行きます!

 康太は現役を退く大学四年の春までに一度もリーグ戦のメンバーになったことがなかった。しかし決して康太が練習をサボっていたとか、チームにとって足を引っ張るような行動をしていたわけではなかった。


 部員百三十人を超えるチーム内で一軍のメンバーに入るだけでも大変なことで、いくら結果を残そうが、甲子園で活躍した新入生が入部してきたらすぐに入れ替わりが起きる。


 そんな無情にも儚い勝負の世界に身を置いて、ようやく掴んだ三年生の晩夏、康太にとっては初めて一軍に呼ばれ、時期的にも秋の大会のメンバーに選出される最後のチャンスだった。それなのに、


 メンバー選考のための大事なオープン戦。六番ファーストで先発出場した康太は最終打席までヒットがなかった。


 この試合のスタメンはおもにベンチメンバー当確ぎりぎりの選手がピックアップされていたため、この打席で結果を残さなければ長年の夢は立たれてしまう。そんなプレッシャーの中、康太はバッターボックスで落ち着いていた。


 八回裏ツーアウト三塁。ツーストライクと追い込まれながらも冷静にボールを見極め相手チームの守備位置を確認する。アウトコースを中心に攻めていたバッテリーも打ち取れないバッターにしびれを切らし、集中力が散漫になったところを康太は見逃さなかった。


 思うように抑えられず、苛立った分だけ力みすぎたボールはキャッチャーの構えたところよりわずかに内に入ってきた。そのボールを康太は強引に引っ張って打球は三塁線を破った。このときレフトを守る選手が左利きであったため一塁到達の際のオーバーランを緩めることなく二塁に向かう。ライン際のボールを処理する時に左利きの選手は右利きの選手に比べて進行方向に体を回転させる分どうしてもワンテンポ遅れてしまう。これは野球のルール上仕方のないことで、左利きの選手は右利きが多い野球界では重宝されがちだが、守れるポジションが限られるなどデメリットもある。


「セーフ」


 同点打を放った康太はベンチに向かってガッツポーズした。ベンチには同じように苦労してきた同級生や共に練習をしてきた後輩たちがいて、皆、自分のことのように喜んでくれている。


「ナイスバッティン! これでメンバーも決まったかな」


 三塁コーチャーを務めていた星コーチがタイムをとりエルボーガードとバッティング手袋を回収しにきた。


「はい、ありがとうございます。あとは僕がホームインするだけです」


「そうだな、ツーアウトだし、バットにボールが当たった瞬間スタート切れるようにだけ意識して、一気に駆け抜けろ。オレは全力でまわす」


「わかりました。あとは松下を信じて駆け抜けます!」


 松下は、康太と同じような境遇で努力をしてきた同級生で、苦しい時、つらい時に切磋琢磨してきた戦友だった。そしてここまでノーヒット。しかしプレッシャーのかかる場面で逆転打となれば監督の評価は高くなるはずだ。


 ――絶対打てよ松下。内野を抜けた瞬間ホームを駆け抜けてやるからな。


 初球だった。康太の祈りが届いたかのように松下は肩口から甘く入ってきた変化球を完璧に捉えてレフトにはじき返した。


「よし!!」


 スタートはいい。康太は一度打球を確認するともう迷うことなく三塁ベースを駆け抜けるためにトップスピードにのる。


「ダメだ! クロスプレーになる無理すんな止まれ!」


 星コーチの声が響く。冗談じゃない。あいつの苦労を誰よりも知ってんだ、俺は止まれない。


「行きます!」


 三塁ベースをまわる。星コーチと一瞬だけ目があった。今思えばあの瞬間から星コーチは事の結末が分かっていたのかもしれない。

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