様に、私は念のため忠告した。


「ただ、必ずしも解決することができる、というわけではありませんのでご注意を。魔骨はまだまだわからないことが多い代物ですので、我々の力が及ばないこともあることを十分にご理解いただきたい」

「勿論、理解しております。世の中に十割の事象が存在しないことは、よくわかっていますから」


 透花様からの返答に、今度は私が安堵して胸を撫で下ろした。

 貴族の中には権力に驕り高ぶる者がいるもので、今の説明をした途端に激高する輩も存在する。実際に過去、貴族の依頼者の中にそういった者がいた前例があり、その時は丁重にお引き取りいただくことになった。どれだけ報酬を積まれたとしても、相手方がそんな態度であれば引き受ける義理はない、と。

 透花様がそんな人間ではなく、とても嬉しく思った。

 一先ず、私たちがやるべきことは決まった。その旨を、私は先ほどから一言も発さずに背を向けている史輝に伝える。


「そういうことで、依頼は引き受けたからね」

「……」


 言葉を返すことなく、史輝は黙って頷いた。

 そんな史輝の態度を不思議に思ったらしく、透花様が私に尋ねる。



「あの、彼は……」

「お気になさらず。史輝は少し気が荒いところがあるので、失礼がないように配慮しているだけです」


 これ以上の詮索はやめたほうがいいですよ? そんな意味を含んだ私の笑顔に気圧されたのか、透花は「そ、そうですか……」と、完全には納得していない様子ではあるものの、大人しく引き下がってくれた。

 史輝は普段から気が荒いわけではない。だが、どうしても感情の起伏が大きくなることがある。その勢いで以前は大きな問題を起こしかけたこともあるので、私が「貴族の前では極力喋らないこと!」と強く言い聞かせてあるのだ。私の言いつけはしっかりと護っていて、それ以降、史輝が貴族の依頼者の前で声を発する事は一度もない。

 この話題は、私としてもあまり長く続けたいものではない。早々に会話を断ち切ろう。そう考え、私は透花様に言った。


「魔骨の調査に関しては、こちらで進めてまいります。恐らく持ち帰っても勝手に戻ってきてしまうと思うので、引き続き保管しておいてください」

「わかりました。期間はどの程度かかりそうですか?」

「そうですね……」


 少し考え、告げる。


「この魔骨は見たことのない類なので……少なくとも、一ヵ月程度はかかるかと」

「一ヵ月、ですか……」

「? 何か問題が?」


 含みを持たせた言いかたに首を傾げながら問うと、透花様は慌てた様子で両手を振った。


「いえ、不満があるとかではなくて……ただ、この魔骨の件で、父には一ヵ月後にある婚姻の儀までに片づけるよう言われていまして」

「婚姻の儀? それは……おめでとうございます」


 祝福の言葉を贈る。

 婚約、それはつまり結婚と同義。今の世の中、結婚は女にとって最上の幸福と呼ばれるものであり、大変めでたいことに違いない。

 けれど、何故か透花様の表情は浮かなかった。心の空模様が曇っているような、結婚そのものに不満を抱いているような、そんな表情。

 何かあったのですか? その質問を投げかける前に、透花様は無理矢理笑顔を作った。


「いえ、ここで我儘を言うわけには行きません。父には私から言っておきますので、お二人は焦らずゆっくりと動いてください」

「よろしいのですか?」

「えぇ。なんだかんだ、父は私に甘いので」


 透花様は笑顔のままそう言った。

 けれど、その笑顔と言葉は、かなり無理をして作られている贋作のようにしか、私には見えなかった。

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