第13話 憤激する者

 リュドミラが期待を込めるもう1つの手紙の宛先であるオレグスト・レマイオス伯爵は、リシュコフ公爵家とリュドミラ自身にとってもっとも関係が深い貴族だ。

 ロシエル・リシュコフ公爵の妻にしてリュドミラの母であるエルミラ。夫と息子達ともに、儚くも刑場の露と消えたそのエルミラの実の兄だったのである。つまり、リュドミラの伯父だ。


 レマイオス伯爵家は古くから続く名門貴族ではあったが、家格の面ではリシュコフ公爵家に比べれば大分劣る。そんな、身分違いの家とリシュコフ公爵家が縁を結ぶ事になったのは、ロシエル・リシュコフとオレグスト・レマイオスの個人的な友誼故だった。


 ロシエルとオレグストは、幼い頃から友誼を交わした無二の親友同士だったのである。

 その関係もありロシエルとエルミラも幼い頃から知り合っていて、二人は惹かれあって結ばれた。

 その後も、ロシエルとオレグストの関係は良好そのものだった。両者が共に当主となってからは家同士のつながりもいっそう盛んになり、家臣同士にすら知己が多くなっている。


 そんな家だからこそリシュコフ公爵家が冤罪によって滅ぼされた時、真っ先に抗議して決起する者がいるとすれば、それはオレグスト・レマイオス伯爵に違いない。貴族達の殆んどがそう思った。オレグスト・レマイオスは王国でも屈指の武闘派と思われていたから尚更だ。


 ところが、オレグストは今のところ何の行動も起こしていない。王の招集は心身の不調と称して欠席したが、欠席を詫びる使者を送っており王に歯向かう姿勢を見せてはいなかった。

 オレグストがそのような態度をとったことは、オルシアル王国が酷い緊張に包まれながらも、未だに決定的な事態に至っていない原因の一つだった。


 とはいっても、動くとしたらオレグストのレマイオス伯爵家が最初だろうという情勢は変わっていない。国王ゲオルギイは当然レマイオス伯爵家を強く警戒し、十分とは言えない味方戦力の中から人員を抽出して、レマイオス伯爵家を厳重に見張っていた。

 だが、その見張りすら突破してリュドミラの手紙は届けられたのである。


 オレグストは自身の執務室で1人で執務机に着いていた。

 オレグストは当年41歳、栗色の短髪に鍛え上げられた大柄な体躯をもつ人物だった。

 その峻険な顔は強い憂悶ゆえ顰められ深い皺を作っている。そして、執務机の天板をじっと睨みつけていた。


 執務室の扉がノックされた。だが、オレグストは何の反応も示さない。少ししてから声もかけられる。

「主様、ヨハンです。入室してもよろしいでしょうか」

「……入れ」

 オレグストは、少し間をおいてから短く応えた。


 扉が開き30歳前後に見える灰色の髪の男が入って来た。執事服を着て白手袋を嵌め、右目にモノクルを着けている。

 若年ながらレマイオス伯爵家の執事を勤めるヨハンという男だった。

 

 ヨハンは、オレグストの執務机の直ぐ前まで進み主に向かって声をかけた。

「主様、書状が届いております。リュドミラ様の使いと名乗る者から受け取ったものです」

 その言葉を聞き、オレグストは驚いて顔を上げヨハンの顔を凝視した。


「こちらです」

 そう告げると、ヨハンはその手紙を執務机の上に置き、頭を下げつつオレグストの方へと押しやる。

 オレグストは黙ってその手紙を受け取った。

 オレグストは、リシュコフ公爵家滅亡の後、常に深い憂悶の中にあり殆んど口をきかなくなっている。

 王ゲオルギイの行いを黙認するような態度をとることは、当然ながらオレグストの本意ではなかったのだ。彼は本来ならば、今すぐにでも友と妹の仇と戦いたかった。


 物言わずに手紙を手にしたオレグストに向かって、ヨハンが事情を説明する。

「その手紙は、私が1人で庭に居た時に灰色のローブを着た老婆から手渡されました。驚くべき事に、王の監視も当家の警備も掻い潜って敷地内に入り込んで来たのです。

 その者は、自分はリュドミラ様の脱獄を助けた者だと名乗りました。

 2・3言葉を交わしましたが、リュドミラ様しか知らないはずのことを知っていましたし、私に接触した時の状況から、私の日課や性格も良く知っていたと思われます。

 リュドミラ様の使いであるという言葉には信憑性があります。

 そして、封に記された筆跡もリュドミラ様のものとお見受けしました」


 要するに、この手紙は本当にリュドミラが記したものである可能性が高いという事だ。実際、オレグストが見てもその字はリュドミラの筆跡に見えた。

 オレグストは、急いで封を切るとその手紙を執務机の上に置いて読み始めた。


 手紙を読み始めたオレグストは、まず、余りの驚愕ゆえに大きく目を見開いて硬直した。それから徐々に、激烈な怒りによってその身を震わせ始める。

 そして、ついには己を律する事が出来なくなり、やおら立ち上がった。その勢いに椅子がはじけ飛ぶ。

「おのれ、ゲオルギイ!! 殺す!! 必ずや打ち殺してくれる!!」

 オレグストはそう叫ぶ。国王弑逆の意思を大声で口にしたのだ。

 そして、両腕を大きく振り上げ、渾身の力で振り下ろし机に叩きつける。大きな音が響き、重厚な執務机が衝撃で一瞬浮かんだ。


「ど、どうなさいました!? 主様」

 ヨハンが思わずそう口にした。

 リュドミラの手紙を見れば、オレグストが動揺するのは目に見えていた。諌めなければならない。そう思っていたヨハンだったが、オレグストの反応は彼の想像を超えるものだった。


 オレグストは血走った目でヨハンを見ると、机の上に置かれた手紙を手にとってヨハンの方に差し出す。

「読んでみろ」

 そして、そう告げた。


「失礼をいたします」

 そう述べながらヨハンは手紙を受け取り、素早くその中身に目を通す。それを読んで、ヨハンもまた驚きを禁じえなかった。




 そのリュドミラからの手紙には、まず、自分が国王ゲオルギイによって犯されたという、余りにも衝撃的な内容が書かれていた。そして、レマイオス伯爵家に関わる事柄が続く。


『辱めた後、あの男は、私を拷問吏達に引き渡しました。私から偽りの証言を引き出すためです。

 それは、父と兄が間違いなく謀反を企んだという事。そして、その謀反にオレグ伯父様のレマイオス伯爵家も加担していたという事です。

 私は、もちろんそれを拒みました。家族の名誉にかけて、偽りをもって家名を汚すことなど出来ません。まして、伯父様を巻き込むなどありえない事です。

 どれほどこの身を責め苛まれ、汚されようとも、そのようなことが出来ようはずがありません。

 ですが、あの男ゲオルギイは、いざとなればそのような証言など必要としないでしょう。それは当家への行いを見ても明らかです。全てを虚偽で塗り固めて行動に移るでしょう。

 伯父様、どうかお気をつけください。ゲオルギイが次に廃絶を狙っているのは、レマイオス伯爵家なのです……』

 と、そのような事が書かれていたのだ。


 オレグストは呻くような声でヨハンに告げた。

「見たか、ヨハン。あ奴は、愚王ゲオルギイは、やはり我が家も滅ぼすつもりだったのだ。である以上、最早、隠忍自重は意味をなさぬ。

 我が友ロシエルと、愛しいエルミラが、可愛い甥たちが、言いがかりの挙句に無残に殺された。

 にもかかわらず、この俺が抗議一つもせず沈黙を守ったのは、偏に我が家を守るため。歴史あるレマイオス伯爵家を滅ぼさぬためだ。

 友と妹を殺されても何も出来ぬ、不義、非情の臆病者、畜生にも劣る卑劣漢と成り下がっても、それでも、俺一人の感情で家を滅ぼしてはならぬ。と、そう思って耐えてきた。

 だが、そのような辛抱は無駄だった。奴は最初から当家を滅ぼすつもりだったのだからな!」


 ヨハンが主を見ると、オレグストは歯をかみ締め全身を震わせて烈火の如き怒りを顕にしていた。

 オレグストは怒りに打ち震えながら言葉を続ける。

「その上、あの誰よりも凛々しく美しかったリュドミラを辱めようとは……」

 オレグストは、また右手を振り上げ思い切り机を殴りつけた。バンッという音が響く。


「最早我慢ならん!! かくなる上は、我が家一族郎党残らず決起し、血の一滴、肉の一片となるまで戦い抜き、レマイオス伯爵家の意地を思い知らせてくれる」

 そして、そう宣言した。


 ヨハンが慌てて再考を促す。

「お待ちください、主様。この手紙に書かれていることが全て真実とは限りません。リュドミラ様が偽りを書いている可能性も……」

「リュドミラが、そのような偽りをなす必要がどこにあるというのだ! 我が身の恥辱を晒してまで、偽りを俺に教える理由など何もあるまいが!」


 主に怒鳴られても、ヨハンは言葉を続けた。

「理由はあります。ご自身の決起に当家を巻き込むつもりなのかも知れません。

 リュドミラ様が脱獄した以上、王家へ反旗を翻し家族の仇討ちを望む可能性は低くはありません。

 それに先んじて当家に決起を促し、ご自身の決起に巻き込む。その為に、国王は当家を滅ぼすつもりだという偽の情報を伝えてきたのかも知れません」

 だが、その忠言は、オレグストに対して逆の効果を与えた。

 オレグストは叫ぶように忠臣の言葉に応える。


「それが事実なら、むしろ望むところよ!!

 リュドミラが、ロシエルとエルミラの、父母兄弟の復仇に立つというならば、この俺が、共に立たんでどうするッ!!」

「しかし、主様……」

 尚も言い募ろうとするヨハンを、オレグストが遮って告げた。


「ヨハンよ。そなたの忠義を疑った事はない。そなたが、我が家の存続と、それ以上に俺の命を守ろうと考えて諫言してくれた事は分かっている。だからこそ、その言葉に従う気にもなった。

 だがな、だが、最早、限界だ。とても、耐えられぬ」

 オレグストは激情に耐えかね、そこで言葉を途切れさせ、歯を食いしばった。その身はまた震えている。


 数十年来の親友と妹を理不尽に殺され、それでも隠忍自重を重ねて来た。生来激情家であり、情義を重んじる気質だったオレグストにはそれは耐え難い苦行だった。

 本来なら、己が命を投げ捨ててでも友と妹の仇を討ちたい。その為に全力で戦いたい。ずっとそう思っていた。

 リュドミラの肉筆を見て、その苦しみを知り、そして、改めて在りし日の親友と妹と甥たちの姿を思い浮かべ、思い出を去来させてしまったオレグストは、最早己の激情を制御する事が出来なくなっていた。


 しばし言葉を詰まらせていたオレグストだったが、やがて決然と告げた。

「俺はもう心を決めた。俺は、何がどうなろうと決起する。あの、悪逆のゲオルギイを討ち倒す為に。

 ヨハン。今後も俺に忠義しようと思うなら、今より後は、ゲオルギイを殺す為に全てをなせ」


 主の強い覚悟のこもった言葉を聞き、ヨハンもついに抗弁を止めた。彼は、踵を打ちつけ、背筋を伸ばして、改めて告げる。

「御下命承りました。我が主様。その御意思に叶うよう。我が身命を捧げ、全力を尽くします」

「ならば動け。今すぐにだ!」

「は! 畏まりました」

 そう告げて、ヨハンはその場を退出した。


 ヨハンは、もう主の意思を覆すことは不可能だと理解していた。既に一度、言葉を尽くし命を投げ捨てる覚悟で主に諫言していたからだ。

 それはリシュコフ公爵一家が殺された直後のことだ。

 その時オレグストは即座に決起し友と妹の仇を討とうとした。だが、ヨハンの決死の諫言はオレグストの心にも届き、一度軽挙を慎んでくれた。


 けれど今、オレグストはそれを踏まえても尚、決起すると決断したのだ。であるからには、もはやヨハンに語るべき言葉はない。

 こうなった以上主の意思に従うまで。全力でその望みを叶える為に動き、力及ばぬ時には主を守って死のう。彼はそう心を決めていた。


 そして、レマイオス伯爵家は王都を脱出するために動き始めた。まずは自領に戻り、一族郎党を糾合して決起するためだ。

 リシュコフ公爵家処断に端を発したオルシアル王国の混乱と緊張は、ついに明確に武力闘争へと向かって動き始めた。

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