海のマジョ③


 ◆◆◆

 

 気がすむまで諸国を巡って、巡って、巡って……最終的に私が望んだのは人のいない静かな場所でした。

 けれどそんなところはそう簡単には見つかりません。

 ひとまず人のいる場所はダメです。

 たとえ住人の少ない辺境の村だろうと噂を聞きつけて誰かが来ます。


 それに数十年、長くて五十年もすれば老いることのない私は奇妙でしかない。下手をすれば化物扱いの火あぶりです。それは嫌でした。


 ならばと私が思いついたのは海でした。

 懐かしさに駆られて故郷の村に立ち寄った時、昔と同様に変わらぬ海を眺めながら感じたのです。


 海はいつまでも変わらない。私も同じようになれるかしら、と。


 研究を重ねた私は海の中で過ごせる魔法を作りました。最初は普通より長く呼吸ができる程度でしたけど、一分、十分、一時間、一日とどんどんその時間を伸ばしていったのです。


 ええ、そうですね。

 あなたがウレイラにかけてもらった泡の魔法です。え? 途中で一度魔法が解けて泡が割れたのですか? ふふっ、あの子ももう少し身を入れてくれるようになればいいんですけどね。


 たださすがの私もずっと魔法を使い続けることはできません。そもそも普通の人間が過ごすのも身体を休める時間が必要ですからね。だからしばらくは陸と海を行ったり来たりしていました。


 そして遂に見つけたのが、とても巨大な珊瑚礁。私はそこに住むことを決めました。海の生物と私だけの家です。誰の許可も必要なく、誰の迷惑にもなりません。

 それはもう悠々自適に過ごしましたよ。定期的に魔法をかけ直しながら、家具を作ったり、料理をしたり、一日中寝て過ごしたり。


 ただ想定外な出来事もありました。

 傷ついたマーメイドがココに流れ着いたのです。


 私はその子を介抱しました。聞けば海底地震で故郷を失った上に海のモンスターに襲われた不幸が重なったとのこと。

 その身の上話にどこか自分自身を重ねた私は、そのマーメイドに気が済むまでココに留まっていいと伝えました。


 長い時間静かに過ごしていた私は少しだけ寂しかったのかもしれません。だって、あんなにも一人を望んでいたのに……あの子が来てからはいつも一緒にいたのですから。


 それから少しずつ……一人目と同じような境遇のマーメイドが流れ着くことが増えました。

 傷ついた者、故郷を追われた者、旅をしていた者――いつしかマーメイド達が平和に暮らす場所がある。そんな噂が海に広まり、いろんな子達が集まって……、



「今となっては……本当に賑やかになったものです」


 ◆ ◆ ◆



「……そうか。そうしてあなたの家は、マーメイド達の住む町になったんだな」


 そんな経緯があるからこそアルサーはこの町で特別な存在なのだろう。海の魔女なんて仰々しい通り名ではあるが、彼女はこの町に住む者達の母親に等しい。


「普段からその姿でいないのは何故なんだ? わざわざお婆ちゃんになる必要もなさそうだが」

「極一部の者は私の正体を知っていますが、それ以外――ウレイラのような若い子達は知りません。生まれた時からいる口うるさいおばあさんが実は齢を食わない異種族だなんて知ったら、みんな驚いてしまうでしょう?」

「そりゃあそうだが、隠すこともないだろうに」

「……若いままでいるより、老人のままでいる方が怪しまれない。そういうことですよ」


 その物言いに長い年月の苦労を感じとったグラッドは、それ以上その話題を膨らませなかった。他にも訊きたいものはたくさんある。


「町を覆ってるあの膜も魔法の一種なのか?」

「そうです。魔力を効率よく持続させる陣を敷いて、定期的に魔力を注ぐことで海の中でも人間が普通に暮らせる空間を形成してるの。泡で身体を覆う魔法の発展版ですね」


「水がまったくないこの部屋も?」

「ふふっ、すごいでしょう? 前はもっと広範囲に作っていたのだけれど、あまりそう言う場所が多いと海に棲む者達は困ってしまうから」


「…………はぁ~、いやぁ本当にすごいな。あなたは自分の手で、自分のいられる場所を作ったんだな」

「望めばあなたにも出来ますよ」

「そう簡単にはいかないさ。俺は魔法はからっきしで、得意といえるのもコイツぐらいなもんだよ」


 グラッドは愛用の槍を持ち上げて、おどけてみせる。

 その様子をアルサーは羨ましそうに見つめていた。



「やはりあなたは凄いですね。私とは大違い」

「そんなことはないだろ」


「いいえ、違うのです。私はもう人間だった頃の感覚を失ってしまった。あの食べ物を口にしたことで与えられた長い長い時間は……普通の人間では決して体験できない回数の別れは、私から人間味を奪っていった」

「…………マーメイドの寿命は」

「陸の人間とそこまで大差はありません」


「そうか……あんたは何度も大事な家族とお別れしてきたんだな」

「みな、私を残してこの世を去っていきました」


 グラッドも同じ経験を何度もしてきた。自然の摂理であるとわかっていても、いつも見送る側でいると言いようのない悲しみに囚われてしまう時がある。

 おそらくグラッドの何倍も生きているであろうアルサーの苦しみは、想像よりもずっと深く根強いに違いない。


「……とはいえ、そろそろ私も見送られる側になりそうです」

「え?」

「不老不死のグラッド。あなたが呪いと呼ぶソレは言い換えれば神々の力。その加護は私の物よりも遥かに強力で上位に位置するモノです」

「ちょ、ちょっと待て! アルサーだって不老不死なんだろ? それに上とか下なんてないはずだ」


「厳密には違うのです。私は確かに老いませんでしたが、あくまで普通の人間に比べればです。体は徐々に衰えていく上に、不死でもない。例えば限界を超えるダメージを負えば死に至るでしょう」


 ――無論試したことはないですけどね。

 そう彼女は無感情に呟いた。


「申し訳ありません。あなたの苦しみを私は完全に理解はできない」

「…………じゃあ、この呪いを解く手がかりは? なんでもいいんだ、何かないか」

「…………」

「そう……か……」


 グラッドが項垂れる。

 同じ不老不死と思われたアルサーに出会えた際の期待は思いのほか大きかった。


 ただ、それでも前進したことに変わりはない。

 たとえそれが小さな一歩だとしても、積み重ねていけば辿りつける場所があるはず。その希望を信じてこれまで歩んできたのだ。


「ありがとう、アルサー。良い話を聞けたよ」

「…………グラッド。ひとつ提案をしてみるのですが」

「うん?」


「あなたの時間をこの町の住人のために分けてはくれませんか。地上を旅してきたあなたの話を、陸の人の話を皆に聞かせてあげて欲しいのです」

「別に構わないぞ。むしろ俺の方がこの町にいる許可が欲しいぐらいだからな。こんな海の中まできたのなんて初めてだから、きっと珍しい物が見られるだろうし」


「それはよかった」


 ほんのわずかだけアルサーの口元が緩んだ。ようにグラッドには思えた。


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