第七話

 部屋に戻ると、初瀬はつせが「今日の散歩は長かったわね」と言った。

「あ、うん、迷っちゃって」

「ここ、広いものね。――ねえ、何かあったの?」

「え?」

「顔が赤いから」

「えっ。……何もないわよ」

「そう?」

「うん」

「ならいいけど。……明日も早いから、もう寝よう」

「うん」


 明日。

 明日も会いたい、と月原さまは言った。

 嘉乃よしのは胸の動悸を必死で抑えながら、布団に入った。

 目蓋を閉じると、月原の優しい笑顔が思い起こされた。

 明日も、会えるんだ。

 ――わたしも、また会いたい。

 同じ時間に、四阿あずまやで会うことを考えると、胸がいっぱいになるのだった。


 どうしてこんなに気になるのだろう?

 ……どうして、別れてすぐに、また会いたくなるのだろう?



 嘉乃を見送って、月原はしばらく嘉乃が行った方向をじっと見ていた。

 姿が完全に消えてしまっても、そのまま佇んでいた。

 どうしてこんなに気になるんだろう、と思った。

 どうして明日の約束をしてしまったんだろう、とも思った。

 そもそも、手を繋いで歩いてしまった。――どうしても、そうしたくて。

 四阿あずまやで別れればよかったのに、離れがたくて引き留めてしまった。


 ……美しい娘だった。

 抜けるように白い肌、切れ長の瞳。鼻筋は通っていて、唇は愛らしく。こんな美しい娘は見たことがなかった。

 美しいから、もう一度会いたかったのだろうか?

 ――いや、違う。


 迷ってしまったときの、不安気な顔。

 遣水に落ちそうになったときの、あの顔。

 私の話を真剣に聞く、あの瞳。

 ふとした仕草。

 私の目を覗き込む、真っ直ぐな眼差し。

 もの言いたげな唇。

 月の光が、顔の陰影を濃くして、まつ毛の影をつくった。

 月原は、沸き起こる気持ちを抑えるように、口元を押さえた。


 こんな思いは初めてだった。

 頭から、嘉乃の顔が消えなかった。むしろ、いくつもの表情が姿が浮かんで、ぐるぐると月原の脳内を駆け巡った。

 明日も会いたいだなんて。

 つい、口から出てしまった。――本当は駄目なのだと、頭では分かっていたけれど、止められなかった。


「どこに行っていらしたんですか?」

 ふいに声がして、月原は我に返った。

「いや、庭にいたんだよ」

「いきなりいなくなるのはおやめください」

「すまない、真榛まはり

「分かってくださればいいのです、清原王きよはらおう


 月原――清原王は嘉乃が去って行った方を、名残惜しい気持ちで、もう一度見た。

 明日、また会える――

 清原王の心は既に明日の夜へと向かっていた。

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