第十三話

「あのとき私は少し疲れていてね」

「まだ、十五歳でしょう?」

「……十五歳でも悩みはあったんだよ」

「そうなの」

「そうなんだ。だから、あのときの花束と枇杷の実と、それから嘉乃よしのの笑顔に、ほんとうに救われたんだ」

 そう言って、清原王きよはらおうは嘉乃に笑いかけた。

 嘉乃はその笑顔を、やはりどこかさみしそうだ、と思った。

 この人は、どうしてこんなにさみしさを抱えているのだろう、と。

 嘉乃は清原王の顔の輪郭をなぞった。

 清原王はその手をとり、口づけをした。


 二人は寄り沿って、影を一つにしていた。

 嘉乃は清原王の胸に頭をつけながら、心臓の音が聞こえる、と思った。

 清原王は、嘉乃を抱き締めると、「本当に愛しているんだ」と言った。それは、悲痛な叫びにも聞こえた。

「月原さま」

 嘉乃の呼びかけに、清原王は抱き締める腕に、いっそう力を込めた。

「月原さま、わたしも愛しています」

「嘉乃」

 清原王の泣き出しそうな声に、嘉乃は愛しさが込み上げて、自分から唇を寄せた。


 清原王は、この瞬間が永遠であればいいと思った。

 ここで、嘉乃と二人。

 他には何も要らないのに。

 この先のことを考えると、胸が苦しくなった。

「嘉乃」

 もう一度、名を呼ぶ。

「月原さま」

 清原王は「本当の名はそうではない、清原だ」と、言いたかった。

 でも、言えなかった。

 それを言ったら、嘉乃がどこかに行ってしまうように思ったのだ。少しでも長く、いっしょにいたかった。

 いつもならもう帰る時間だった。

 だけど、どうしても離れがたく、二人は「もう少し」と思いながら、ただ寄り添っていた。



 清原王と嘉乃は、ゆっくりゆっくりと、庭を歩いた。

 月光が煌めく。

 月の雫が木の葉に落ち、跳ねて光が飛び散った。いくつもいくつも。

 嘉乃は清原王に手を引かれながら、「世界がよろこんでいるみたい」と言った。

 そのとき、小さな白い花が舞った。

 しかしそれは月の雫といっしょになり、ふわりと風景に溶け込んでしまった。


 清原王は、聞いたこともない、祥瑞鳥しょうずいちょうの歌が聞こえたような気がした。

 歓びの歌。

 嘉乃が言うように、世界が、自分と嘉乃との秘密の婚姻を祝福しているように感じたのだ。

 握る手に力がこもる。

 ――誰にも認められないかもしれない。

 だけど、きっと嘉乃を幸せにしたいと、清原王は思った。


 別れの場所である四阿あずまやに着いたとき、天から細かい小さな光が降り注いだ。

「きれい……」

 嘉乃は手を伸ばして、手のひらで光を受け留めようとした。

 光は雪のように、手のひらに乗ると、ふっと消えた。

 光はまるで小さな花のように白く輝きながら次々と降り注ぎ、清原王と嘉乃を包み込んだ。美しい祝祭のようだった。

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