第二節 即位の儀

第二十六話

 即位の儀が行われる。


 嘉乃よしのは天皇家の場で、清原王きよはらおうが出て来るのを見ていた。清原王は堂々としていて、威厳に満ちていた。

 白壁王しらかべのおおきみは起き上がることが出来ないほどの重篤な状況である上、皇后も既に亡く、しかも皇太子妃の嘉乃は文字の力がないので、清原王だけの儀式であった。嘉乃は切ない気持ちで即位の儀に臨む清原王を見ていた。

 大祭殿は美しい流線型の天へ昇るような建築物で、屋外の舞台があり、そこで祝詞のりとが唱えられる。

 舞台に進んだ清原王が、美しい薄青の和紙に文字を書き、そして詠唱する。




 鳴鳥野かむなきの ひじり御代みよ


 生まれしし神のことごと


 あめの下知らしめしせば


 春の野は花の咲きける


 夏の野は草の繁れる


 うるはしく平らかならむ


 うまし国たふとからむと


 常滑とこなめに絶ゆることなく 真幸まさきくあれと



 常滑とこなめに絶ゆることなく 真幸まさきくあれと



 

 天から、光の粒が降って来た。

 白く銀色に光りながら、ゆっくりと。

 ユキヤナギの花も一緒に舞い、辺り一面、淡い輝きで満たされた。優しくゆらゆらと揺れるその光は、世界に吸い込まれ、また人々にも吸い込まれて行った。

 そして、無数のユキヤナギの花と光の粒が雪のように舞い降り続け、それは、清原王きよはらおう――清原王きよはらのおおきみの優しさで世を覆い尽くすような不思議な感覚をもたらした。人々は、幸いと歓びを感じずにはいられなかった。


「お見事です」

 後ろに座っていた橘三人たちばなのみひとがそう嘉乃に声をかけた。

「この何代か、このように、祝詞が天に届くことはありませんでした。……素晴らしい!」

 感嘆したように、三人みひとは言う。嘉乃は曖昧な笑みを浮かべなら、頷いた。

「ところで、ご懐妊されたそうですな。――おめでとうございます」

 三人みひとは満足げだ。

 嘉乃は「ありがとうございます」と言いながら、そっとお腹に手をやった。

「即位に懐妊。なんともめでたいことです」

 三人みひとは笑顔を浮かべた。


 三人みひとは嘉乃にとって、「父親」であった。しかし、しばらく会っていなかった父親であるという設定から、三人みひとは嘉乃のことを娘ではなく「皇太子妃」として扱っていた(清原王きよはらのおおきみ即位後は「天皇妃」だろう)。それは、その方が嘉乃もぼろが出なくて済むという理由からでもあった。

 嘉乃は、お腹に手をやりながら、物理的にも心理的にも遠くにいる、本当の父のことを思った。それから母のことも。弟や妹のことも。わたしは、産んだ子を家族に見せることも叶わないのだ、と思った。


 それでも、降り注ぐ淡く優しい光を見ていると、そして舞台の上の清原王きよはらのおおきみを見ていると、しっかりしなくてはいけないという気持ちになった。



 運命の子を産む、運命の娘よ。

 予言の神話にうたわれている、白い髪と金色の瞳を持った力の強い王の魂が、近いうちにお前の身に宿ることだろう。

 運命の子は、この世界の不調を一新し、かつてない豊かで美しい国へと導いてゆく。

 お前は、繁栄をもたらすその運命の子の、母となるのだ。



 夢の中で聞いた声が、嘉乃の中で思い起こされた。

 すると、ユキヤナギの小さく白い花が嘉乃の周りで沸き起こり、嘉乃を取り巻きお腹の辺りで円を描いて舞った。


 いま、このお腹にいる子どもが運命の子なのだ、と、嘉乃ははっきりと自覚した。

 白い髪と金色の瞳を持って生まれるのだろう。

 嘉乃の目に涙が滲んだ。

 まだ生まれてもいない子どもの、苛酷な運命を思って。


 そのとき。

 嘉乃は強い視線を感じて、その方を振り向いた。

 藤道足ふじのみちたりが鋭い視線で嘉乃を見ていた。その鋭さに、嘉乃は震えた。道足みちたりのそばには姫もいた。あれは聖子せいこさまだろう、と嘉乃は思った。彼女の視線も実に痛く嘉乃を突き刺し、嘉乃はすぐに視線を外した。


「気にすることはありませんよ」

 三人みひとが勝ち誇ったように笑いながら、言う。

「これほど素晴らしい即位の儀を見せられては、どうしようもありません」

 ――そうだろうか?

 嘉乃の中にあった、不安の種はそっと芽を出したように思った。


 清原王きよはらのおおきみが退出し、音楽が儀式の終わりを告げた。

 辺りは一面、光の祝福で満ちていた。

 しかし、嘉乃は何か黒い予感がして、光に満ちた今のこの空の向こうに、黒い翼がよぎるのを感じた。

 嘉乃が恐ろしさに躰を震わせると、お腹がぽこんとした気がした。

 嘉乃はお腹を撫でた。何度も。

 ――だいじょうぶ。守ってあげるから。

 ユキヤナギが花の数を増して、嘉乃を取り囲んだ。

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