案の定

 幸手駅に着いた康太はプラットホームを風のように駆け抜け、改札を飛び越える勢いで直進していた。(実際はしっかりスイカでタッチしている)電車の中でグーグルマップを開き住所をうちこむとなんと駅から歩いて十五分もかかる事実が発覚したのだ。


「先生無茶ぶりがすぎんだろ、なんで現役退いたのに一・五キロも全速力で走らなければならないんだ!」


 すでに約束の集合時間から五分も過ぎている。右肩に部活で使用した野球道具が入ったエナメルバックを左肩にかけながら、終始ノーブレスで通学路を走る。途中ですれ違う中学生は康太に少なからず好奇の目を向けていた。


「ばかやろ、中坊スマホで撮影すんじゃねぇ」


 康太はケラケラ笑いながらスマホを構えていた二、三人の男子の群れに二割ギャグ、八割本気の声量で注意する。しかし、それ以上追及するつもりはなかった。石坂先生はともかく荒田監督直々に頼まれた仕事だ。詳しいことはよく分からないとはいえ、自分の頑張り次第で大学と桜高校の間に友好関係が構築すれば、それはそれで誇らしいことだ。


「見えてきた」


 スマホの時間を確認する。三時十五分。まぁなんとか許してもらえるだろう。康太は正門の柵に手をあて、もう一つの手を腰にあてて、息を整える。六月とはいえ気温は夏に向けて日に日に上昇していた。まったく地球温暖化とはよく言ったものだ。春日部駅近くにある学生寮の部屋でも滅多にエアコン使わないし、深いため息もつかない。オレはこんなに地球に優しい男なのに、誰もオレに優しくしてくれない。


「あぁなんか悲しくなってきた」


 康太は一人つぶやき滴る汗をスポーツタオルで満遍なく拭った。更に車の中で石坂先生がこれ見よがしにくれた制汗スプレーを咳が出るほど体に吹かしまくった。


「これでよし!」


 康太は遅刻したことも忘れ我が物顔で事務室に赴くと事務長を名乗る女性から校長室に案内された。


 コンコン。


「はい」


 ドアの向こうから低く威厳がある声が聞こえてくる。

「校長先生、お連れ致しました」


「どうぞ、お入りになってください」


 事務長から促されると康太は一度深呼吸をして、ドアノブに手をかける。


「失礼します。この度はお日柄もよく……」


 その瞬間に、鋭い視線を感じた。


「遅い、遅すぎますよ。菱田くん!」


「はいぃ、すみませんでした」


 康太が思わず後ずさりして、気がつけば頭を直角に下げていた。身長は康太より少し小さいくらいの男性は、鋭い眼光で、陽に焼けた肌の眉間にしわをよせ怪訝そうに康太を叱責したのだ。


「いいんだよ。さぁさぁ菱田くん座って座って」


「はい! 失礼いたします!」


 校長室に備えられたソファーには、すでに他大学の学生がスーツ姿で、覚めるようなまなざしを康太に向ける。


「はは、失敬、失敬」


 石坂先生の研究室にあるものとは比べものにならないくらいふかふかで、いつもより尻が深く沈む。


「この度は遅れまして申し訳ありません」


「菱田くん頭をあげて」


 金井は、康太をなだめたが、泉主任は遅刻した康太に対して怪訝そうに横目をちらつかせていた。


「みなさん、まぁ若干一名遅れてきましたが、よく来てくれました。あなたたちには我が校の教育サポーターとして……」


 欠伸を我慢しながら長ったるしい説明を聞く。どうやら康太以外の学生は基本的に教員志望で、このアルバイトもそのための予行練習の一環らしい。


「皆さんには、おもに一学年の生徒を担当して……、学生でありながら未来の教師であり、生徒たちには秩序正しい見本になってもらいたい……、若干一名そうでない学生もいますが、間違っても生徒とSNSでのやりとりや連絡先の交換をしないようにお願いしますよ」


 一時間に及ぶ説明が終わると学生たちは泉主任から手渡された資料をカバンにしまい順番に校長室を後にする。康太もその流れにそって帰ろうとしたが、


「菱田くんは残ってくれ」


 帰り際に声をかけられた。気づかれないように大人しくしていたのにも関わらず。


 金井は泉主任に何かを持ってくるように指示をして、康太が頭を上げた時に目の前にさきほどまで食べていたものと同じフランス製のパウンドケーキの菓子箱が広がっていた。


「さぁさぁ食べながら話そう」


 机の上に広がったパウンドケーキを眺めながら、恐るおそる手を伸ばす。これを食べたらもう断れない気がする。そんな猜疑心に駆られながらも康太はパウンドケーキを一口かじった。


「どうだい、これは貰い物なのだがね、なかなかおいしいだろ」


「はぁ、はい」


『さっき食べた奴と全く一緒だ、うちの学長の貰い物じゃね』その真意を確かめる術は残念ながらないが、康太はパウンドケーキを食べたことは事実だ。


「君には我が校の生徒に簿記の勉強を教えてもらう。というのは口実で、野球部の監督やってもらう。まずは……」


「そのことなんですけど、なんで僕なんすか」


「聞きたまえ」


 言葉を遮った康太に憤懣やるかたなしと言った調子で、金井は康太の目の前に協定契約書と書かれた一枚の紙きれを差し出した。


 

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