第8話 伝道師の教え

 先ほどから無言で鋭く看守を睨みつけていたリュドミラは、短剣を受け取ると、右手で柄を左手で鞘を握ってゆっくりと引き抜いた。

 恐ろしく鋭利な剣身が露わになる。そして、その切っ先をごく自然に看守に向けた。


「ヒッ! ヒェッ!!」

 看守はそんな悲鳴を上げ、命乞いを始めた。

「た、助けてくれ! 俺達が悪かった。謝る、何でもする。い、命だけは助けてくれ!!」


 その命乞いに対してリュドミラが何か言う前に、“伝道師”が声を発した。

「命だけは助けてくれ? 面白いことをいうな、看守殿よ。あれほどの事をしておいて、命だけで済むと思うのか? たかが、そなた自身の命だけで」

「へ?」

 直ぐには意味を理解できない看守に“伝道師”が更に告げる。


「そなたには、家族がいたな。妻と子が2人だったか? 余りにも重い罪は家族にも及ぶ。当然のことだ」

「あ、ああ……」

 看守は、そんな声を上げながら首を左右に何度も振った。


 そして、今迄よりも一層声を荒げて必死に訴えた。

「やめてくれぇ!! あいつらはッ。あいつらは何も悪くない!!

 殺すなら俺だけにしてくれ。俺が死んで償う。だから、どうか、どうか! 妻と子達だけは、助けてくれぇ!!」


 その声を聞いて、リュドミラは眉をひそめた。だが、その殺意が薄れる事はなかった。

 リュドミラは、一歩、二歩と看守に近づく。剣術の心得もあるリュドミラには、ソファーの上で喚く看守の動きを見定める事が出来た。

 そして、その目を更に細め、右手の短剣を看守の首目掛けて一閃する。


「ヒッ、ハァッ」

 看守の口からそんな音が漏れ、一瞬の後に首から血が噴き出す。

 その血はリュドミラにも降りかかった。リュドミラは、己の身が血で汚れるのも構わずに、のたうち回る看守を見ている。

 人を殺す為に武器を振るうのはリュドミラにとって始めての経験だ。彼女も平静さを失っていた。


 少しして、看守の動きは止まり、その命は失われた。

 “伝道師”がリュドミラに問いかけた。

「あっさりと殺してしまったが、それで良かったのか?」

 リュドミラが拷問でもしてから看守を殺すと思っていたようだ。だから、最初にわざわざ中の音が外に漏れないと説明したのだろう。


「構いません。このようなモノに、時間をかけるまでもありません」

 リュドミラはそう答えた。それは、彼女の本心だった。

 もちろんリュドミラは、この看守たちを激しく憎んでいる。散々辱められ、ずっと苦痛と恥辱を受けていたのだから当然だ。だが、リュドミラは本質に気付いていた。

 この看守たちは、自分を辱め傷つける為に使われた道具に過ぎない。という事に。

 その意味で、この看守らは鞭や拷問具と大して変わらない。


 道具に対する恨みよりも、その使い手たちへの恨みの方がより強いのは当然だろう。リュドミラの本当の憎しみは王太子ジュリアンらに向かっていた。

 特に、裏切り者ドナートへの憎悪は深い。ドナートだけは、直接的にリュドミラを犯してもいたから尚更だ。




 看守達に犯されるようになった数日後、リュドミラは看守達によって身を清められた。

 その前にも看守達はリュドミラの体の汚れを落とす事は何度かあった。余りにも汚くては性欲が湧かないからだろう。だが、その時は何時になく丁寧で念入りだった。

 当時リュドミラはまだ感情を残していたが、もはや抵抗する気力はなく看守達のなすがままだった。

 そして、清められたリュドミラの前にやって来たのがドナートだったのである。


 ドナートはリュドミラを犯した。

 その行為は、長い時間をかけて執拗に行われた。言葉でリュドミラを辱め、その身を念入りに弄り、犯し尽くし、更には直接的に危害を加えその身に傷を与えた。主家の姫君を徹底的に甚振るという背徳的な行為を、思う存分に楽しんだのである。

 その苦痛と屈辱に満ちた出来事を思えば、ドナートへの憎しみが特に強くなるのも当然だった。


 だが、更にそれ以上に大きな憎しみを向けるのは、言うまでもなく家族の仇、国王ゲオルギイである。


 リュドミラは言葉を続ける。

「それよりも、申し訳ありません伝道師様。お借りした衣服を汚してしまいました」

 確かに彼女が身に付けていたローブも血で汚れていた。


「その程度の事は構わないが、確かに身支度を整えねばならないな。

 私の本当の拠点は他にある。私は旅をしていてな、この街に来たのは少し前なのだが、上手い事一軒の家を使えるようになっている。身を清めてからそちらに向かおう」

「分かりました」

 素直にそう答えたリュドミラに向かって“伝道師”が問いかけた。


「ところで、一応は憎い相手を1人殺せたわけだが、気分はどうだ?」

 リュドミラは少し考えて、それから答えた。

「……悪くはありません。ですが、このようなモノを殺したくらいでは、とても気持ちが晴れたとはいえません」

 そこで一旦言葉が途切れ、少ししてからリュドミラは別の感想を口にした。


「ですが、少し変な気もします……。

 こんな男にも、家族はいるのですね。そして、家族を大切に思う気持ちすら持ち合わせている……」


「良いことに気づいたな、ご令嬢殿。そうだ、その通り。このような者にも家族を大切に思う気持ちはある。

 だが、そんな尊い気持ちも持ち合わせているにもかかわらず、一方でご令嬢殿に対して実際にそうだったように、己の欲望に従って、悪逆非道、残虐無慈悲な行いをする事もある。

 それが、人間というものだ」


 リュドミラは、眉をひそめた。納得が出来なかった。

 “伝道師”が語った人間という存在に対する考えは、リュドミラが今まで信じてきたものとは全く異なっていたからだ。


 リュドミラも、普段は善良に暮らしている者でも時には魔がさして多少の悪事を働いてしまう事もある、くらいのことは承知している。

 しかし、自分に対して行われたあの行為はどう考えても多少の悪事どころではない。

 “伝道師”が言うとおり、悪逆非道、残虐無慈悲の、極悪行為だった。


 リュドミラは、あのような極悪行為を行う者は根っからの極悪人だと思っていた。まともな人の心を持たない、正に人非人だと。

 そんな者達が、他者を思いやるような尊い気持ちなど持っているわけがない。と、そう思っていたのである。

 しかし、“伝道師”はそうではないというのだ。


「納得が出来ないか?」

 “伝道師”が問いかける。

「……はい」

 リュドミラはそう答えた。現状では“伝道師”の言うことに反論して、その気分を害しても良いことは何もない。そうとも思ったが、やはり自分の疑問を隠せなかった。


「そうか、だがな、私が言ったことが真実だという事は簡単に証明出来るぞ」

 “伝道師”はそう告げて話し始めた。


「例えば、戦場では兵士による強姦殺人などありふれたものに過ぎない。そんな話しを聞いたことはないか?」

「ええ、それが戦場の現実だと聞いています。為政者たる者は、そのような現実からも目をそらしてはならないと」


 確かにそれは事実だ。

 どんなに軍規を厳しくしても、戦場においてはそのような暴虐行為をなくす事は出来ない。

 いや、そもそもそれを禁止する軍規が厳しく定められているということ自体が、禁止しなければそのような行為が野放図に行われるという事を証明している。


「その通りだ、では、その行為を行っている“兵士”とはどんな者達だ?

 人の心を持たぬ怪物達か? 家族を知らず、愛も知らずに育った者達か? 或いは何らかの理由で社会全てを憎んでいる者達だろうか? それとも、残虐な衝動を抑えることができない殺人狂達だろうか?

 違う。そんな事はない。軍とはそんな者達を選んで構成されているわけではないからだ。

 それら兵士たちの大半は、普通の家庭を持つ、普通の、ありふれた男達だ。

 その、ありふれた男達が、戦場では強姦殺人を行う。そう考えなければ説明がつかない。何しろ、戦場における強姦殺人など、ありふれた事なのだから。これはもはや数学的に証明出来る事実だ」

「……」


 とっさに反論できないリュドミラに対して、“伝道師”は更に話しを続ける。

「ご令嬢殿よ、1つ想像してみるといい」

 “伝道師”はそういうと、手袋をつけたままの右手の人指し指を立てて、リュドミラの前にかざした。


「あるひとつの戦が終わり、戦場から兵士が自宅に帰ってくる。

 兵士が扉を開けると、兵士の帰還に気付いた家族が、例えば妻と子供が、喜びの声をあげ兵士に駆け寄る。

 兵士は、両の腕で、妻子を強く抱きしめる。家族は喜びの涙を流している。

 感動的な光景だな。


 だがな、その兵士は、ほんの数日前まで、戦場で女を犯し、惨殺していた。

 家族を抱きしめるその同じ腕で、女を殴り、散々に嬲り、首を絞め。殺していた。

 もちろん、全員ではない。戦場でも善良に行動していた者も中にはいるだろう。

 しかし、その中の一部の者は、確実にそれを行っていた。これは間違いないことだ。何しろ、強姦殺人など戦場ではありふれた事なのだからな。

 良いか、ご令嬢殿。これが、人の営みというものだ」


 リュドミラは反論する。

「……それは、そんな事も確かにあるかも知れません。ですが、それは戦場という極限状態の中で行われた事。それが人の本質とは…」

「そうだ、その通りだ。人は、何時でも何処でも、如何なる状況でも残虐行為を行うというわけではない。場合によるのだ。

 ここは戦場だから。或いは、相手は囚人だから。

 そういった理由付けがある時には、人は容易く、とてつもない残虐行為を行う。普段は善良に暮らしている、普通の人間が、な。

 私が言いたいのはそういうことだ。人という存在は、そのように状況によって豹変する。そして、豹変する条件は定かではない。

 人とは、そんな信用ならない存在だ。私が他者を信じるなといった理由が分かるだろう?」

「……」


 リュドミラは反論の言葉を失った。“伝道師”の言葉は続く。

「だが、誤解をするなよ、ご令嬢殿。

 信用出来ぬと言ったが、私は別に、人は全て悪人だ。とか、人の本質は悪だ。とか、そんな事まで言うつもりはない。

 むしろ逆だ。ある場面では悪逆非道、残虐無慈悲に極悪行為を行う者も、違う場面、違う相手には、全く違う慈悲や優しさに満ちた行いをする事もある。と、言いたいのだ。

 つまりな、ある者から見れば極悪人にしか見えない者にも、良いところはある。と、そう言いたいのだ。


 人は、悪人と善人に二分されたりはしない。人の本質は悪だけでもなければ、善だけでもない。

 圧倒的大多数の人間は、場合によって良いことも悪い事もする。それが人間だ。そう言いたいのだ。

 改めて言葉にしてみれば、何も物珍しい言説ではない。極当たり前のありふれた真理だ。違うか?」


 “伝道師”はそこで一旦言葉を切り、リュドミラの様子を伺った。

 そして、リュドミラが困惑しつつも反論しないのを確認すると、また語り始めた。


「ご令嬢殿よ。そなたがこれから復讐に生きようと思うなら、今私が言ったことを良く覚えておく事だ。

 そなたとそなたの家族に対して、悪逆非道、残虐無慈悲な事を行った者達にも、良いところはある。

 友もいるし、愛しい家族もいる。そんな相手に対しては、その者達もまた善良に振る舞い、よき友、よき家族なのだ。このことを忘れない様にな」


 その言葉を聞いたリュドミラは、驚き目を大きく開いた。だが、その目はやがて鋭く細められる。そして、リュドミラは“伝道師”に答えた。


「ありがとうございます。伝道師様。

 とても良いお言葉をいただきました。決して忘れることなく、今のお言葉を踏まえて行動させていただきます」

 そう告げた後、リュドミラは、血がついたままの顔に薄い笑みを浮かべた。


「よし、それでよい」

 そう返す“伝道師”の声も、どこか喜色を孕んで聞こえる。

「では、改めて私の住処に案内しよう」

 “伝道師”はそういうと、リュドミラの身繕いの準備を始めたのだった。

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