円香ちゃんの最期

「円香ちゃん…」


 俺は真っ直ぐ前を向いて円香ちゃんに声をかけた。

 この部屋にいる如月刑事や山口先生からしたら、俺が壁を見つめながらブツブツ言っている様に見えるだろう。キモさ全開だ。


 そんな二人の声は、どんどん遠く離れていく。


 この場にいたもう一人の人物は、どうやら隣の部屋で検死を受けている男性だったらしく、未来ミクちゃんが『お部屋間違えてますよー』と彼の背中を押して退出させてくれた。これで心おきなく円香ちゃんと話が出来る。


 色を取り戻した円香ちゃんが、照れた様な笑みを浮かべ俺に語りかけてきた。


『私、死んじゃったみたい』


 俺はその言葉でチクリと胸の痛みを覚える。ごめん、見つけてあげられなくて…。もっと斗真に憑いた君と向き合えばよかった、と今更ながらに後悔する。


「円香ちゃん、ごめん。教えてくれ、何があった?」


 彼女はヒタヒタと足音を立て、ゆっくりと自分の遺体の周りを歩く。俺は歩く彼女を観察し、何か俺に伝えたいことがないか静かに待った。


 その時は、音も無く訪れた。


 円香ちゃんがゆっくりと右手を伸ばし、壁際にあるテーブルを指差したのだ。あそこに何かあると言うのか? 俺が彼女の指差す方向に目線を移すと、小さく頷き自分の掌をひらひらと揺らす仕草を見せ始めた。そして小さな声でこう呟いた。


『私は……手』

「手?」


 いきなり俺の思考は現実に引き戻された。まるでスイッチがOFFになったかの様に、目の前から円香ちゃんの姿が消えてしまった。


「ちょっと君、ぼーっとしてないで何か質問はある?」

「あ、すみません。あの、あそこには何があるのですか?」


 俺は山口先生の言葉に取り敢えず謝りを入れつつも、円香ちゃんが指差した場所に移動する。絶対に何かがあるはずだ。


「ちょっと、勝手に触らないで! そこにあるのは、ご遺体が身につけていたものだから、素手で触ったりしたらぶっ殺すわよ」

「大丈夫です。触ったりはしません。でも、見せてください」

「は? 毛髪類は見つからなかったわよ」


 少し気分を害した様に見えたけど、山口先生は円香ちゃんが最期に着ていた衣服や下着が置かれたトレイを、ライトの下に持ってきてくれた。


 銀色に輝くトレイの上に、先ほど円香ちゃんが着ていた白いドレスが綺麗に折り畳まれて置かれていた。所々ボロボロに穴が空き、その近辺はどす黒く赤茶色にくすんでいた。彼女は何を伝えたかったのか、この衣服に何かヒントがあるはずなんだ。


「広げてみてもいいですか?」

「えっ? ちょっと待った、このゴム手袋着用してからにして」


 山口先生から受け取った手袋をはめ、俺は円香ちゃんが着ていた服を広げてみる。白いロングドレス。花嫁衣装の様でもあり、そこまでゴージャスでもない。不思議な作りだった。


「これ、彼女の趣味じゃないと思います」

「そう? ガーリーな服が好きだったんじゃないの? そんな感じの服だけど」

「どちらかというと彼女は、体のラインがわかるような服が多かったような」


 映画を観に行った日のことを俺は思い出していた。ロングブーツにパンツ、そしてダウンの下はVネックのTシャツで、胸の谷間がよく見えていた気がする。こんなに可愛らしいフリフリの服を好んで着るはずがない。


 絶対に何か意味があるはずなんだ。


「彼女がどんな理由でその服を着ていたかどうかは、警察の皆さんの仕事ね。私が言えることは、彼女は最期の瞬間この服を着ていた。そして鋭利な刃物、鋏のようなもので何度も刺されてる。入射角を考えると、彼女は座っていて上からこう振りかぶる様な形で、何度も何度も刺されたってことかな」


 俺はその光景を想像して吐き気がした。円香ちゃんからは最期の想いはまだ聞けていない。でもおそらく山口先生が言っていることは確かなんだろう。


「ひどい…」


 如月さんが口元を押さえ、唸るようにそう呟いた。

 

 円香ちゃんはこれを調べろと言っていたに違いない。探せ、何かがあるはずだ。俺はドレスを裏返し、裾に広がるレースのフリルを探る。続いて穴の空いた胸元に手を伸ばした。


「…!?」

「何?」

「あ、いえ。如月さん、ちょっとみてください。ここ胸元の布が二重になっていませんか?」


 如月さんが俺からドレスを受け取り、ライトの下で確認を始めた。


「この部分、九条さんはご存じないと思いますけど、女性の胸元をサポートするために作られたものですね。おそらく、パッドを入れられるようになっているんじゃないかしら?」

「パッド?」

「胸を少しでも大きく見せるための枕みたいなものですね。でも…肝心なパッドがないですね。どこのメーカーの服なのかしら」


 如月刑事が襟元にあるであろうブランドのタグを見ようと、ドレスを動かした。


「うん?」

「如月さん、どうしました?」

「ちょっとここ。山口先生、ここちょっと見ていただけますか?」


 みんながライトの下に顔を寄せ合う形で、如月刑事の指先に視線を集中させる。

 そこには胸元をサポートするため、補強するような形で厚めの布がついていた。俺にはわからない世界だ。でも、そのテープ状の箇所に少し膨らみがある。


「これは…? ピンセット持ってきてくれる?」

「あ、はい」


 俺は言われるがまま、カートに置かれていたピンセットを渡すと、山口先生は器用にピンセットを使い、中に埋め込まれていたものを拾い上げた。

 それはちょうど左胸の脇あたりにあるほつれに絡まるように入っていたメモリーチップの様なものだった。


 その時、キーーンという金属音と共に世界が白黒に反転した。くそっ、油断していた。

 一気に死者の想いが俺の心に流れ込んできたのだ。円香ちゃんの楽しそうな思い出、子どもの頃の記憶、そして男との出会い。それが瞬間的に一気に流れ込み、俺は収集がつかなくなる。やめてくれ、俺はそうもがいていた。


『何をするの? スキャン? 撮影? なんのために?』


 円香ちゃんの声だ。

 白いドレスを着た円香ちゃんが、男の前でポーズを取らされていた。

 別のシーンでは、タッパーに入った無数の小さなチップを手に取り、胸元を直す仕草を見せる円香ちゃん。その次の瞬間、彼女は口元に違和感を感じ意識を失った。そして目覚めると椅子に縛られて身動きが取れずにいたのだ。恐怖がどっと流れ込んでくる。

 そして、男が両手で鋏を握り締め彼女に振り下ろす。彼女は最期の瞬間まで鋏の先端を見つめていた。これが円香ちゃんの最期の恐怖だ。


「や、やめてくれ」

「九条さん!?」


 円香ちゃんの想いだけじゃない。先ほど隣の部屋で解剖されていた男性の最期の瞬間も映像として飛び込んできた。それだけじゃない、多くの人の悲しみや無念、残してしまった家族への想いがどんどん流れ込んでくる。


『ボクちゃん!』


 未来ミクちゃんの声が聞こえた。俺を抱きしめてくれている、俺はそんな感覚に包まれていた。


 薄れゆく意識の中、ふとこんなことを考えていた。

 自分を救い出せなかった俺たちを、円香ちゃんは許してくれるのだろうか?

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