英雄騎士
◆◆◆
「――生きている……?」
意識を取り戻したアルサーが最初に感じたのは、たゆたう体の感覚だった。
周りの地形が変わっているのは、大魔法の余波によって大きく流されたせいだ。
一歩間違えれば自爆になりかねない威力の魔法を至近距離で使ったにもかかわらず、彼女は幸運にも生を掴み取っていた。
ゆっくり仰向けに海中を漂っていた身体を起こすと、ほんの少し先には愛すべき家族たちが暮らすサンゴ礁がある。
警戒と防戦のために武装する者達の一団がいるものの、取り立ててカタス・アレマグによる大きな被害はない。
「ああ……よかった」
自分は守りたいものを守れたのだ。
ぼんやりする意識で、彼女は大きく安堵した。
何人かのマーメイドが自分に向かってくるのが見える。きっと迎えに来てくれたのだろう。さて、どんな顔をして会えばいいのか。
ぼーっとする頭でそこまで考えたアルサーが街に向かって手を伸ばす。誰かが何事か叫んでいるようだが、上手く聞こえない。
「ごめんなさい。耳が遠くなったみたいなの」
そう伝えた。
その後、更に近づいてきたマーメイド達の表情が見えた。
険しく、引きつるような悲壮な表情が。
「お逃げくださいマジョ様!!! 早くッッッ!!!」
「え――」
ぞくりと肌が泡立つ。
どうしてそんな言葉をかけるのか、アルサーはすぐには分からなかった。
使い慣れている探知魔法を展開する。
すぐ傍に、超巨大な質量の反応があった。
「!!!」
反応がした方向へ顔を向ける。
アルサーの顔が、みるみる絶望のソレへと浸食されていく。
「そんな…………」
間違いなく直撃したはずだった。
仮に退治できなかったにしても、痛手を負って撤退はする。その目算があったからこそ、大魔法を使ったのだ。
だというのに。
「グオオオオオッッン!!」
無傷。
少なくとも視界に入る範囲内のどこにも、ダメージの跡が見受けられない。
暗く黒い海の向こうから、カタス・アレマグがぬっとその姿を現した。進行方向には、確実にサンゴの街が入っている。
「……………ッッ」
アルサーの瞳から、大粒の涙があふれ出て、海の一部として消えていく。
今更ながら理解した。理解してしまった。
カタス・アレマグが魔物の群れを率いていたのは何故か?
それは彼の者の体内から、魔物が出てくるから。おそらくその身体にはたくさんの魔物が潜んでいる、移動する住処のようになっているのだ。
何故、カタス・アレマグが無傷なのか。
それは彼の者が魔法に特化した強力な障壁を展開しているためだ。
アルサーが使う万能障壁ではなく、種別としては『魔法が力を失う』障壁。背部に備わった大きな水晶、生まれつき備わった魔法使いの天敵となる特殊能力。
どおりで平然としていたはずなのだ。
アルサーの魔法はどれも人間としては最高レベルのものなのに、一切通じなかった理由がそこにあった。そもそも、サイズ差以前に相性が悪すぎたのだ。
何故いつまでもあの街に向かっていくのか。
それは習性によるもの。彼の者は、より大きな魔力が備わったものを喰らう。マーメイドが暮らす巨大サンゴ礁は膨大な魔力を含んでおり、長年形成されたアルサーの結界もある。。
元々備わっていたの宝石のような珊瑚の魔力にアルサーの魔力が交じりあった街は、真っ先に喰らうべきご馳走に違いない。
「あ…ああ……」
アルサーは両手で顔を覆った。
この先に待ち構えている、避けようのない絶望的な未来が見えてしまったのだ。
打つ手が、ない。
自分はすべてを出し尽くしてしまった。取るべき道を誤ってしまった。
いっそのこと住処を放棄して、皆で逃げていれば……まだ生き残れたのに。
無数の後悔が彼女の心を暗く、破滅の色に染めてゆく。
「ごめんなさい、ごめんなさい皆」
そう謝罪する間にも、マーメイド達と魔物の戦いは始まっていた。
次々と襲い来る魔物の群れに対して、戦えるマーメイド達が槍と魔法で抵抗する。
だが、仮に魔物を倒せたとしても、王たるカタス・アレマグに襲われればあの街は消えてなくなるだろう。そして、その時はすぐそこに迫っている。
ウミのマジョは、必死に取るべき道を探ったが何も思いつかなかった。
泣きじゃくる子供のように、うずくまって動けない。
「逃げ――――」
助けにきたマーメイド達。アルサーの真の姿を知る近しい者達が黒い弾丸に弾き飛ばされる。
カタス・アレマグの大きく開かれた口がアルサーの目前にあった。
「あ……」
あっけない終わり。
こんな最後を迎えるなどと、アルサーは考えもしなかった。
――誰か。
もはや刹那の時に、願うことしかできない。
――お願いします、誰か助けてください。
神様。
自分はどうなってもいい。だから、マーメイド達を救ってほしい。
絶対的な死を前に、そう強く願うしかなかった。
かくして、その祈りは――――神には届かない。
その代わり――。
「自分はどうなってもいい。そんな悲しいことは考えるなよ」
一人の青年には、届いていた。
「え」
大きく振り抜いた槍の強烈な一撃が、巨大なカタス・アレマグの頭部を弾き、巨大な質量を海底へと叩きつけた。
「グオオオッッンン!!?」
明確にダメージを与えたとわかるような唸り声が上がる。
邪魔が入った。許さない。そんな怨みが籠っているような咆哮。
相手の怒りなど全く気にせず、彼の騎士は愛用の武器を構えながらアルサーの前に立った。
お伽噺に出てくる、英雄のように。
「ど、どうし、て…………」
くしゃりとアルサーの表情が歪み、堪えるように唇を噛む。
幻覚ではない。
確かにその青年は、すぐそこに存在する。
「これでも立派なお姫様から認められた騎士の端くれでね」
恐怖も絶望も無く、彼は強大なモンスターの前へ自ら進みゆく。
「誰かを守る。そのための理由なんていらない」
大きすぎるその後ろ姿に、今度こそアルサーは人目も憚らずに泣き崩れていた。
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