第12話 コズミックスタンダード

 少し熱めの温度に設定されたお湯がシャワーヘッドから吹き出す。てんはそれを掌で受け止めて温度の確認を済ませると仰ぎ見るように首元から受け止めた。髪は結われたままで解き方もわからないのであまり濡らしたくない。

 そしてシャワージェルのディスペンサーから少量のジェルを手に取った後、少し躊躇する。

服を脱いだ時もそう、姿見に映る自身の姿を直視できなかった。今の体は自分であって自分ではない。女性のものだからだ。


「ふぅ……」


 意を決して、ジェルを両手で伸ばし泡立ててから顔と首元、そして体に塗り拡げる。両肩、そのまま滑らせて腕全体、腹、脇腹、そして背中。

 自身の掌から伝わる自らの肌の感触が、以前までの自分のそれとはまるで違う。他人の体に勝手に触れているような、罪悪感にかられ手を止める。


 結局、そそくさと洗い流してすぐに出てしまう。脱ぐのに難儀した「衣装」を横目に、部屋の中に置かれていた他の着替えを着用する。


——喉が渇いたな。


 そう思ったとき、ふとテーブルの上で何かが光った気がして目をやった。するとそこには見慣れた炭酸水のボトルが表面に水滴を滴らせて鎮座していた。


「え?……これって」


 近づいて、手に取る。よく冷えている。


「……?」


 キャップをひねってみるとプシッという小気味よい音がした。一呼吸置いてから、口をつけて飲んでみる。まずはひとくち。


「……ああ~……」


 美味しい。微かに香る紅茶の風味と炭酸の爽やかな喉越し。間違いなく、自身の好物と同じものだ。そうとわかると安心して喉を鳴らす。一気にボトルの半分ほどを流し込む。


「はぁ~~~~っ……」


 満足げな表情。しかしふと我に返り、ボトルを目の前に持ち上げてラベルなどをまじまじと見つめて考え込む。メーカーも商品名も寸分違わず愛飲していたものと一致している。


「なんで?」


 唐突に現れた、元いた世界のアイテム片手にてんは小首をかしげる。






「艦長、特に変わりありません」


「うん、ありがとう」


 ブリッジに戻るとデルが迎えてくれる。


「うりんさんは既に砲術士席で講習を受けてくれています」


 聞きたいことを聞く前に教えてくれる。感謝と感心の極みである。

おやつは砲術適正を持っており、現在は艦の砲戦能力の底上げのため配置に付き専任の砲術士の元でレクチャーを受けて勉強してくれている。宣誓者のバフというやつで、配置についただけでも搭載兵装の能力が増加しているそうだ。


「シンデンさん達は?」


「当面の間は本艦預かりとなります。格納庫近くの戦闘待機室を居室として選ばれました」


「そっか」


 仲間との合流、一旦は神命の達成となった訳ではある。しかし実際のところ増えた戦力といえば駆逐艦1隻と戦闘機3機だけ。これからどんな神命が与えられるのか分からないが、これで足りるのかと不安は尽きない。


「ご休憩の間に、敵機の解析データをまとめてあります。各艦共有済みです。あとで目を通してください」


「今見るね。ありがとう」


 カニやらザリガニ、タコにエビ、奴らの残骸や銭湯から得られた情報が表示される。便宜上の関係でそれぞれコードネームが割り振られていた。

 カニはクラブ、ザリガニはクレイ、タコはオクトでそこから分離したエビはシュリンプ。ずばりそのままでである。


(この世界にも蟹とかいるってことか……)


 いずれもやはり無人機、どのタイプにも共通して、武器や防御装備が一般的な艦艇や戦闘機などと比較して貧弱。武装の種類が少なく、防御装備もすぐに効果を失うような低い出力のエネルギーシールドのみで、トライエフの発生装置やその他の防御手段が見受けられない。

 カニ型のクラブに至ってはそもそもシールド自体が搭載されていないので被弾即損壊である。


「デルさん、こいつらってなんなのか予測がついたりする?」


「これまで遭遇したことがない敵です。過去にエンフェルノが使用した兵器の中に類似するものはなく、ハーヴェスターとも考えにくく現状全く未知の存在としか」


 過去に、ということはこの世界には歴史があるようだ。


「僕たちが来る前にも、ずっと戦争はあったの?」


「……?ええ」


 常に冷静そうな彼にしては珍しく、意表を突かれたような表情をする。そういえばこの世界、自分たちが転移させられる前は一体どんな状態だったのだろうか。

 ただでさえわからないことばかりだと言うのに、調べなくてはいけないことがまた一つ増えてしまった。情勢や歴史、そういったものがあるのなら理解しなければ話にならない。


「あ、そうだ、これって見たことあったりします?」


 そう、今一番の疑問を思い出す。てんは自室から持ってきた空のペットボトルをデルに手渡す。


「……飲料の容器でしょうか?」


「どこかで同じもの見たことあったりとかは?」


「いえ、書いてある文字も私には読めません」


 デルはラベルをしばらく見つめた後、てんにボトルを返す。


「そっか」


 ウィンネスに聞けば早いのだろうが、忙しい、と言って消えた後呼びかけても姿を表さない。


「……あれ、読めない?」


 もう一度ラベルを見る。何の変哲もない、普通のペットボトルで商品名が日本語とアルファベット表記で書かれている。では周囲はどうだろうか。

 モニターの表示、色んなところに書かれている注意書き、オースバンドの表示、どれも日本語だ。そもそもデルやその他のクルーとの会話も日本語で問題なく通じている。ならば読めない訳がない。


「何度もごめんなさい。このボトルに書いてある文字とここの文字って一緒です?」


 指で手近な表示を指し示してデルに再度確認をする。


「いえ……違うものですが」


 当人にとっては不可解な質問だったのであろうかかなり困惑している。おかしくなったと思われていないか心配になる程に。


「あの、僕たちの使ってる言語ってなんでしたっけ」


「……コズミックスタンダードですが」


 今喋ってるのに何を聞いているのだ、とでも言わんばかりの怪訝な顔つき。

コズミックスタンダード……そういえばSMOの設定にあったはずだ。この世界独自の宇宙標準語。どんな文字を使うのか、文法はどうなのかとかそこまでの細かい設定までは把握していなかったが、間違いなく日本語ではない。


(翻訳されてるんだ……声も、文字も、全部)


 話を聞けば、文字を読めば、それらが無意識のうちに訳されて理解している。当たり前のことが当たり前ではないと気づいたとき、この歪な世界の構造が余計にわからなくなっていく。


 根掘り葉掘り聞かれるのを、ウィンネスは嫌がるかもしれないが。

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