海のマジョ②
◆ ◆ ◆
沈黙。
リビングに静けさだけで満ちていく。
グラッドはアルサーの反応をじっくり待った。きっと彼女が話すのには心の準備が必要だろうから。
なんだったら日を改めても構わない。出来る限り早く答えが欲しい気持ちは無論あるが、それは自分の都合に過ぎず、仮に幾日待つことになろうとも呪いを解くためならば無駄になることはない。
ただ……どうしても話したくないと言われてしまえば仕方ない。残念だが彼女から話を訊くのは諦めなければならない。
だが、どうやらその必要はなさそうだった。
しばらく俯きがちに思考していた魔女は、正面からグラッドの目を見据えてくれた。
「あんた、名はグラッドレイといったかね」
「ああ。知り合いからはグラッドって呼ばれてるよ」
「じゃあ私もそう呼ぶよ。……グラッド、先に言っておこう。私が知っているものには、おそらくあんたが求める答えはないよ」
「……そうか、残念だ」
「なぜ疑わない」
「ん?」
「あんたは私が嘘をついてるとは考えないのかい? 本当は呪いを解く手がかりを持ってるかもしれないだろ」
「アルサーさんが無いと言って、俺はそれを信じた。それだけで十分じゃないか?」
「そんな単純な理由かい。まるでなっちゃいないよ、あんたはもう少し狡賢くなるべきだ」
「必要ならな。でも、今はそうじゃない」
この会話の間、アルサーはずっとグラッドの瞳の奥、その本心を覗きこもうとしていた。
だが揺さぶってみてもそこに変化はない。ただ純粋にキラキラと輝くものがあるだけだ。その曇りのない煌めきはアルサーにはとても眩しく映る。
「グラッド。不老不死になった時、あんたは何歳だった?」
「二十歳になる前だったかな」
「そうかい……若いね」
長パイプをテーブル脇に置いたアルサーが杖を振るうと、戸棚から高級そうな酒瓶が飛んできた。彼女はその酒を開けると、グラスに注ぎもせずに直接口をつけて一気に煽る。
「私は二十代半でしたよ」
酒が効いたのか。顔を少々赤くしたアルサーが自分に向けて杖を向けると、杖先から飛び出した青い光が彼女の全身を繭のように包んでいく。
光がおさまると、そこには横柄な老婆ではなく美しい若い女性が座っていた。
突然の変身に大きく驚いているグラッドを目撃して、若返った女性――海の魔女アルサーがわずかに口元を緩ませる。
「聞かせてあげましょう。つまらない話で良ければ……ですけどね」
口調も声色もまるで違う。
きっとコレが本来の姿なのだろうと、グラッドは自然に納得した。同時に、遂に同胞を――自身と同じ境遇の者を見つけられたのかという喜びが沸き上がっていく。
「つまらないわけないさ! だって、ようやく会えた不老不死仲間なんだぞ! ああ、くそっ、まさか海の中にいるなんて思いもしなかった。そりゃあ地上を旅してたんじゃ会えなかったわけだ」
少なく見積もっても百年以上の旅路。
呪いを解くために旅する中で、グラッドは常に孤独を抱えていた。自身と同じような存在はどこにもおらず、不老不死ゆえの苦しみを完全に分かり合える相手はいなかった。
少なくとも同じ人間には――。
その思考に行きついて、ようやくグラッドは自分が浮かれて先走っている状態であると歯止めがかかった。
そう、まだわからないのだ。
不老不死ではないが長寿の種族には何度も会ってきた。長い付き合いがある吸血鬼のダスカやルビィ達のように。アルサーは彼らと同じような長寿かもしれない。
はしゃぎすぎた自分を誤魔化すように、グラッドは「こほん」と咳払いをした。
「あなたは本当に素直で正直なんですね。まるで子供みたい……」
「うっ……前にも言われたことがあるけど……そんなにかな」
「そんなにですよ」
「うぐっ」
「でも、うらやましいわ。それは私が……当の昔に失ってしまった物だから」
淡々と口にする彼女は無表情だが、寂しげに呟いた。
◆ ◆ ◆
「私は本来海の中で暮らす種族ではありません。あなたと同じ地上で生きる人間でした」
「……どうしてマーメイドの住処に?」
「今となってはマーメイド達が暮らすサンゴの街ですが、大昔は誰も住んでいなければココまで大きくもなかったのですよ」
――私だけしかいませんでしたからね。
遠い過去の記憶を掘り起こしながら、海の魔女と呼ばれるようになった女性は語った。
「グラッドはニンギョの肉の話はご存じかしら」
「いや、すまないが知らないな」
「遥か遠方のおとぎ話です。ニンギョは上半身が人間で下半身が魚の生き物で、その肉を食べた者は不老不死になるとされています」
「……そのニンギョはマーメイドの事なのか?」
両者の特徴は同じだった。
ただ、その肉を喰らえば不老不死になるというのはグラッドとしても信じにくい話ではある。
とはいえ世界は広く、自身が知るものなど一握りでしかない。だから頭ごなしに否定もできない。
「どうなのでしょう。……ただ少なくとも、私が口にしたものにはそのおとぎ話に類する力があったようです」
海辺の村で生まれ暮らしていたアルサーは、ある日のこと家族のおさがりである服を倉庫で探していた際に妙な食べ物を偶然見つけた。
奇妙に思いながらもソレを口にすると、とても美味しかったのでみんな食べてしまった。
以来、彼女の身体は老いることを忘れてしまった。普通の人間ではなくなったことに気づき、アルサーは最初こそは神にでもなったような気持ちで舞い上がっていた。
自分は年をとらず、ずっと生きて行けるのだ。なんて素晴らしい。きっとあの食べ物のおかげだ。アレは神様からの贈り物だったのだ。
それが大きな間違いだったとわかるのは、もっと先になってからだった。
「私には魔法の才がありましたので、その修練に時間を費やせると喜んだのも良くなかったかもしれません。最初の頃こそ持て囃されましたが、時が経つに連れて周りの視線は変わっていきました」
家族がこの世を去っても、アルサーは若いまま。魔法の力はどんどん上達していく。
その光景を恐れるものが次第に増えていった。
「村の人達に追い出された……のか?」
「いいえ、自分から出ていったのです。故郷の人々は優しい人が多かったので、そこは恵まれていました」
不老不死に関連する話には、常にネガティブなモノが付き纏う。化物扱いされたり、覚えのない怨みを押しつけられたりもするのだ。
「ただ、村人以外は別です。いろんな貴族が私の噂を聞きつけて村を訪ねてきまして。中には到底受け入れられない悪質な者もいました。言う事を訊かなければ村人を酷い目に遭わせるぞと脅迫したり」
「あー、話の余地がないヤツな。なんてそういうヤツが出てくるんだろうなぁ」
「お恥ずかしい話ですが、私も終いには堪忍袋の緒が切れてしまいまして。これ以上皆に迷惑がかかる前に姿をくらましたのです」
「優しいな、アルサーさんは。俺だったら貴族に一発お見舞いしてそうだ」
「ちゃんと相応の礼をしてきましたよ。村人を困らせた分だけ泣いてもらいました」
実は怒らせると怖いタイプなのか。
おばかな貴族に同情などしないグラッドだったが、アルサーの逆鱗には触るまいと注意を払う必要を感じた。
「そんなわけで、せっかくですから特に目的もなく諸国を巡ってみたのです。おかげで色んなものを知ることができましたが、同時に世界は私が考えていたよりも生きづらいと考えるようになりました」
「生きづらい、か」
その考えには少なからずグラッドも共感できる。
特に悪い事ばかり続けて目に入ると、うんざりしてしまうのだ。それはきっと長く生きれば生きるほどに増大していく。
普通の人間であればいずれ死と共に消える感情。
しかし、グラッド達のような者だとそうはいかない。
――海のマジョの独白はしばらく続いた。
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