第02話   甲冑の騎士

 アリエスが崖の縁までやってくると、一匹の巨大な黒い蜘蛛が這い上がってきた。間近で遭遇するとびっくりしてしまうが、アリエスが何もしないでいると、蜘蛛も何もせずに崖下へ引っ込んでいった。


 アリエスはわくわくしながら、崖の縁にしゃがんで真下をのぞきこむ。


「まあ! 本当に、噂通りの!」


 深い深い、大地の割れ目のような奈落の底から、白いレースを編み上げて創ったかのような、三角屋根の城が見えた。屋根の上には蜘蛛たちが這い周っており、お尻から白い糸状の繊維体を出しながら、城を補強しているのだろうか、せっせと編み上げている。


 城の付近には、弓矢を捕らえたまま年月の経過した大きな蜘蛛の巣が張り巡らされていて、がいこつ数体まで逆さまにぶらさがっている様子から、この蜘蛛たちは護衛の役割も果たしているのだと推測した。


「かなり深いですわ……どこから下りて行けるのかしら」


 アリエスが辺りを見回すと、崖の先端ぎりぎりにしゃがんでいたためか、答えがすぐに見つかった。ちょうど真下に、風になびくほど軽い繊維状の梯子が、揺れていたのである。


 さっきの蜘蛛が、後退するように梯子を下りてゆく。レース状の繊細な編み目が、不気味な光景に花を添えている。


「う~ん、運動は嫌いではありません、けど、これは腕がもつか否か……魔王城に入るための試験ですかしら?」


 これも魔王様に逢うためだと己を奮い立たせて、揺れるレースの梯子へと足を延ばして、ゆっくりと下りていった。


 ……しかし、なんでも慣れてくると楽しめるもの。純白の縄梯子は少女の一歩ずつを大きく揺らしたが、少女の口から上がるのは、楽しそうな笑い声だった。


 その異様な光景と、鈴のような声は、城に閉じ込められている『彼ら』にも届き、ある者は窓から少女を見上げ、またある者は、新たな激戦に備えて準備を整え始めた。


「よっと! ハァ、疲れましたわ~」


 左右の大きな柱まで、蜘蛛の作り出す繊維体だった。そこに付着するように佇む両扉は、少女がこれまで見たレースよりも硬度が高く、扉の役割を文字通り果たしていた。


「どうやって開ければいいかしら。取っ手も蝶番もないのですが。ノックなどしたら、どのような音が鳴るのでしょうね」


 臆するどころか、硬い扉を素手でぺたぺた触って「おお、硬いですわ」などと感嘆した声を上げていると、扉が内側から引き開けられた。細い隙間から、ぬっと頭を出してきたのは、羽を模した金属製の装飾が付いた、純白の甲冑の兜。フルフェイスだから、性別も年齢も、表情もわからない。


 少女は目の前の兜の中の両目を、じぃっと見上げていた。少女と同じ薄紅色の虹彩が、ぱちくりしている。


「あ……」


 兜の中から、くぐもった男性の声がした。慌てたように、扉の隙間をもっと大きく作ってくれた。


「外、危ないから、あ、中も危ないんだけど、その、まだ中のほうがマシだと思うから、入って」


「はーい」


 こうしてアリエスは、城の中へと招かれたのだった。



 白銀の甲冑の肩辺りに勲章が大量に輝いているのを見て、初めて見るソレにすっかり目を奪われてしまった。


「まあ」


 アリエスの感嘆のため息が漏れる。


「さぞお強い殿方であるとお見受けいたしますわ、騎士様」


「君は、誰? あ、俺はオーランドっていうんだ。初めまして」


 青年は片手をプレートアーマーに沿えて、丁寧に一礼した。背筋の伸びた、綺麗な作法だった。


「私はアリエスと申します。アリエスとは、羊を意味しますの。このお城へ、生贄の羊肉となるために運ばれて来ました」


「え……ひどい話だな。あ、でも、じゃあ君も『勇者』なのか」


 アリエスの片眉が、ピクリと痙攣する。


「勇者様? 私が?」


「うん。あ、たぶん、そろそろ君にもカードが浮き出てくると思う。それが君の大切なスキルだよ。それを使って、魔王の手下たちを倒していこうね」


「スキル……」


「ごめん、急にこんなこと言われても、わからないよね。あ、逃げるなら今のうちに。カードが出てきちゃうと、城から出られなくなっちゃうんだ。外にいる動物たちには狂暴なのもいるから、食べられないように走って逃げてね」


「出られないとは? 具体的にどうなりますの?」


「外を這いずり回っている、あの大きな蜘蛛を見たかい。アレがずっと追いかけてくるんだ。で、糸を使って、引き戻される。引きずられて、すごく痛いんだ」


「まあ、乱暴」


 さも経験者のように語る青年、オーランド。彼の言うカードとは何かと尋ねると、なんと甲冑に固定されている勲章かと思われたそれらが、そうだった。


「俺のスキルだよ。勲章のうちの三枚がスキルカード。コレのせいで、今まで当たり前のようにできていたことに、回数制限が付いてしまったんだ」


「ええ? 呪いか何かなのですか?」


「俺の他にも、たくさんの勇者がここに囚われてる。そのうちの一人から、いろいろな体験談をもらったよ」


 青年は何も知らずにここへ寄越されたアリエスのことを、気の毒に思った。ここは無垢な少女が憧れ半分で来るような場所ではない。早く城から出ないと、少女にもカードが現れてしまう。


 しかし城の外へ逃げても、魔王が作り出して野放しにしている化け物どもがうようよしている森の中を、一人で突っ切ってゆく俊足が彼女にあるのだろうかと、心配になる。


「魔王ディオメリス様は、どちらにいらっしゃいますか?」


 目を輝かせている少女に、整った細眉を釣り上げる青年。


「それが、みんなで捜してるんだけど、神出鬼没で、いつも突然現れては消えるから、誰も長く話せてないんだってさ」


「短い時間なら、お話してくれますのね」


「あんまり嚙み合わないらしいけどね。敵か味方かもわかんないし、なんで魔王なんて名乗ってるのかも、誰にもわからないんだ」


 肩をすくめた際、肩部位の鎧がカシャリと鳴った。ふと、少女がジーッと青年を見上げて凝視していることに気付く。


「ん? あ、兜か。今外すから、ごめんね、怖がらせて」


 兜を両手で掴んで、ゆっくりと真上に引き抜いて、現れたその顔は、妙齢の男性だった。魔王ディオメリスに、とてもよく似ている。


 さらにアリエスが気になったのは、男性の髪の色が自分と同じ薄紅色である点。故郷が同じなんだろうかと気になったが、


「あの、失礼かもしれませんけど、あなたのお顔……」


「ああ、たぶん俺、魔王ディオメリスと双子なんだと思う。よく似てるって言われるんだ」


 しれっと話す青年に、少女は唖然としていた。


「ほ、ほんとにそっくりですわ。でも、ディオメリス様は茶色の髪でした」


「そうらしいね、会ったことないけど。それじゃ、さっそくだけど、ここでの暮らし方について紹介する。早めに知っておいたほうが、あんたのためだろう」


「ディオメリス様のお城で暮らせるなんて、夢のようですわ!」


「なんで喜んでるんだか……こんな所にいたら、永久に外に出られないかもしれないのに」


「本望です」


「そ、そうなのか」


 こんな勇者は、初めてだった。なるべく刺激しないように、そして優しく教えようと、青年は眉間を押さえて考える。


「えっと、スキルの話までしたよね。じゃあ今度はそのスキルカードを使って、一つ上の階層に上がっていこう。一日一階までしか上がれないんだ。どうしてもね。魔王の部屋は最上階にあるから、とりあえずみんな最上階まで行きたいんだ。魔王がそこで待ってくれてるらしいよ」


「お会いできますのね!」


「……。誰も行ったことないから、本当に会えるかはわかんないけどね」


 青年は天井辺りを眺めた。白い大理石のように見えるこの材質も、魔王が創り出した魔獣たちによる粘液で創られたモノ。城は年月とともに大きく広くなり、このまま勇者達が手も足も出ない状況が続くと、誰も最上階に辿り着けずに魔王の支配する世界がどんどん幅を利かせてくるだろう。


「上の階に上がるには条件があるんだ。スキルカードを使って、各階層にいる『番犬』の動きを封じないと、俺たちの負けってことになって、一つ下の階層まで落とされるんだ。番犬まで落ちてくるんだよ。番犬だった頃の記憶はなくなってるけど」


「ワンちゃんもネコちゃんも好きですわ」


「最後に、これだけは絶対に覚えておいて。あの階段を上ると、たぶん、俺か君の意識が魔王に支配されて、忠実な『番犬』になるかもしれないんだ。俺も今は普通の状態だけど、これまで何度も番犬に変身しちゃってて、仲間と一緒に何度も下層に落ちたんだ。で、今は俺だけがここにいる」


「上に行きませんの?」


「……少し、疲れたんだ。仲間を疑ったり、口論する毎日にな」


 薄紅色の前髪をガシガシと掻き上げて、心底うんざりしているふうな大きなため息をついていた。


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