第1話 顔が良くて口が悪い助手

 閉じ続けたい欲求に抗い、重みを孕んだ瞼を持ち上げると視界には絶世の美青年の姿が映った。

 蒼い蝶の髪飾りを側面に飾る銀髪に、蒼玉の双眸。黒と白を基調とした道着のような着物に全身を包んでおり、儚さと優しさを感じさせる容姿と表情。しかし反面、奥底の見えない沼にも似た、何処か謎めいた雰囲気も漂わせている。薔薇のように美しいだけでは済まない危険な空気、と表現することもできるだろう。

 彼は──。

 覚醒直後、焦点の合っていない瞳でボーッと彼のことを見つめていると、眼前の彼は口元に微笑を浮かべて声帯を震わせた。


「おはようございます、先生」

「……史輝?」


 私はぼやけた視界の中心に映る彼──天宮城史輝うぐしろしきの名を呼び、無意識の内に彼の端正な顔に手を伸ばす。シミ一つない、滑らかな手触りの肌へ。と、史輝は口元の微笑みをそのままに、私が伸ばした手をそっと握った。


「大分、お疲れだったようですね。事前に言われた通り三十分で一度呼びかけましたが、全く目覚める気配もなく熟睡されていましたよ」

「あぁ……ごめん。全然気が付かなかった」


 徐々に鮮明になっていく記憶を思い返し、私は眠りに落ちる前、史輝に起こすよう頼んでいたことを思い出した。普段ならば軽く身体を揺すられただけで目覚めるのだけど……史輝の言っていた通り、自分の想定以上に疲労が蓄積していたらしい。こんな時間に熟睡してしまうなんて、自分でも珍しく思う。

 このまま寝転んでいると、二度寝をしてしまいそう。そう思った私は誘惑に抗い、倦怠感の残る身体を起こした。


「んー……っ、よく寝れた気がする」

「もう、よろしいのですか?」

「まだ疲れは残ってる感じするけど、身体は大分楽になったから大丈夫」

「それは何より」

「うん。それで──」


 そこで一度言葉を止めた私は身体の正面を史輝のほうへと向け、純粋な疑問を彼にぶつけた。


「どうして私、史輝の膝で眠っていたの? ソファに転がった記憶しかないんだけど」


 私の問いに、史輝は一切取り乱すことも、表情を崩すこともなく答えた。


「大分魘されていたので。少しでも落ち着くようにと、僕なりのサービスです。助手は先生の補佐をするものですからね」

「……そーですか」


 咎めるようなことは何もないらしい。史輝の表情からそう判断した私はソファの背凭れに置いてあった軍服の上着を肩にかけた。

 一拍遅れて、羞恥心が心の奥底から湧き上がってきた。史輝と目を合わせるのが気恥ずかしく、意識的に顔を逸らしてしまう。

 私は彼の膝で眠ること自体に抵抗はない。付き合いも長いし、信頼関係のある仲だから。けれども眠っている間、ずっと彼に寝顔を見られていたという事実が羞恥心を増幅させる。もしも、変な寝顔を晒していたとしたら──やばい。死ねる。

 不安と羞恥が頭の中でグルグルと渦巻いている最中、不意に史輝が口元に手を当て、全ての乙女を恋に落としてしまいそうな笑みを作って言った。


「日向ぼっこをしている亀みたいで、とても可愛らしかったですよ」

「微妙に貶しているのだけは理解できるよ?」

「失礼。しかし、あの寝顔はそう表現するのが最適かと」

「ちょっと待って私どんな寝顔してたの!?」


 聞いているこちらの平静を乱す史輝の表現に、私は慌てて問いただす。が、私の慌てふためいた表情を見てすぐに、史輝はとても良い笑顔で『冗談ですよ』と笑った。

 これが史輝の特徴だ。彼は毒を含んだ言葉を吐く時、また私を揶揄う時に、必ず美しい笑みを浮かべる。悪戯好きな子供のように、実に楽しそうに。しかも聞きようによっては悪口なのかも判別できない、奇妙な言い回しを用いることもある。本当に厄介。性格悪いとも言い切れないのが、余計に質が悪い。

 それなりに長い時間を共に過ごしている私は史輝のことを理解しているため、接し方を心得ているけれど……出会って間もない人は、史輝との距離感で困惑すると思う。笑顔は作るけれど絶対に懐は見せないし、何より漂う不思議な雰囲気が混乱を招く。

 謎に包まれた美青年。それが、天宮城史輝という人間なのだ。


「すぐに人を揶揄って……」


 ムッとした表情で不機嫌を表す声を震わせる。けど、ここで止めなくてはならない。これ以上彼に何かを言うと、それを逆手にとってまた揶揄われるだけになる。相手のペースに飲まれないようにしないと……。

 暫し史輝を睨んでいた私はソファから立ち上がり、書斎の窓際にある椅子に腰を落ち着ける。背凭れに背中を預け、窓の外に視線を向けた。


「最近は忙しかったから、自分が思っていた以上に疲れていたのかもね。昼寝するなんて、どれくらいぶりだろ」

「金属を加工する工場のような声を上げて魘されていましたけど……悪い夢でも?」

「そんな声は人間から出ないから! ……でも、悪い夢は見ていたかも」


 自分の右耳に触れた。


「傍にいないはずの声が……ずっと耳に残ってる。苦しんでいるような、悲しんでいるような、そんな声が」


 耳を澄ませば、今でも聞こえる。脳裏にこびりついた金切り音と、地獄の底から鳴り響く亡者の絶叫。そして──願いの成就を切望する祈り声。それらが幻聴であることはわかっているのだけれど、私にはどうしても無視することができず、落ち着いて眠ることができなくなっていた。

 厄介な体質と、性格を持ってしまった。自分自身に溜め息を吐いて肩を落とすと、それを見ていた史輝は私のほうへと歩み寄り、両肩に手を置いた。


「いつもお疲れさまです、先生。その挫けない姿勢には、いつも感服していますよ」

「……本心は?」

「働き続けていて、馬車馬みたいだな、と」

「嘘だとしても、もっとマシな言い方なかったの!?」


 あんまりだ! と大きな声で言うと、史輝は浮かべていた笑みを柔和なものへと変え『嘘ですよ』と告げた。


「僕が先生に敬意を表しているのは事実ですし、感服していることも本当です。いつも貴女の傍にいますが、心の底から凄いと思っています」

「……褒められるようなことじゃないよ。自分が好きでやっていることだし……なにより、これは私にしかできないことだから」


 言葉を返し、私は肩に置かれた史輝の手に自分のそれを重ねた。

 その言葉は本心だ。他者とは違う、他者にはない特別な力を持っている自分がやらなくてはならないこと。これは自分の責務であり、放り出すことのできない義務だ。幸い、今のところは続行不可能なほどの怪我を負う事態にはなっていないので、今後もそうであることを願いたい──史輝が笑った。


「その謙虚さも、投げ出さない姿勢も、全てが美徳で褒められるべきことです」

「だーかーらー。私は誰かに褒められたくてやってるんじゃ──」

「僕は貴女のそういう部分に惚れました」


 何の躊躇いもなく発せられた好意を伝える言葉。

 この男は、本当に……。

 私は反射的に史輝を肩越しに見上げるけれど、彼の表情には微塵の羞恥も見られない。ただ事実を告げただけの、至って普通の様子。

 これもまた、史輝の特徴だ。相手に好意を伝えることを躊躇わず、加えて毒を吐く時とは違う、優しい微笑みを向けること。既に何十回と繰り返されているやりとりではあるが、彼は容姿があまりにも良いので、私は毎度胸を高鳴らせてしまう。

 我ながらチョロい女。

 涼しげな史輝と簡単に靡いてしまう自分自身に不満を持ちつつ、私は微笑を浮かべたままの史輝に唇を尖らせた。


「そういうことを、突然言わないでよ」

「すみません。先生は隙が多いので、不意打ちが効果抜群であると教えていただきまして」

「誰に?」

「それは人を売るということになります。男子たるもの、信頼を裏切る真似は致しません」


 史輝は人差し指を口元に当てた。こちらを見る瞳からは何の情報も渡さない、という意思が感じられる。

 余計なことを。額に手を当てた私は思い当たる人物の姿を脳裏に思い浮かべる。同時に、今度会ったら鳩尾を殴ろう、割と全力で。とも決めて。

 やられっぱなしは気に食わない。せめて、史輝にも心に来る何かを残してやろうと考え、私は額から手を離して史輝に言った。


「そういうことを言うのは、特別な時だけにしたほうがいいよ? 効果が薄れるから」

「先生といる全ての時間が特別だと思っていますよ。勿論、これは嘘ではありません。僕は生まれてこの方、嘘をついたことがありませんから」

「それこそ嘘じゃない! ったく……」


 こっちの気も知らないで。という言葉は胸の奥に押し込んだ。それを口にしてしまうと、史輝がこれ以上舞い上がってしまうから。これからまだ仕事があるのだし、必要以上に気分を高めるのは良くない。

 胸の鼓動が加速したことを隠すため、私は無理矢理椅子から立ち上がり、軍服の上着に袖を通した。


「さ、休憩は終わり! 依頼人のところに行くよ」

「お疲れのようですので、もう少し休んでいかれては?」

「そういうわけにもいかないよ。次は本当に大事な依頼だし、もう約束の日時は決めてあるの。変更なんてできないし、何より──」


 机上に置かれていた帽子を深く被り、気持ちを切り替る。そして私は書斎の入り口扉に向かって足を進め──首に下げた黒い骨のネックレスを握った。


「──嘆く骨たちは、私を待っているんだから」

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