雄大と太一

 六月の一週目、夏がもう顔を出してじりじりと肌を焦がし始める。



「これは我が校と菱田くんの大学との協定書だ」


「なるほど」


 たしかにうちの大学と桜高校の協定書だ。間違えない。車の中で石坂先生が言っていた桜高校との指定校協定の話しで最後の最後でお互いの意見が合わず思うように言っていないと聞いた。


「ここの欄に私の捺印があればそちらとしては何の問題もないだろうね」


「まぁ僕には直接関係ないですが」


 投げやりにそう言った時だった。校長室のドアがノックもなしに勢いよくいきなり開いた。康太はその意表をついた大きな音に驚きながらも振り返ると、大柄な男子と小柄だが筋肉質の男子がこちらを見つめていた。二人とも真っ白いユニフォームを着用していて左胸には、「穂浪」「大野」と書いてある。


「校長先生! この人が新しい監督ですか!」


 「大野」と書かれた生徒が康太を尊敬のまなざしで見つめていた。


「もう、雄大失礼だろ」


 「穂浪」と書かれた生徒はその恵まれた体格とは対照的におどおどした声だ。


「お前らなんだノックもしないで!」


「まぁまぁ主任、ほら二人とも新監督にご挨拶だ」


「まってください、僕はまだ何も……」


 康太がしどろもどろして次の言葉を捜す前に、雄大は汗まみれの顔をほころばせる。


「俺、桜高校野球部主将大野雄大です!」


「え、いやそのはじめまして」


 その熱気あふれる挨拶に康太はすっかり気分をのまれてしまい無意識の内に立ち上がってしまった。


「僕は、副主将でえっと、キャッチャーです。えっとよろしくお願いします」


 体型は異なるものの、視線の高さは康太をゆうに超えている。穂浪太一は、身長一八〇センチはあるだろう。


「監督って言われたって俺経験ないぞ」


「それでも私が指揮をとるよりましだ」


 金井はなし崩しに康太の肩口をたたいた。軽く触れた程度なのにそこになんとも言えない重みがある。更に雄大のまなざしは康太の顔から両手の平に注がれた。


「やっぱりすごく皮が厚いんですね!」


「えぇあぁ」


「やっぱり大学野球は毎日千本素振りですか!」


「いや、そうかな、結果的にそれだけ振ってたかも」


「す、すげぇ~ こんなすごい人が監督なら甲子園だって狙える!」


 まずいな。康太はめんどくさくなる雰囲気を察して早くその場を去らなければいけないと感じた。


「こ、甲子園って、校長先生今日はこの辺で失礼しますよ」


 康太は無理やりにも金井や雄大に一礼して踵を返した。


「菱田くん、これだけは覚えておいてくれ――」


 背後から声が聞こえた。


「私はこの子達に良い思い出を残してあげたいんだ。最後の桜高校野球部員としてその花道を作ってやりたい。そのことを忘れないでくれ」

          

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