第12話 不穏な手紙
その日の内に他の事も起こっていた。王都に在住していた貴族の多くに手紙が届けられたのだ。
ただの投書の類ではない。その手紙は冒険者などの応用力がきく者に託され、それぞれの貴族が無視できないような方法で届けられた。それぞれの貴族家の内情をある程度知っている者からの便りであることは疑いない。
そして、それらの書状にはリュドミラ・リシュコフの署名が記されており、その内容も無視できないものだった。
例えば、中級の貴族であるラセフ伯爵の下に届けられたのもそのような手紙の1つだ。
ラセフ伯爵は、ともかくその手紙を読んでみる事にした。
彼はリュドミラが脱獄したらしいという情報を掴んでいた。そして、この手紙は本当にリュドミラからのものだろうと推測していた。
(助力の嘆願といったところか?)
ラセフ伯爵はそう考える。
リュドミラが脱獄したならば、その後どう行動するつもりだとしても多くの助力を得る必要はあるだろう。
ラセフ伯爵家はリシュコフ公爵家と特別に親しくはしていなかった。だが、なりふり構わずに味方を探そうとしているに違いない。
ラセフ伯爵はそう思ったのだ。
だが、実際に読んだ書状の内容は想像とは違うものだった。
そこには、まずリュドミラが国王ゲオルギイに犯されたという衝撃的なことが書かれていた。
ラセフ伯爵は驚愕した。
ラセフ伯爵は、リシュコフ公爵の謀反は冤罪だと確信していた。だが、もしも仮にリシュコフ公爵の謀反が事実だったとしても、その家族への無体な行いは許される事ではない。それは高位の貴族の尊厳を踏みにじるものであり、貴族という存在全体への冒涜といえる。ラセフ伯爵はそう考えた。彼はそのような考えをする人物だった。
そして、書状にはラセフ伯爵への警句が続く。
『伯爵様は覚えておいででしょうか? 1年前の宴席でゲオルギイが、伯爵様が後添えにお迎えになられた奥方様の美しさを褒め称え、自分が妻に迎えたかったくらいだ。などと述べたのを。
あの言葉は真実のものです。あの男ゲオルギイは、本当に奥方様に懸想し、我が物にしようと画策しています。私も、まさかのその企みが本気のものだとは思ってもいませんでした。
ですが、我が家と我が身がこのような事となった今ならば分かります。あの男の獣欲の恐ろしさと執拗さが。
あの男は、必ずやその魔手を奥方様へと伸ばします。どうぞ、ご用心なさいませ』
(馬鹿な)
その手紙を読んだラセフ伯爵は、直ぐにそう考えて一笑に伏そうとした。
いくら国王が権力者だとは言え、家臣の妻に手を出すなどありえないことだ。それでは歴史に語られる暴君の振る舞いそのままではないか。と、そう考えたのだ。
だが、ラセフ伯爵の顔は笑いを作る前に固まった。自分の主君がそんな暴君ではないと言い切れるのか? との思いが心をよぎったからだ。
何の罪もない家臣を騙まし討ちにして殺す。それだけでも十分すぎるほどの暴挙、悪人の所業だ。仮にそれを権力闘争の結果であると理解したとしても、その娘を手篭めにするという行為はどうか? これこそ正に暴君の振る舞いそのものではないか。
(まさか……)
ラセフ侯爵は疑心に駆られた。
歳の離れた後添え、自分には勿体無いくらいの素晴らしい妻だ。健気に自分に尽くしてくれる愛して止まないその麗しき妻が、犯される。そんな可能性が脳裏を過ぎる。
想像するだけでも身が震える思いがした。
ラセフ伯爵の心に恐怖が生じ、その精神を蝕んでゆく。
ラセフ伯爵は容易には平静さを取り戻す事が出来そうになかった。彼は理解してしまっていたのだ。ゲオルギイという王を頂く限り、今生じたこの恐怖を払拭する事は出来ないということに。
他の手紙にも、それぞれの貴族の動揺を誘う言葉が紡がれていた。
リュドミラは、最高位の貴族の娘として、そして王太子の婚約者として、その務めを懸命に果たした結果知りえた情報の全てを使って、貴族達をいっそうの疑心暗鬼に陥らせようとしたのである。
だが、普通ならば、流石に手紙1つで決起までする貴族はいないだろう。リュドミラもそこまでは期待していない。
リュドミラが決定的な影響を期待している本命とも言える手紙は2通。
1通は、王弟デモスレス・ラフマノスに宛てたもの。そしてもう1通は、オレグスト・レマイオス伯爵という貴族に宛てたものだった。
王弟デモスレスは、兄ゲオルギイがロシエル・リシュコフ公爵とその家族を処刑して以来不安と恐怖の中にあった。
デモスレスはそもそも兄ゲオルギイと不仲だった。父王が健在だった頃、兄ゲオルギイではなくより賢いと評価されていたデモスレスを王に推す声があったからだ。
デモスレス自身が身を退き、父王も結局は長幼の序を重視した為ゲオルギイが即位したが、それ以来兄が自分に隔意を持っているのは明らかだった。
ただでさえそのような危うい立場のデモスレスだったが、王国の緊張は更に状況を悪化させていた。
もしも、兄王に対して決起する貴族がいれば、その貴族は兄の代わりにデモスレスを担ぎ出す可能性がある。命を賭けて王位を望むつもりなどないデモスレスにとっては、そのような可能性があるというだけでも厄介だ。
更に、兄がそのような事を察し、先んじてデモスレスを殺そうとする可能性もある。あの兄ならやりかねない。デモスレスはそう思っていた。
他の可能性として、例えばリシュコフ公爵家に連なる貴族や、その遺臣が中心となって決起した場合、彼らの恨みは王家全体に及びデモスレスさえ標的とされるかも知れない。
それも、ありえる事だ。
どちらに転んでも碌なことにならない。
デモスレスは、どのように身を振ればよいか考えあぐねていた。
そんな、デモスレスの下にもリュドミラからの手紙が届いた。
(どうする。どうすればいいのだ……)
デモスレスは、その手紙を開封することもなく思い悩んだ。封を解いて中身を見ただけでも手遅れになってしまう。そんな予感すらする。
悩んだ末にデモスレスが下した決断は、徹底的に逃げるというものだった。
彼は信頼する側近に告げた。
「私は、昨日から重病に罹っていた。だから、この手紙に対して何もする事が出来なかった。開封すらも、だ」
重病という理由をつけて、手紙に対して何の対応もしない。そして、重病が癒えないということにして何もせずに現状をやり過ごそう。
本当に重病と思われれば、兄は自分をあえて殺そうとはしないかも知れない。また、王家を恨む者からも哀れまれて助命される事もありえる。
それが、デモスレスが考えた保身の術だった。そして、デモスレスの行動は徹底していた。
「寝込んで動けなくなるくらいの毒を上手く調合させろ。それを飲んで、私は本当に寝込む。見舞いの者も積極的に受け入れて、私が本当に身動きが取れないことを確認させるんだ」
と、そのような指示を側近に出したのである。そして、本当にその通りに振舞った。
このデモスレスの徹底した保身の前に、リュドミラの切り札の1つは不発に終わった。
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