マジョの命を賭けた魔法戦

「マジョ様の作戦が始まったぞ!」


 魔法による通信を受ける役目を持った兵隊が大声をあげる。

 念話の魔法はアルサーに師事した者しか使えないため、防衛線全体に届けるための大事な役目だった。


「さすがマジョ様!」

「でも、どんな感じなんだ? モンスターの数は?」

「待て……うん、うん。どうやらマジョ様の魔法で、雑魚の大半は吹っ飛んだらしい」


 街を守るために扇状に陣取っていた戦士達から歓声が沸き起こった。

 それぞれが武器や腕を突き上げて、親愛なるマジョの戦果を讃えている。


「ただ、全部倒せたわけじゃない。すぐに第二波が来るかもしれないから油断はしないようにと」

「おうさ!」「任せろ!」「取りこぼしはしないぜ!」

「マジョ様が一番厄介な奴の相手をしてんだ! それ以外から街を守るのはオレ達の仕事だ。全員気張れよ!!!」


 誰かの鼓舞に、皆が口々に同調する。

 ……本来であれば、この場にいる誰しもがマジョの供として最前線に向かいたい気持ちだった。だが、アルサーに止められては、「足手まとい」と言われてはそれも叶わない。


 だからその分、街を守る役目を皆が全うしようとしている。

 士気は高い。これなら多少の襲撃ならビクともしないだろう。


 リーダーの一人として戦線に加わっているウレイラの父・ガハボラも、そう思っている。彼は彼形に狩りの豊富な経験からしっかり考えていた。


 もし。万が一にでも。

 カタス・アレマグが海の街まで押し寄せた場合、犠牲者が少なくなるように立ち回らなければならない。


 それもまた今回の撃退作戦が始まる前に、アルサーが指示していた事の一つだ。


『いいかい? カタス・アレマグは私がどうにかする。あんた達はアイツが引き連れてくるであろう雑魚の相手をしな』

『先に釘を刺しておくけど、一人じゃ危険だなんて言うんじゃないよ? これはあくまで少しでも犠牲を減らすために必要な役割分担だ。負担の大きさで決めてるんじゃなく、出来るか出来ないかで判断してるんだからね』

『こっそり付いてくるなんてのも無しだよ。モンスターにやられるより先に、あたしの魔法で黒焦げなんて笑い話にもならないだろ』


『ま、どれだけ備えようと万事全てが上手くいく事は無いからね。だから、もしもの時は――』 


 最悪、事前にアルサーが話していたように。

 街を放棄することになるかもしれない。つまりそれは、誰よりも長く生きたウミのマジョたるアルサーの敗北を意味する。

 

「マジョ様、頼むから無理はせんでくださいよ……」


 アルサーが戦っているであろう方向を見やりながら、ガハボラはひとり呟いた。


 「くぅ!」


 アルサーの口から苦しそうな声が漏れる。

 カタス・アレマグを相手にしてから、彼女は幾度となく魔法による攻撃を試みた。水の槍、爆発、氷結、雷、その辺のモンスターであれば確実に仕留められる威力の魔法のはずなのに、まるで効果があるように見えない。


 とにかくサイズが大きすぎるのだ。


 アルサーが威力のある魔法を放っても、ビクともしない。長年の経験からしてモンスターには弱点となる魔法がひとつは存在するのだが、今のところどれも大して効いていない。

 カタス・アレマグの進路は変わらず、サンゴの街がある方角だ。


「こんな美女を前にしてつれないじゃないか。少しは構っておくれ!」


 元々アルサーもカタス・アレマグを簡単に倒せるとは考えていない。

 そもそも倒す事は必須ではない。

 最も優先すべきは、この化け物を街へ行かせないこと。

 仕留められれば最高。撃退して遠くへ追いやればそれで良し。大きく進路を変更させるだけでもお釣りが来る勝利だ。


「だったらコレはどうだい!」


 ダメージを与えることを一旦諦めて、アルサーはカタス・アレマグの目前にまばゆい閃光を生み出した。


「グオォォォォン」


 さすがにソレには気づいたのか。カタス・アレマグが頭部を振って嫌がるそぶりをみせた。

 効果ありと察したアルサーが続けて二度三度と閃光を生み出すと、モンスターの赤い目がアルサーを睨みつけてくる。


 情人であればソレだけで体が竦んで動けなくなるような眼光に対して、アルサーは鼻で笑って返した。


「いるかどうかもわからない虫から、目障りなハエくらいには思ってくれたようだね。まったくこんなイイ女をスルーなんて見る目がなさすぎるよあんたは」


 そう口にした直後。

 カタス・アレマグの巨大な前肢がアルサーに向かって振るわれた。直撃すれば、アルサーは一瞬で海の藻屑になるだろう重い攻撃。


「っと」


 冷静に前肢の射程と軌跡を読んで、アルサーは回避する。

 魔法を駆使したアルサーの動きは、泳ぎに長けたマーメイドにも劣らない。海中を空中でも飛んでいるかのように移動できるため、攻撃範囲が巨大でもスピードが遅ければ避けるのは難しくない。


 カタス・アレマグからすれば、その動きは非常に不快なものだろう。


 人が飛びまわるハエを追い払おうとするかのように、前肢を何度も何度も振ってくる。その度に水中に渦のような流れが生まれ手、アルサーの泳ぎを阻害してきた。


「力技にもほどがあるね!」


 直接前肢に当たることはなくとも、その流れに呑まれないよう動き回るのはアルサーを持ってしても神経を削る繊細さが必要となる。

 少しでも泳ぐ方向を間違えたら、遥か遠くに流されてしまうかもしれない。最悪の場合はラッキーパンチの直撃で問答無用のゲームオーバーも有りうるのだ。


 ミスは許されない。


 相手が自分を邪魔に感じている内に、カタス・アレマグをサンゴの街から遠ざけねばならない。少しでも自身を「取るに足らない存在」と認識させたらダメなのだ。


 避ける。閃光。

 避ける。閃光。

 避ける。閃光。


 その繰り返し。一度失敗すれば一息で終わる、命がけの攻防。


「はぁ、はぁ……まだまだ!」


 どれだけやっても対象は何キロも移動していない。

 ほんのちょっと移動方向がズレただけで、まだまだ化物の進路は完全に変わったわけではないのだ。


 ――それでも、アルサーは上手く誘導している方だった。


 海底の岩盤や突き出した山の隙間を縫うように泳ぐ。カタス・アレマグは気にせず障害物となる岩を破壊しながら向かってくるが、その分スピードが落ちる。


「かなり近づいてきたね」


 とびっきりの罠は用意してある。

 事前に仕掛けを設置したそこまでカタス・アレマグを誘導できれば、勝利条件は満たせる。少なくとも彼女はそう考えて、こうして命がけの勝負を挑んでいるのだ。


「よし、このままなら……」


 勝てる。

 そうアルサーが確信しかけた時。


 “ナニカ”が、アルサーの背中めがけて飛んできた。


「ッ!?」


 反射的に魔法障壁を張ったアルサーが、ナニカを受け止める。

 防御を突破はされなかったものの、頑丈な障壁には幾筋もの亀裂が入っていた。もし一瞬でも展開が遅ければ、防ぎきれなかったと予感させる程の威力。


 そのナニカの正体は――。


「黒い、鱗?」


 より正確にはひどく重くて質量がある鱗の様な形をした革の弾丸、だ。

 目をこらせばカタス・アレマグの前肢を初めとした肉体の一部が細かく盛り上がり、カタス・アレマグから発射された。しかもそれは一発ではなく。


「グオオオオオオン!!」


 主の咆哮に合わせて、無数に飛んでくる。

 慌ててアルサーは自身をぐるっと囲むように障壁を球体状に展開すると、一直線に飛んできた複数の弾が障壁と衝突し砕け散る。その度に、アルサーの腕に重い衝撃が伝わった。


 彼女は直感する。

 受け止め続けたら、いずれ障壁が破られる。その証拠に展開した障壁の一部にまたもや亀裂が走り、この短い間に破壊されかけていた。


「距離を!」


 一度その場から離れようとするアルサーだったが、今度は後方から攻撃を受けた。カタス・アレマグの攻撃は一直線だけではなく、弧を描きながら背後からも飛んできていたからだ。


 その対処に追われて、また正面からいくつもの弾が。続けて左右から、次は再び後方。前後、左右、時には上下から無数の弾が襲い掛かってくる。


「逃げ場が……ッ」


 なんとか後ろへ下がりながらも、アルサーは一気に防戦一方に陥った。

 降り注ぐ雨のような弾丸によって頼りの障壁が一枚、また一枚と砕け散って縮んでいく。


 本来なら全力で撤退したいが、カタス・アレマグの飽和攻撃が止まらない。相手は鈍重ではあるかもしれないが、何しろサイズがサイズだ。その前肢のひとかきでアルサーの後退と同等かそれ以上の速度で進める。


 距離を取る。追いつかれる。

 飽和攻撃。攻撃を防ぐ。


 状況は相手に圧倒的に有利で、アルサーに不利すぎる攻防戦へと変貌していた。

 だが既に、アルサーは思考を切り替えていた。


「……いいよ、その調子だ」


 敵が完全に自分に集中しているのであれば、囮役になれる。

 少しずつでも移動していけば、そのぶんサンゴの街から引き離せるのだから。今の状況を繰り返していけば、目的達成に近づく。


 自分一人だけなら、逃げ切れる可能性もゼロではない。

 まだ使える手立てはあるのだから。


 視界いっぱいに展開された弾幕を必死にさばきながら、アルサーは唇の端を上げた。隙を見計らって、一発ぐらいかましてやろうかという気概もあった。


 そのほんのわずかな攻撃態勢に入った瞬間。

 巨大な壁が、黒い弾丸の残滓で淀んだ海の向こう側から迫った。


「!!?」


 カタス・アレマグの前肢だ。

 弾幕で視界が塞がったところに飛んできたソレは、一際大きく展開した障壁をあっさり粉砕。アルサーの身体を大きくはじき飛ばし、隆起した岩盤に強く叩きつけた。


「……ゴフッ!」


 アルサーの口から多量の血が飛び出す。

 全身がバラバラになったかのような痛み。障壁がなければ即死だったかもしれない。


「…………参ったねぇ」


 多少得たはずの余裕は、一瞬で吹き飛ばされてしまった。

 カタス・アレマグを単身相手にして引き付けるという行為がどれだけ難しいか。今更のように彼女は再認識する。


 幸運か不幸か。

 化物は目障りなアルサーを仕留めようと、ゆっくりと迫ってきていた。これで無視されて街に向かわれたら目も当てられない。これまでの苦労が水の泡どころの話ではないのだ。


 なんとか動き始めたアルサーが周囲を魔法で確認する。

 カタス・アレマグだけではない。その向こうには、海の魔物達の第二波が迫っていた。たった一匹の大物だけでこの有様だというのに、本当に笑えない。


『アルサー様!! ご無事ですかアルサー様!?』

『ああ、聞こえてるよ』


 伝達役の念話で届いた呼びかけに反応すると、安堵と焦りの声が響いた。


『よかった……こちらからはもうあなたの姿が見えなくなっていて』

『心配かけてすまないね。化物相手は骨が折れてねぇ』


 実際骨はいくつかイッている感覚があった。

 真に不老不死の青年騎士と違って、アルサーには強力な自己再生能力などないので気休めの回復魔法ぐらいしか使えない。


『現状報告をします。カタス・アレマグについてきた魔物の群れが、街に向かおうとしているようです』

『なんとかなりそうかい?』

『……しなければならないでしょう』


 悲痛な覚悟がこもった声色だった。

 そんな気持ちにさせてしまった事を、アルサーは心の中で「ごめんなさい」と詫びる。

 

『わかった。じゃあ、あんたも向こうの応援に行ってやりな』

『し、しかし』

『ひよっこが余計な気を遣うんじゃないよ。危ないから、さっさとお行き』

『…………ご武運を』


 通信魔法を切ると、アルサーはもうひとつの魔法も解いた。

 豊満な体のウミのマジョから、隠していた柔和な細身の女性の姿へと戻る。


 長い時を生き続けて、理解者のいない孤独によって感情が失われていた自分。

 だが今は、今だけは、自分と心を通わせ共に暮らしてくれた家族のために。


 臆病な自分を振りほどいて、闘う覚悟を決めた眼で敵を見据えていた。


「来なさいカタス・アレマグ。ウミのマジョと讃えられた女の恐ろしさを教えて差し上げましょう」


 彼女を中心に迸る巨大な魔力の奔流。

 その力を集めるように杖を掲げた。


 周辺の海が、青く輝き、カタス・アレマグと同等以上の魔法陣が水底に展開される。青い魔力の粒が一つ、また一つ、気づけば埋め尽くすような光の欠片となって収束していく。

 

「はあああああああぁぁあぁ!!!」


 はちきれんばかりに集まった莫大な量の光が、魔力が、作ったのは発射口。


「我が前に立ちふさがる敵を」


 ――お願い。私の命なんて全部あげるから、どうかッッ。

 祈るように、女は限界まで魔力を引き絞る。


「穿て!! 大海の敵を!!!」


 最後のトリガーが引かれ。

 何もかもを呑み込む、巨大な青い光の激流が真下から突き上げるような形でカタス・アレマグを直撃した。


 その力は遠く離れた場所にいた、街へ急ぐ通信役のマーメイドの目にもハッキリと見えた。


「あ、あれは!?」


 天変地異を想像させるほどの魔法。その威力は凄まじくカタス・アレマグだけではなく、強大な魔法は近くにいた魔物達すらも呑み込む。

 

「マジョ様ッ、まさか……」


 通信役の目から、涙が零れる。

 何故かはわからない。ただ、光り輝く魔法の奔流にマジョの底力を感じたのだ。


 そして、敬愛すべきウミのマジョに別れを告げられたような。

 そんな悲しみが、彼の心に沸いていた。


 

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