対決の時

「如月さん、大丈夫ですかね」

「大丈夫だ。あいつはあれで黒帯の持ち主だからな。大抵の男は簡単に投げ飛ばされるだろうよ」


 守屋刑事の落ち着いたダミ声が腹に響く。心配なのは一緒だ。

 今俺たちは例の公園で身を潜めていた。いつでも飛び出せる場所にいて、雪乃に扮した如月刑事を見守っている。


 時刻は23時をまわろうとしていた。「今日」という時間は、残りわずかだ。誰もが「場所が違うのではないか?」と思い始めたその時、全身黒に身をまとった人影が現れた。


神々廻ししべか!?」


 守屋刑事の拳に力が入る。俺もごくりと唾を飲み込んだ。



未来ミク…?」


 男が如月刑事の側に歩み寄る。彼女はまだスマホから顔を上げない。


 この場所からだと、男の顔のほくろまでは見れない。俺は迷わず奴に向かって歩き出していた。


「お、おいっ」


 守屋刑事の声がはるか遠くに聞こえた。でも俺の体は歩みをとめることはなかった。それは未来ミクちゃんの想いなのか、俺の怒りなのかわからない。でも直接話をしなければならないと思ったのだ。


「お前が、空か?」


 急に声をかけられた男は、驚いて俺の方を振り向いた。その顔は月明かりに照らされ、ハッキリ見ることができた。


 間違いない。左目の下の泣きホクロ、神々廻ししべが目の前に立っていた。


「誰だ?」


 神々廻ししべが、俺を冷たい目で睨み付けている。それでも構わずゆっくりと俺は奴との間を詰めていく。


「何故殺した? 何故…未来ミクちゃんを」

「……!」


 俺の言葉に神々廻ししべの目が大きく見開かれた。イカれてる。そのイカれた目は俺を通り越し、後ろに立っているモノに目を奪われていた。


 俺には分かっていた。


 未来ミクちゃんが姿を現している。俺はゆっくりと意識を集中させた。

 未来ミクちゃん、君の想いを聞かせてくれ。俺がこいつに伝えるから。

 俺はそのことだけを考えて、神々廻ししべに近付いた。今、奴は手の届くところにいる。


 すると、フワッとした可愛らしい声が聞こえてきた。


『ボクちゃん、待ってたよ』


 その声は、神々廻ししべにも届いていた。


未来ミク…」

『もうやめよう。私がずっと側にいるから、もう寂しくないでしょ?』


 俺をすり抜け、彼女は神々廻ししべの前に歩み寄る。周りの生身の人間たちは、時間が止まったように動かない。

 斗真がベンチから立ち上がり、何か言おうとしているのが見えた。全てがスローモーションだ。


「やめろ! 未来ミクちゃん」

『ごめんね、ボクちゃん』


 未来ミクちゃんは立ち止まり俺を見てそう呟いた。

 その未来ミクちゃんの周りに、黒いフードを被った複数の悪意の塊が近寄って来る。


 俺がその気配に気を取られたその瞬間、腹部に強烈な痛みを感じた。


「えっ?」

「お前が、未来ミクを…奪った」


 未来ミクちゃんを通り抜け、神々廻ししべの体が俺にぶつかっている。俺、刺されてる?


『ボクちゃん!』

「くっ…くくく。邪魔な奴は排除」


 次の瞬間、神々廻ししべが如月刑事に襲いかかった。ダメだ! 俺は腹部の痛みに意識が朦朧として動けない。逃げろ! 俺は叫んでいた。


 その時、強烈な爆風が起きた。音もなく激しい空気が如月刑事をぶっ飛ばした。薫くんに吹っ飛ばされた時と同じ現象が起きたのだ。


「み…未来ミクちゃん」

「は、ははは。面白い。いつも空はへまを犯すんだ」

『ユニ…だったのね、空を返して。そして、この人を傷つけることはゆるさない』


 目の前にいる未来ミクちゃんは髪が逆立ち、パーカーは血に染まっていた。その周りを悪意の塊が飛び交っている。

 そしてもう一人、ユニと言われた男は自信満々な笑みをたたえ狂喜に満ちた瞳で未来ミクちゃんを眺めていた。


「死人に会えるなんてな。面白い。面白いぞ! 良いだろう、お前の足をスキャンさせてくれるなら、空のこと考えてやっても良いぞ。マザコンの空ちゃんは、暗闇で膝を抱えてお前が来るのを待ってる」


 未来ミクちゃんはなにも言わず、ジーっとユニをにらみ続けていた。


 異様だと感じた理由はこれだ。空とユニ、彼らは同一人物でお互いを認識し合ってる。


 俺は痛みに耐え、目の前の豹変した男と未来ミクちゃんの側に一歩、また一歩近づく。

 これ以上、未来ミクちゃんを暴走させてはいけない。


「や、やめろ…」

「いいぞ、未来ミク。そこにいる男を殺してくれと、空が望んでる。俺たちで空の願いを叶えてやろう。そして俺の生み出したミクを、完璧に仕上げようじゃないか。お前が羨むパーツを集めてやる」


 未来ミクちゃんの怒りが、ヒリヒリと肌に感じる。ヤバい、このままじゃ。


 瞬間、未来ミクちゃんが神々廻ししべのうしろに周り、首を締め上げた。その顔は悲しみと怒りが同居し、泥の様な血の匂いが辺り一面に広がる。


未来ミク…やめて…ぼ、僕」

『騙されない。ユニ…』

「くっ…」


 神々廻ししべの体が徐々に浮き上がっていく。かろうじて爪先が地面に触れている。

 俺は守屋刑事に助けを求めるも、周りの皆は白黒の世界で止まっているかのように見える。


未来ミクちゃん、ダメだ! 止めるんだ」


 俺の声は届かない。


「こいつを殺して、楽にさせちゃダメだ」

『……』

「君の想いを聞かせてくれ。薫くんと同じとこに行かないでくれ」


 一瞬、未来ミクちゃんと目が合った。俺は迷わず弥勒義兄の数珠に手をかけた。そして思いっきり引きちぎる。


未来ミクちゃん、俺を見て」


 腹の痛みが背中、全身を巡る。それでも俺は未来ミクちゃんに近付こうと、フラフラとたちあがった。


『ボクちゃん…』


 その時、未来ミクちゃんの想いが流れ込んできた。それと同時に俺の周りにも、救いを求める黒い死者の霊が勢い良くまとわりついて来る。


「くっそ、未来ミクちゃん!」

「ははははは、殺せ! 俺が死ねば空も死ぬぞ」


 神々廻ししべの叫びが耳障りな程響く。俺は恥ずかしい程必死に、なりふり構わず前進する。今彼女の哀しみを理解できるのは、俺だけだ。


『ゆるさない…』


 そう言うと、神々廻ししべが握りしめていたナイフが宙を舞い、奴を狙いキラリと輝いた。未来ミクちゃんは、奴の喉をぐいっと露にする。



未来ミクちゃん!」


 俺は叫び、彼女に飛び付いた。触れることは出来ないとわかっていても、俺の体は動きを止めない。


 でも違っていた。

 俺はしっかりと彼女を抱き締めていた。彼女の哀しみ、悔しさ、恐怖。それだけじゃない、楽しかった思い出も全部共有するかのように、俺は彼女をしっかりと抱き締めていた。


「君があっち側に行くなら、俺も一緒に行くよ。もう苦しまないで」

『ボクちゃん…』


 未来ミクちゃんの体から傷跡が消えていく。それを見届けた俺は、ナイフを握りしめる。


「俺が殺る」


 神々廻ししべに殺された皆の怒りが、今俺の全身を支配していた。

 何より、未来ミクちゃんの最期の瞬間が、俺の心をズタズタにする。


「お前のことは許さない」


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