第2話 美しき相棒は心配性なのです
大洋の中心に浮かぶ島国──
四つの季節に分かれる気候帯に属するこの国は古くから国家として成立しており、特に皇室は二千年以上という世界屈指の歴史を持っている。
但し皇室は現在も続いているが、近年は革命が起こったことによって古い封建制度が崩壊。数百年間の鎖国も終わりを告げ、諸外国との交易を行うことで新政府は近代化を推し進めている。その影響は民衆の生活にも顕著に表れており、様々な外国の文化が街中で見られるようになった。
近代化が最も顕著に現れているのは、首都である
革命後、国民の外国への憧れが強まる中、いつしか皇来は帝国国民の誰もが夢見る都と呼ばれるようになった。
そんな皇来の一部、多くの人が行き交う繁華街にて。
「本当に人が多い……」
歩道の端を歩きながら、私はうんざりしながらそんな言葉を吐いた。
皇来には各地方からのみならず、港から多くの外国人も訪れるため、必然的に人口密度が高くなる。駅周辺は勿論のこと、繁華街の通りは見渡す限りの人、人、人。もはや人のいない空間など存在しないと思えるほど、人間で埋め尽くされている。
仕事の他にも様々な事情があり首都に住んでいるとはいえ、私は元々人混みが苦手だ。人のいない静かな場所が好みであり、こういった人で賑わう場所は好きではない。住んでいるからといって、慣れるものではない。普段は事務所から出ないし。
ただ街中を歩いているだけで凄まじい疲労感。肩を落として溜め息を吐くと、隣から控えめな笑い声が聞こえた。
「いつまで経っても慣れませんね、先生」
史輝の苦笑に、私は細めた目を向けた。
「嫌なものは嫌なの! 人混みの中にいると、何だか気持ち悪くなるし……毎日見ていても、ウジ虫が好きになることなんてないのと同じだよ」
「人とウジ虫を同列に語らないでください」
「本気で同列に思っているわけじゃないよ。まぁ、一ヵ所に群れる点は、同じかもしれないけど……っ」
周囲に視線を散らしていた私は軍帽を深く被り直す。
先ほどから無遠慮にこちらへ注がれる、幾つもの視線。極力意識しないようにしてはいるものの、乙女は視線にとても敏感。どうしても、気になってしまう。
帽子のつばを右手で押さえつつ、再びうんざりしながら呟いた。
「私が人混み苦手な理由は、史輝にも関係あるけどね」
「極めて遺憾であります」
「胡散臭い政治家みたいなこと言わない。それに、関係あるのは嘘じゃないよ?」
「主にどの辺りが?」
詳しい説明を求める史輝に、私は彼の足先から頭頂部までに視線を滑らせた。
「史輝は凄く整った容姿をしているから、人の視線を集めるの。特に、若い女の子のね」
何度も告げていることだけれど、史輝は思わず目を向けてしまう美しさを持つ青年だ。彼の容姿や纏う雰囲気は、男女問わず意識を向けてしまう色香がある。
そんな彼が人通りの多い街中を歩けば女性の一人や二人、運命と勘違いして簡単に恋に落ちてしまう。例え恋に落ちなくとも良い男を見つけると目で追うのが女という生き物であり、そして必然、史輝を見ていれば隣を歩く私にも気が付く。
あの美青年と並んで歩いているのは誰? と、次の注目の的になるのだ。嫉妬や羨望などの視線を四方八方から向けられるのは心地良いものではない。
私の説明を聞いた史輝は両肩を大仰に竦めた。
「それは僕に言われてもという感じですね。周囲の全てを制御することは、僕にはできません」
「わかってる。私の我儘だから、気にしないでいいよ。実害もないし、私が無視すれば済むだけの話だからさ……不快ではあるけど」
当然、私も日頃から努力はしている。外出の際は人通りの少ない道を歩いたり、建物の日陰に意識して入ったり、何とか人目を避けようと頑張っている。
けれど、その努力を全て無に帰すのが史輝の魅力。人目につかない場所を歩いているのに、気が付けば注目の的になっている。頑張った末の成果が皆無では、それ以上の努力をしようという気持ちは失せてしまう。諦めた私は最近では、視線を無視することだけに注力していた。
ただ、どれだけ気にしないよう意識していても、無視できないようなものは存在するわけで……それは、今も注がれていた。
「私、いつか刺されるかもしれない」
呟き、容易に想像できる未来に肩を震わせた。
誰もが目を奪われる美青年の隣を歩いていれば、向けられる視線の中に含まれる嫉妬や羨望の中には、恨みにも似た強い感情を孕んだものも存在する。
恋をした女は強く、また危険だ。史輝に本気で恋をした乙女からすれば、私は邪魔な存在でしかない。そして、人間は全員が理性的というわけでもなく……衝動的に襲ってくる輩がいるのも確かなのだ。
気をつけなければいけないけれど、常に警戒するのは流石に疲れる。
不快で危険な視線によって立った気を紛らわせるため、またこれからの流れを把握してもらうため、私は上着の内側に入れていた封筒を史輝に手渡した。
「見せてなかったけど、今回の依頼書だよ」
「どうも。これは……貴族から、ですか」
封筒に押されていた百合の家紋を模った蝋印を見た史輝は、露骨に顔を顰めた。
「自分を高貴なる身分の者だと驕り高ぶる輩でないといいのですが……」
「貴族だからって嫌わないの。貴族にも色々な人がいるんだから」
庶民の中には貴族に対する不満を持つ者が多くいるのは、よく知られていることである。実際、以前の革命は貴族などの特権階級に対する市民の不平不満が原動力となって実行されたもの。革命後の今も、その点は全く変わっていない。
今の反応を見れば、史輝もその内の一人であることはよくわかる。しかし、全ての貴族を悪と定めるのは早計が過ぎる。庶民も貴族も、色々な人がいるのは同じなのだから。
嫌悪感を露わにする史輝を宥め、私は開いた紙に視線を滑らせる彼に忠告した。
「好きになれとは言わないけど、態度には出さないでよ? 貴族は収集癖のある人が多いから、厄介な代物に手を出して、私たちに助けを求めてくることが結構あるんだから。大事なお客さんなの」
「肝に銘じておきます」
「お願いね……あとさ」
一拍を空け、私は一度自分と史輝の距離を測り、告げた。
「……近くない?」
「人混みですので、ご容赦ください」
笑顔で返した史輝に、私は「そ、そっか……」と引き下がるしかなかった。
狭い範囲に大勢の人がいる状況で距離を取れというのは、少々酷なこと。互いの肩が触れ合うほどの距離で並び歩くのも、仕方のないことだ。それにしても、近すぎると思わないでもないけれど。肩とか触れてるし。
仕方ないとは思うし、史輝の主張も理解できる。
けれど、史輝との距離が徐々に近づくにつれて、周囲から注がれる視線が鋭いものに変化していることは無視できなかった。例えるならそう、主君の仇を見つけた落ち武者のような視線。いつか、その視線が凶器の刃となって自分に向かってくるのではないか、という不安が脳裏に過る。怖い。乙女は時に、猛獣になり得るから──。
「先生が気疲れするのは、僕の望むところではないですが……」
「ぇ──?」
唐突に史輝は私の肩に手を回し、ぐい、と私の身体を自分のほうへと引き寄せた。咄嗟の出来事に硬直した私に抵抗は許さないと言わんばかりに、強引に。
何を? 肩を抱かれたままの私が史輝に問おうと美貌の顔を見上げた時──ガシャン、と大きな音が近くで鳴り響いた。見ると、そこには砕けた植木鉢の残骸。散乱している場所は丁度、先ほどまで私が立っていたところ。
もしも、史輝が私を抱き寄せていなかったら……凄惨なことになっていたかもしれない。
十分以上にあり得た未来を想像してゾッとしていると、史輝は私の耳元に口を寄せて言った。
「貴女が死んでしまう可能性がありますので、離れることができません。俺が常に傍にいないと、先生は色々と危険ですから」
「ご、ご迷惑をおかけしました……」
「いえいえ。不吉な未来が視えたので、それに対処したまでのことです。それに、これも助手としての仕事ですからね。先生の呪いは──不幸体質は、僕も十分に理解していますし……」
大したことではないように言って、史輝は私と視線を合わせて言った。
「ちょっとした介護みたいで、僕は楽しいです」
「さりげなく私を老人みたいに言うのやめて貰える!?」
割と本気で不服さを感じつつ、声を張り上げた。
不幸体質。私は自らにかけられた呪いを、そう表現した。自分から行動を起こさなくとも、不幸のほうからやってきては、この身に災いを齎す。今のように自分一人だけが被害に遭うようなものもあれば、もっと大規模な、それこそ周囲の人間も巻き込んでしまう不幸に見舞われることもある。
私が人混みを嫌う理由には、自分のせいで赤の他人を危険に晒してしまうかもしれない、という不安も含まれている。本当にそんなことが起きたら、私は立ち上がることができるかどうか。
この厄介な体質を獲得することになったのは、数年前。
その時のことを振り返りながら、散乱する植木鉢の破片を見つめていると、史輝がポツリと言った。
「本当に、厄介な魔骨に愛されましたね」
「……かもね」
史輝の言葉に私はそう返し、止めていた足を再び進めた。
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