第4話 誰もいない森の小屋で


 その日は夢も見ずに眠った。

 翌朝、日差しの入る窓を見て、ここは何処だろうと呑気に思う。

 開いたままのカーテンと窓。少し緑がかった窓ガラスの向こうに森が見える。そのことに安堵して床の上で伸びをすると、ずっと重石がかかったような心と身体が少しマシになっているような気がした。


 起き上がって入り口の部屋を覗いたけれどやはり誰もいない。ベッドカバーを戻して、洗面所で顔を洗う。洗面所の鏡の中には相変わらず、鈍色の髪に青鈍色の瞳の痩せて顔色の悪い女の子がいる。身体が以前より重くないのは気の所為だろうか。顔を洗うと少ししゃっきりした。

 森の中なのに小屋の周りは魔素が薄い。ここは魔物があまり出ないのだろうか。ぐっすり寝ていて思う事ではないが。



 食品庫から桃のような果実を出して食べた。これだけでは生きていけないだろう。それにもう残り少ない。小さな魔道具の食品庫には何も入っていないし、家の中には何もなかったような気がする。



 私はこの小屋に着の身着のままで流れ着いた。服もなく食べ物もなく何処に行ったらいいのか分からない。ここで一夜の宿を貰ったけれど、他人の家だし出て行った方がいいだろう。

 ここがどの辺りか分かればいいのだけれど、森の木々に聞いたらまた教えてくれるだろうか。そういえばここを教えてくれた木々にお礼を言ってないわ。


(この小屋の持ち主に感謝を、ここを教えてくれた存在に感謝を──)



 お礼に桃の実をここに植えて行こうか。

 もしかしたら芽が出て実が生るかもしれないし。


 私は食品庫から桃の実を取り出して家の外に出た。振り返って小屋を見る。不思議なことに外から見る小屋は、相変わらず朽ちかけたボロい小屋だ。

 首を傾げて、まあいいかと日当たりのいい場所を探す。木の枝を拾って良さげな所に穴を掘って桃の実を入れた。


(立派な木に育って、美味しい実を生らせてね)


 のんびり土をかぶせていると、ヒュンと風のような音がした。


 音がした方を見ると、背の高い男がひとり小屋の中を覗いている。

 ここの持ち主だろうか。どうしようと思いながら、私はドレスの裾をはたいて立ち上がった。


 男は振り向いて私を認めた。

「君は誰だい。どうやってここに来た?」

 それは咎める風ではなく、少し驚いたような様子だった。



 男は濃いグリーンのローブを纏っている。

 ローブの内側から、金にけぶる髪が緩く流れ落ち、エメラルドに煌めく瞳がじっと私を見つめ、薄くて形のよい唇が、心臓に響く魅惑的な低音ボイスで言葉を紡ぐのだ。



 いや、本当にどうしよう──。




 美しいとか綺麗とか、そんな言葉では言い表せない。

 存在そのものが尊い──。

 神なのだわ、神。神以外にあり得ない──。



「どうしたんだ」


 私の時間は止まり、ボケらとその人物を見るだけだった。足の長い男は一足飛びに私の側まで来て首を傾げた後、顔の前でパチンと指を弾いた。


「へっ、やっ、はっ」


 私は余計に挙動不審に陥って、手や顔をジタバタと動かした。男は私の頭に手を置いて、宥めるようにポンポンと撫でる。


「落ち着け」


 いや、コレが落ち着いていられようか。私は真っ赤に染まった頬を、先ほど土を掘り返して汚れた両手で覆った。ハッと気付いた時には、頬が泥でじゃりじゃりとして、それを拭う物はドレスの胸元に入れた例の護送兵が私の口に頬り込んだ布切れしかなく、それでごしごしと拭えば胸が露わになって──。


「きゃああぁぁぁーーー!!」

 私は余計に慌ててパニックに陥ったのだった。



「うっうっうっ、も、申し訳ありません」

「……いや」

 彼はポケットからハンカチを出して私の頬を拭いてくれた。


 神が、私の頬をハンカチで拭いてくれている!

 こんなみっともない顔を、姿を、神の目に晒すなんて──。


 しかし、呆けている場合ではなかった。この人はもしかして、いや、もしかしなくてもこの小屋の持ち主だろう。


「も、も、も、申し訳ありません。私はステラと申します。無断で小屋を拝借いたしました。お叱りはいかようにも──」

 私は手に持った布切れを胸の中に押し込み、必死になって謝罪をした。



「ステラ。星だね」

 その人はニコリと花のように笑ったので、私の時はまた止まってしまったのだ。

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