第3話 依頼者の美しい貴族令嬢
人通りの多い繁華街を抜け、北に進むこと三十分。
「ここだね」
眼前に佇む大きな建造物を見上げ、私と史輝は同時に足を止めた。
先ほどまで鼓膜を揺らしていた喧騒は鳴りを潜め、周囲には静寂な雰囲気が漂っている。昼間から酒を飲み大声で会話に花を咲かせる中年も、道の真ん中で喧嘩騒ぎを起こす若者もいない。綺麗に形が整えられた街路樹の傍を歩くのは正装に身を包んだ紳士淑女という、気品溢れる者ばかり。歓楽街とは、漂う空気がまるで違った。
静かな場所が好きとは言ったけれど、こういう場所は好きにはなれない。一般庶民である私には場違いな感じがして、気疲れしてしまう。常に品を保って過ごさなくてはならないなんて、私にはとても息苦しい。
道行く者たちを横目で眺めてそんなことを考えながら、私は眼前の建造物に意識を戻した。
近代化に伴って多く建てられるようになった、赤煉瓦造りの洋館だ。日光を多く建物内に取り込む意図があるらしく、伝統的な家屋と比べて窓の数が格段に多い。また、門の内側には最近普及し始めた自動車が何台も並べて駐車されており、それだけでこの家の主が相当の資産を蓄えていることを窺わせる。
私と同じ方角を見ていた史輝が言った。
「流石は特権階級の住まいですね。一般市民の家とは比較にならない豪華絢爛さだ」
「これでも貴族の中では質素なほうらしいよ」
「庶民には全く違いがわかりませんね」
「それは私も同意かな」
史輝の意見に私は頷いた。
庶民とは違い税金が免除されている彼らが贅を尽くしていることに変わりはない。幾ら彼らが質素と主張しても、それは一般市民には全く理解できない。根本的に貴族と庶民は、価値観や感覚が全く違うから。寧ろこれで質素というのなら、一般庶民の生活は一体何なんだ、と文句が噴出すると思う。
身分差の中で生まれた価値観の隔たりは消えることはない。それはどれだけの時間が経過しても、歴史を跨いでも、永遠に変わることはないだろう。
どうか、まともな依頼人でありますように。
祈りながら、私は門の傍に設置されていた呼び鈴を数回鳴らした。そして、そのまま待つこと十数秒。
「お待ちしておりました、結月音葉様」
侍女と思しき初老の女性が玄関扉から姿を現し、私の名を呼んだ後に一礼した。
あれ、まだ私は自分の名前を名乗っていないし、この女性とは顔見知りでもない。なのに、どうして彼女は私の名を言い当てたのだろうか。
その疑問の答えを求めて、私は尋ねた。
「どうして私だと?」
「お嬢様より事前にお客様がいらっしゃることは知らされておりましたので。時間を鑑みても、貴女で間違いないと」
「あぁ……まぁ、服装もこれですしね」
郵便や宅配なら、所属する組織の制服を身に纏うはず。こんな軍服を着て荷物を届ける者がいるとは考えづらい。私と判断するには、判断材料が十分過ぎるか。
納得し、私たちは招かれるままに門の内側へと足を踏み入れた。
態々名乗り、目的を説明する手間が省けたのは僥倖。依頼者を訪問した際は時々、どれだけ説明しても使用人や門番に信じて貰えず門前払いになるケースもあるから。円滑に事を進めることができるのは、とてもありがたい。余計な時間を使わずには済んだのは素直に嬉しいことだ。
「ご挨拶が遅れました。当館にて使用人長を務めております、
「ご丁寧にどうも。それで、依頼主はどちらに?」
私が問うと、侍女──弥生さんはご案内いたしますと言い、館の玄関ではなく庭へ続く道に二人を案内した。
「お嬢様は庭園にて、お待ちになられております」
「庭園ですか?」
「はい。当館にお客様をお招きする際、お嬢様は必ず庭園へお通しされるのです。何でも、美しい庭園にお招きするのが最大の敬意であり、礼儀であると」
「へぇ……」
独特な価値観をお持ちの方なのだなぁ、と思った。
建物内ではなく、態々庭園に招くというのはつまり、それだけ庭園に自信があるということなのだろう。この敷地内において、最も美しいという自負のある場所。ただ雨の日はどうするのだろう、という疑問は胸の奥にしまい込んだ。その時にはその時の対応があるはずだから、一々尋ねる必要もない。
ほどなくして、私たちは建物の裏手にある庭園に到着した。洋風な本館とは違い、趣や風情を感じさせる庭園だった。大きな池に、一部に作られた枯山水。水面に映る赤い橋も、景色の美しさとして溶け込んでいる。
伝統的な庭園。なるほど確かに、これは素晴らしい景色だ。
目の前に広がる風景を前に足を止めて暫しの間眺め、十分に堪能したところで、私は周囲に視線を散らす。
さて、肝心の依頼主は何処にいるのか。
姿を求めて視線をあちこちに飛ばしている時、ふと、私はとある場所に目を留めた。
池の傍に植えられた枝垂桜。七分咲きであり、満開に至るにはもう少し時間が必要と思われるその下に、一人の女性がいた。
とても美しく、気品に溢れる若い女性。右側面を三つ編みにした栗色の長髪には、綺麗な赤い花の髪飾り。やや垂れ気味な茶色の瞳は見る者に優しい印象を植え付け、牡丹の模様があしらわれた桃と紫の袴は、彼女の美しさを一層引き立てている。
大和撫子という言葉が彼女以上に似合う者はいない。本気でそう思ってしまえるほどの美貌だった。
「お嬢様、お客様をお連れいたしました」
絶世の美女は弥生さんの呼びかけでこちらに気が付いたらしく、微笑を浮かべて立ち上がり、その場で一礼した。
「お待ちしておりました──魔骨探偵、結月音葉様」
自己紹介は不要なようだ。
そう考え、私は自分の役職と名前を告げた女性に脱帽し、こちらに近付く彼女に一礼した。
「お初にお目にかかります、
「公式の場ではありませんから、かしこまる必要はありませんよ。お互いに、疲れてしまいますから」
貴族に対する言葉遣いで挨拶をした私に彼女──透花様は砕けた言葉遣いをするよう告げた後、弥生さんに『ありがとう、下がっていいよ』と言った。
使用人に対しても柔らかい物腰からは、傲慢さが一切感じられない。どうやら、透花様は権力や地位に驕らない類の貴族らしい。まともな人で良かった、と胸を撫で下ろす。
相手が言うのならば、お言葉に甘えよう。私は一度身に着けていた軍服の襟を正し、紹介を済ませていない史輝に手を向けた。
「ご紹介が遅れました。彼は私の助手を務めている、天宮城史輝です」
「……」
史輝は無言のまま左胸に手を当て、透花様に深く一礼する。と、何故か透花様は感激したように瞳を輝かせて両手を合わせ、笑顔を見せた。
「まぁ、助手だなんて……ますます探偵という感じがしますね!」
「……そ、そうですね。絶対に必要というわけではありませんが、いると何かと便利ですので」
私は説明しつつ、探偵や助手が好きなのかな? と胸中で思った。
私はまだ自分や史輝の役職を口にして紹介しただけに過ぎない。にも拘わらず、透花様はとても喜び気分を高揚させているように見える。そう考えるのは、自然なことだった。
若干引き気味な私の反応を見てか、透花様は「あ!」と何かに気が付いたような声を上げたあと、恥ずかしそうに咳ばらいをした。
「こほん……ごめんなさい、一人で舞い上がってしまって。その、最近外国から入ってきた推理小説にのめりこんでおりまして……つい」
「な、なるほど……」
納得し、私は羞恥に頬を赤らめる透花様に笑顔を向けた。
巷で外国の推理小説が流行っていることは、私も知っている。人気のシリーズは幾つもあるけれど、一番はやはり、霧の深い街で起こる殺人事件を主人公の探偵と助手が次々と解決していく、ある種の王道もののストーリー。私自身、本屋にふらりと立ち寄った際、手に取って読んだこともある。確かに凄く面白かったし、人気が出る理由もわかった。あのワクワク感と緊迫感は、何処か癖になりそうなことも。
ただ、あの小説のイメージをそのまま自分たちに当て嵌めてしまうのは勘弁してほしい。私たちは殺人鬼と相まみえたり、ライバルのような関係にある刑事もいなければ、そんな人物たちと共闘して謎を解き明かしたりもしないので。創作と現実の区別はつけてもらいたい、かな。
「透花様。我々は探偵という役職を名乗っておりますが、あくまでも『魔骨』探偵です。魔骨が関わっていない事件や問題は解決できませんし、周りが驚くような推理も披露できません。その点、ご注意を」
「創作と現実の区別はしっかりとつけているので、ご安心を。ただ噂を聞く限り……そこまで否定するようなこともないと思いますよ?」
そう言って、透花様は怪しい魅力を含んだ瞳で、私を真っ直ぐに見つめた。
「魔骨探偵……魔骨に関する事件ならば何でも引き受ける、探偵事務所。頼めば必ず事件を解決に導いてくれる、とても頼りになる人たち。評判は聞いています。だからこそ、私は貴女に依頼を出したのですから」
「噂を鵜呑みにし過ぎるのは如何なものかと思いますが……ありがとうございます」
期待されるのは悪い気分ではなかった。
──魔骨。
数千年前から存在が確認されているそれは、通常の白い骨とは全く違う、異質な骨の総称だ。全体の色は黒く、表面には葉脈上の赤い線。触れると微かな温かさを感じ、初めて触れるものは皆決まって、まるで生きているようだ、という感想を告げる。形状や大きさは一つ一つ異なるけれど、人の前腕程度の大きさをしていることが多い。
魔骨はまだまだ研究が必要な代物で、詳しいことはまだわかっていない。けれども、魔骨は人の遺体の近くで見つかることが多く、一説では死者の願いや意思を宿したものなのではないか、と言われている。噂の中には魔骨の声を聴いたという話もあり、世間ではオカルト的な噂が多く囁かれていた。
そして、謎多き魔骨の最大の特徴。それは極稀に、触れた者へ不思議で神秘的な力──『神力』と呼ばれる能力を授けるということ。
それらは『力の魔骨』呼ばれ、その特別な特徴を持つが故に、人は時に魔骨を奪い合い、殺し合うこともあったと伝えられている。
そんな曰く付きとも言える魔骨が絡んだ事件──魔骨事件と呼ばれるそれを専門に解決するのが、私たち魔骨探偵だ。魔骨に関する専門的な知識と、常人が持たない特別な力を駆使して解決へと導く案内人。
その特殊性からか、私は巷で色々な呼び名がつけられているのだけど……数がとても多いので、全てを紹介することはできない。ただ『異能探偵』『探偵令嬢』『骨の魔術師』なんて呼び名が使われることが多い。大袈裟だし、こちらとしてはとても恥ずかしいので勘弁してと思ってしまう。特に最後ね。
事務所に届いた手紙には詳細が書かれていなかったけれど……今回はどんな事件なのか。
緊張と期待が混じった声音で、私は透花様に尋ねた。
「透花様。早速、ご依頼の内容について教えていただけますでしょうか?」
内容が魔骨に関することはわかりきっている。それは届いた手紙に記されていたし、そもそも私に依頼書が届く時点で明白なこと。
肝心なのは、その詳細だ。
「……こちらへ」
透花様は私の問いに答えるため、庭園の奥へと続く道を歩き出す。
数歩進んだところでこちらへと振り返り、再び足を前へと進めた。案内人の如く奥へと誘う彼女に私と史輝は一度顔を見合わせた後、何も言葉を交わすことなく追従した。
彼女が誘う先には、一体どんなものがあるのか。心の底から湧き上がる好奇心を必死に押さえつけながら歩を進め、桜の木の横を通り過ぎた──時。
──誰か。
どこからともなく聞こえた小さな声に、私は右耳に手を当てた。
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