王子様には成れないけれど


 ◆◆◆


「大事ないか?」

「…………」


 泣きはらした瞳を隠すように、アルサーがコクリとだけ頷く。

 もちろん強がりだ。

 服も体もボロボロで、傷ついていないところを見つける方が難しい。


「無事ですかマジョ様! って、やだ!? どこもかしこもズタボロじゃないですか。ええと回復、回復の魔法は?!」

「ウレイラ、あなたまで……どうしてここに」


「叱ってやるなよ? オレが無理言ってここまでついてきてくれたんだ。どうしたって海中にはウレイラの魔法が無いと来れなかったんでな」


 軽口を叩きながら、グラッドはじっとカタス・アレグラを見据えた。

 この場に現れるまでに彼の化物については聞いていたが、そのサイズはグラッドの予想よりもずっと大きく、正に小島だ。


「事情は聞いたよ。オレだけ安全な場所へ逃がそうとするなんて……危うくビビッて敵前逃亡したダメ騎士になるところだ」

「……あなたは旅人です。どうして危ない目にあわせられるというのですか」


「そうだな、気持ちはわかる。でも、オレは、知らないのは嫌だった……嫌だったんだよ」


 グラッドの胸中に、過去の仲間たちが次々と思い浮かぶ。

 自分を残して先に逝った英雄達ならどうするか。考えるまでもない。


「後悔はしたくない。あいつは、オレが倒す」

「グラッド……」


 その言葉に勇気づけられたアルサーがもう何度目になるかわからない涙を零すと、グラッドは彼女を抱きかかえてウレイラを呼んだ。


「今のうちに一回街に戻る。ウレイラ、頼むぞ」

「了解!」


 ウレイラはグラッドの手を引くと、勢いをつけて一直線に加速する。

 途中、マーメイドとモンスターが交戦する戦場にさしかかると、グラッドが叫んだ。


「さっきと同じ要領で、オレだけ飛ばしてくれ! その後はモンスターのいるところへ誘導」

「さっきみたいな無茶をもう一度やる上に誘導!? ああーーーもう、やったらーーー!!」


 やけっぱち気味に声を上げると、ウレイラはアルサーをしっかり受け取ってからグラッドを勢いそのまま前方へとぶん投げた。

 ひねりと回転による加速こそ無いものの、それ自体はマーメイドが狩りをする時に使う海魔の槍と同じ要領だ。グラッドの全身を魔法の水流が押し出し、更に加速させる。


「うらあああ!!」


 みるみる近づいてくるモンスターの群れを、グラッドが薙ぎ払った。

 ウレイラからすればただ一度だけ槍を振ったようにしか見えなかったが、たったそれだけでモンスターの大半がバラバラと物言わぬ屍となり、消えていく。


「今だ、押し返せ!」


 英雄の号令に合わせて、槍を携えたマーメイド達が攻勢へと転じる。

 あまりにもあっけなく、拮抗していた戦場はマーメイド側の優勢へと傾いていく。


 グラッドは続けて近くにいるモンスターをなぎ倒しながら、戦場を駆け巡った。移動はウレイラの魔法に任せているため、声をかけながら誰一人としてこれ以上の犠牲者を出さないことに専念できる。


「皆は街の中へ退避しろ! 無事な奴は負傷者に手を貸してやれ!」

「あ、あんた……どうして」


「戸惑ってる暇はないぞ、急げ!!」

「わ、わかった。皆、街まで引けーーーーーー!!」


 指揮官の号令を受けて、マーメイド達が次々に町の方へと戻っていく。

 その様子をグラッドが見守っていると、すぐ横に覚えのある気配が近づいてきた。 ガハボラだ。


「グラッド! ははっ、このバカ野郎、どうしてココにいやがる! 地上に帰ったんじゃねえのかよオイ!!」

「お姫様に泣いてお願いされたんでね。断ったら男が廃るってものだろ?」


「そりゃ、うちのお姫様には後でキツく言ってやんねえとな。お前は男を見る目がある、こんなイイ男を逃がすんじゃねえぞってな」

「勘弁してくれ」


「ガハハハハ!! まあ、でも来てくれたのはありがたいけどよ……」


 ガハボラの視線が、今はまだ離れた場所でもたついているカタス・アレマグへと向けられる。モンスターの群れをどれだけ倒せようと、この場におけるもっとも大きな脅威は未だ健在だった。


「後悔してねえか?」

「しないためにココに居るんだ。さ、あんたも街へ戻ってくれ」

「おいおい、オラァまだ元気バリバリなんだ。幾らでも手を貸すぜ?」


 たとえ、どれだけ無謀であろうとも付いていく。

 そんな男気をグラッドはとても嬉しく感じたが、ゆっくりと左右に首を振った。


「犠牲を出さないために必要なことなんだ。手を貸してくれるというなら、仲間を安全なところに連れていってくれ」

「…………なんか手立てがあるんだな?」


「ああ」


 迷いも曇りもない返事。

 ガハボラが、青年の答えを信じて街へと戻っていく。


「ふぅ……」


 グラッドはわずかに乱れた呼吸を整えると、少し遅れてアルサーを伴ったウレイラが追いついた。


「すっごいじゃんグラッド! あんな一瞬でモンスター達を倒してくなんて、さすがあたしの王子さま!」

「ウレイラは元気だなぁ。少しも休まずに、限界以上のスピードで海を泳いできたってのに」

「元気も元気! なんか今なら超頑張れそうな気がするよ!!」


 ふんすふんすと意気込み荒く宣言するウレイラは、妙にハイテンションだった。そうでもないとやってられないといった様子でもある。

 地上に戻ってから故郷に迫る危機に対してグラッドに訴え、とんぼ帰りで戻ってくるまで。彼女は一睡もしてなければ、一休みもしていない。

 頑張りすぎてリミッターが外れているような物である。きっとこの後、彼女は一気にひどい疲れを感じて寝こけてしまうだろう。


 無理をしているウレイラをなるべく早く休ませてやりたいのはグラッドも山々だったが、今はすぐそこにある脅威――巨大な化物をどうにかしなければならない。そのためにはウレイラにはもう少し頑張って貰わなければならなかった。


「で! この後はどうするの!」

「ひとまずアルサーを安全な場所まで運ぶ」


 並走するように移動しながら、グラッドは話を続けた。


「後、今から言うことで出来る事があれば教えてくれ」

「はいはい、なんでしょね」


「あのデカブツを、どこか遠くに転移させることは?」

「無理! やれるならもうやってるから!」


「じゃあ、この辺り一帯の海水を一時的に失くすとか」

「なにそれどゆこと!? 見たことも聞いたこともないよそんなの」


「だったら、街に張ってる結界を新たに張る事は出来ないか。サイズはオレ一人分」

「そ、それならなんとかイケるかも」


 三度目の質問で得た満足いく答えに、グラッドがニッと口角を上げる。

 逆にウレイラは不安そうだ。


「でも、あの結界にはそこまで高い防御力はないよ? あんなでっかいモンスターの攻撃力じゃ十秒も持たないと思う。攻撃をずっと防ぐには足りないってレベルじゃない――」

「それで十分だ。設置場所は、街とデカブツの間にあるなるべく平らな海底で頼む」

「え!? グラッドに直接使うんじゃなくて?」


「いいんだそれで」

「よ、よくわからないけど……ほんとにそれでいいのね?」


 再度の確認にグラッドはただ頷き、ちょうど敵と街の中間にきた辺りでみずからウレイラの手を放して白砂の海底へ降りていく。


 指示通りにウレイラが魔法を使って、極小規模の結界を張っていく。

 なるべく、気持ちと魔力をこめて、全力で。


「ウレイラ」


 グラッドが、短くウレイラの名を呼ぶ。

 どこか申し訳なさそうな、晴れない表情だった。


「オレは、キミの王子様にはなれないが」


 言葉を一度切ってから、青年は続きを紡ぐ。

 決意と覚悟を伴わせて。


「必ず、キミの大切な人達を守ってみせる」


 そこに込められた大きな気持ちを受け取りきれないまま、ウレイラはその場から離れていく。


「…………さて、覚悟しろよ」


 結界の中に入ると同時に、グラッドが感じていた水の抵抗が消える。

 ようやくこれで、地上とあまり変わらない土俵で戦えるのだ。


 ◆◆◆



 街はマーメイド達でてんやわんやになっていた。

 怪我人の治療、人員の確認、逃げるための算段。恐怖で身体が竦む者も少なくない。


 どれもおかしくはない。

 すぐ傍に、長年住んできた住処を破壊しようとする怪物が居るのだから。


「これで全員戻ったか!?」

「まだウレイラとマジョ様が戻ってないぞ!」

「いや、あれを見ろ! 二人がこっちに向かってるぞ!!」


 勢いよく結界内に入ったウレイラが急ブレーキをかけて前のめりになる。

 愛娘がゴロゴロと転がるのを止めるために受け止めたのは、ガハボラだった。


「私はいいから、アルサー様を急いで診てあげて!!!」

「アルサー様!? そのお姿はっ一体」

「いいから早く!」


 駆けつけた救護班にアルサーを託し、一息つくウレイラ。

 そんな愛娘を父は強く抱きしめた。

 

「よく戻ったなバカ娘! まったくお前と来たら、とんでもない味方を連れてきやがってッッ。恩人に何かあったらどうするつもりなんでえ全くよぉ!」

「ごめんなさい! 後で幾らでも怒られるから!」

「怒れるわけねえだろ!! ありがたすぎて涙が止まんねえよ!」


 親子の再会が行われる中、近くにいた仲間のマーメイドが割って入る。


「ちょっとちょっと、親子ケンカはイイから。そのとんでもない味方のグラッドさんはどうしたんだよ。一緒じゃないのか?」


「グラッドは……あそこにいるわ」


 仲間の一人がした質問に対してウレイラは、指で示した。

 動けるマーメイド達の多くが、その指先の方を確認すると街とカタス・アレマグの中間地点に張られた小さな結界内にグラッドの存在が確認できる。


「なんであんなとこに……?」

「ってか、魔物は!? あんなに群れをなしてた奴らはどうしたんだよ」

「お前見てなかったのか? ほとんどあの人が一人でぶっ倒してただろ」


 目撃した者、できなかった者。

 それぞれが口々に声を出す中、ウレイラだけが一瞬も見逃すこと無くじっとグラッドの様子を見つめていた。


「王子様。あなたはどうするつもりなの? まさか、自分が囮になって逃げる時間を稼ぐなんて真似はしないわよね?」


 だとすれば自己犠牲にも程がある。

 もしそれでマーメイド達が逃げおおせたとしても、生き残った誰しもがグラッドを犠牲にしてしまった事を深く悔いるだろう。


 ウレイラに至っては後悔するだけでは済まない。

 場合によっては、自分のせいで王子様が犠牲になった悲しみに押しつぶされて後を追う可能性すらあった。


「……無茶だよ、グラッド」


 いたたまれない気持ちに負けたウレイラが飛び出そうとする。

 しかし、それは肩に乗せられた大きな手によって留められた。


「大丈夫だぁ、ウレイラ」

「パパ……」

「あいつからは諦めが感じられなかった。自分の身も含めてだ」

「…………」


 父と娘が会話していると、後ろでわっと歓声とどよめきが上がった。

 応急処置を受けたアルサーがよろよろと立ち上がり、ウレイラ達の方へと歩んできたのだ。


「アルサー様!? ちょっとまだ大人しくしてないとッッ」

「いいえ、そんな暇はありません。私もグラッドさんのところへ行かないと、少しでも力に――けほっけほっ」

「言わんこっちゃない?!」


 吐血しながらも足を止めないアルサーに、ウレイラが肩を貸す。


「無理しすぎたら死んじゃいますってば!」

「で、ですが……」

「ですがも何がもありませ――――」


「おい! デカブツが動いたぞ!! あの人を狙ってる!!!」


 その場に居た全員の視線が、同じ場所に集中した。

 何故かはわからないがカタス・アレマグはグラッドを意識しているのだ。


 そんな事実と光景を、怪物の習性を知ったアルサーだけが訝しむ。


「何故……? あの怪物が狙っているのは、この街だったはず」


 目的そのものがこんなにも近くにあるのに、怪物は狙いを変えた。

 ならばそれはグラッドに意識を向ける必要があると、判断したことになる。


 しかし、喰らうべき魔力を求めているなら理屈に合わない。

 魔法使いではないグラッドは魔法が使えないのだから。喰うには値しないはずだ。


 どうして?

 疑問に合わせて、ひとつの仮説が浮かぶ。


「まさか、あの人を無視できない脅威と感じて……?」


 あり得るのか、そんな事が。

 アルサーが疑問に疑問を重ねていると、不意に大きな変化が起きた。



「なに、あれ……」



 グラッドの立っている場所から、闇色のオーラが爆発的な勢いで立ち昇ったのだ。

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