新たな遺体

「殺せ! 殺してみろ!」

「くっ…そ」


 握ったナイフを振りかざした時、何かが弾ける音がした。そして白黒の世界が急に色を取り戻す。

 目の前で神々廻ししべが俺を威嚇する様に不敵な笑みを見せた。


 それでも俺はナイフを離さない。痛みも何も感じることができなかった。ただ、未来ミクちゃんの最期がリピートされ、哀しみが怒りが俺を支配する。


碧海あくあ!」


 俺は体が吹っ飛ぶ感覚を覚えた。手に持っていたナイフは俺の手を離れ、神々廻ししべの足元に突き刺さる。それは一瞬のことだった。


碧海あくあ、しっかりしろ!」

「斗真?」

「お前まで、こいつと同じレベルになってどうするんだよ」


 斗真の声と体温が、俺を現実に連れ戻した。


「斗真…重たい」


 その時、自由を取り戻した神々廻ししべがナイフを拾い上げた。ヤバい、来る!


「斗真、危ない!」


 俺は最後の力を振り絞りぐるっと半回転し、斗真に覆い被さった。斗真だけは守らなくちゃいけない。俺は咄嗟にそう思っていた。神々廻ししべに刺されたとしても、斗真に危害が及ばないように。

 俺が普通の生活を送れるようになったのも、斗真が俺を理解し、受け入れてくれたからだ。


 俺は死を覚悟した。と、その時。


 バキバキ…。異様な音が聞こえた。続いてドーーーーンという音、風と砂ぼこりを頬に感じた瞬間、「ぐはっ」という神々廻ししべの声が公園中に響き渡った。


碧海あくあ! 青年! 大丈夫か!?」


 何が起きたのかわからなかった。ただ、俺と斗真を守屋刑事が抱き起こし、「もう大丈夫だ」と言っていることだけはわかった。


「守屋さん、如月さんは? 神々廻ししべは!? う…痛ぇ」

「如月は大丈夫だ。署に連絡してる。もうすぐ助けが来る。がんばれ」


 守屋刑事は神々廻ししべを助けに向かった。



※ ※ ※


 現場は騒然としていた。

 俺は救急車の担架に乗せられ、今まさに運ばれようとしているところだった。気を失った斗真も意識を取り戻し、如月刑事と共に駆けつけた警察官に事情を聞かれていた。

 

 静かな公園は捜査用のライトが照らされて、さながら昼間のようだった。


「大丈夫か?」


 ホコリまみれの守屋刑事がのしのしと歩いてくるのが見えた。


「守屋さん、神々廻ししべは? 何が起きたんですか?」

「それだけ話せれば大丈夫だな」


 俺は酸素マスクを外し、心配顔の守屋刑事をしっかりと見つめ質問する。


神々廻ししべも無事だ。先ほど搬送された。死にやしないだろう」

「よかった…。アイツには聞きたいことがまだあるんだ」


 守屋刑事は眉間に皺を寄せ「よかった?」と怪訝そうに俺を見る。


「お前…何が起きたかわかってないのか? 俺にはお前が奴を刺し殺そうとしたように見えたがな。アイツがタックルしなければ、今頃俺はお前を逮捕しているところだ。ま、気持ちはわかるがな。無茶しやがって」

「すみません…」


 返す言葉もない。俺は未来ミクちゃんの霊を守りたかったんだ。でもこれは俺の行為を正当化できる理由にはならない。

 斗真が真剣な顔で俺を止めてくれなかったら、俺はれっきとした犯罪者になっていた。


 頼りないんじゃない、いつも暴走する俺を闇落ちしそうになる俺を救ってくれるのは斗真だった。言葉では表せないほどの暖かい気持ちが胸の奥底から溢れてくる。俺は一人じゃない。


 俺がしんみりしていると、辺りがざわざわし始めた。鑑識のスタッフが、大きな鞄を持って走りすぎていく。


「出ました! 白骨のご遺体です!」

「守屋さん!? 白骨って?」

「あぁ、さっき工事のフェンスが倒れたんだ。どうしても気になったから掘ってもらったんだ。そこから出たんだな」


 守屋刑事は現場の方を眺め、そう答えた。

 そうだった、このオヤジも感じる何かを持っていたことを俺は思い出していた。


「もう心配するな。後は任せろ」

「で、でも」

「また弥勒にどやされる」


 守屋刑事が救急隊員に目配せする。それを機に酸素マスクが再び俺の口を塞いだ。


「あ、それと…お前さんに渡してほしいと、アイツから預かった」


 そう言うと守屋刑事は俺の腕に爺ちゃんの数珠をはめてくれた。


「アイツ、なかなか根性あるな」

「斗真です、斗真」

「は? 聞こえねーぞ。話しはあとだ」


 俺は閉まる扉を眺め、未来ミクちゃんのことを考えていた。


 未来ミクちゃんはあの日、誰かを待っていた。それは男遊びとかじゃなかった。それをアイツに誤解され、口論となり…とうとう…。


 最期に見た景色は円香ちゃんと同じ、鋭利な刃物だった。「やめて…そ…ら」という彼女の失望した声がまだ俺の耳から離れない。


 あの白骨は未来ミクちゃんだ。


 俺にはそう思えた。

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