第9話 それが何者であろうとも

 リュドミラと“伝道師”は、何ら問題なく“伝道師”の住処についた。魔法のローブの効果は確かで、その間に誰にも見とがめられる事はなかった。

 ひと心地ついたところで“伝道師”がリュドミラに問いかけた。


「さて、とりあえず、ご令嬢度は何かこの後の計画を考えているのかな?

 もしあるなら聞かせて欲しい。もちろん、私はこの後もそなたに協力しよう。私は、相当に多様で強力な薬を処方できるし、貴重な魔道具等も幾つか持っている。金も融通できるから、色々な場面で役に立てるだろう。

 だが、私が出来る事を全て伝えてそれから策を練るというのでは、少々手間だ。まずは、ご令嬢殿の考えを聞いて、それに対して手助け出来る事を提案したい」

「分かりました。お話しさせていただきます……」

 そうして、リュドミラは自分が考えている事を残さず“伝道師”に伝えた。


「なかなか良い事を考える」

 リュドミラの考えを聞いた“伝道師”はそう告げる。そして言葉を続けた。

「そのような事を為すなら、ご令嬢殿自身が安全に出歩けた方が良いな。

 ……よし、特別にこのローブを貸してやろう」

 そして、自らが身に付ける灰色のローブの胸元を触りつつそう言った。


「これは、私が持つ魔道具の中でも特別だ。“認識阻害”、“姿隠し”、“幻覚変身”、“回避”の全ての効果が、極めて高度な水準で付与されている。

 そうと望めば、周りから意識される事がなくなり、完全に透明になる事も、幻影で姿形を変える事も出来る。そして、敵の攻撃などを避ける事も。

 英雄と呼ばれるほどの者ですら、これらの効果を破る事はめったに出来ない。

 恐らく、今のこの王都スコビアに、このローブの効果を破れるものはいないだろう。

 その上、防具としての性能も格別だ。こう見えて並みの攻撃程度なら全てはじいてしまう。付け加えると“魔法隠避”の効果もあるから、並みの術師では魔法の品と見抜くことは出来ない」


 リュドミラは息をのんだ。“伝道師”が言っている事が事実なら、そのローブの価値は金銭で取引できる域を超えている。

 “伝道師”は説明を続けた。


「とは言っても、完全というわけではない。特に“回避”については、その効果を引き出す為には攻撃を避けようと思う事に集中する必要がある。魔法を使おうとか、或いは反撃しようとか、そういった事を考えると効果が失われるのだ。

 そして、避けようと意識する事が出来ない場合も効果を発揮出来ない。つまり、完全な奇襲には対応できないということだ。


 まあ、防具としての性能も高いから、奇襲されても一撃で殺されてしまう事はまずはないだろう。だが、例えば背後から忍び寄られて、組み付かれて拘束されてしまえば、それっきりだ。

 だから私は、いつも“身かわしの首飾り”を併用している。拘束から逃れる事が出来るという品物だな。だが、これまで渡してしまうと、流石に私が心もとない。

 だから、とりあえず今貸すことが出来るのは、このローブまでだな。不意をつかれないように気をつけることだ」


「それほど貴重なものを、本当に貸していただいてよろしいのですか」

「構わないさ。めったなことで壊れるものではないから、丁寧に扱う必要もないぞ。では、少し待て」


 そう言うと“伝道師”は、まず、ずっと目深にかぶってその容貌を隠していたフードを外した。

 露わになったその顔は、リュドミラには品の良い白髪の老婆に見えた。

 だが、次に“伝道師”が首元で留めていた紐をほどいたところで、リュドミラは驚愕した。“伝道師”の容貌が突然変わったからだ。


(美しい)

 “伝道師”の容貌を目にしたリュドミラには、それ以外の言葉が思い浮かばなかった。「美」という言葉は、目の前の存在の為にある。そんな気さえする。


 最上質の黒曜石のような艶のある黒髪が肩までの長さで揃えられ、前髪は眉の上で整えられている。

 冷たさを感じさせる鋭利な美貌、切れ長の瞳、瞳の色も闇夜を思わせる漆黒だった。

 代わりに肌は輝くような純白で、最上の白磁をもってしても、その美しさと比べることすら出来ない。

 年齢は随分若そうに見える。少なくとも外見上は。どう多く見積もっても、20代前半を超えることはないだろう。その張りのある肌などは10代のもののようにも思える。

 だが、全体として若輩と侮る事を許さない雰囲気があった。きっと見た目通りの年齢ではないのだろう。


 最高位の貴族令嬢であるリュドミラは、今迄に多くの美しいものを目にしてきた。生きた人間も、絵画や彫像などの美術品も。

 だが、その全てが目の前に居る女性には及ばない。

 その圧倒的な美を目にしたリュドミラは、呼吸することさえ忘れていた。


 息を呑むリュドミラにかまわず、紐を解いてローブの胸元を大きく開いた“伝道師”は、両肩からローブを払った。ローブは床に落ちる。

 そうして露わになった身体もまた、美しかった。


 身に着けているのは、漆黒の薄絹で作られた飾り気のない質素なドレスだった。

 身体の線に沿った作りで、ほど良い大きさの魅力的な胸の膨らみが強調されている。銀色の細い帯を腰で締めており、深いくびれを際立たせていた。ドレスはそのまま足首まで伸びて脚線の美しさを伺う事も出来る。

 完全な均整がとれた、美の見本のような身体だ。

 改めて見ると、背丈はリュドミラよりも少し低い。女性としては標準的な身長といえるだろう。


(完全なる美)

 そんな言葉が思い浮かぶ。

 リュドミラはしばらくの間、その完全な美にただ見惚れる事しか出来なかった。


 “伝道師”は身を屈めローブを拾う。そして、身を起こしてローブをリュドミラに差し出した。その一連の動作もまた美しかった。

「さあ、試しに着てみるか?」

 “伝道師”はそう告げた。その声もやはり美しい。


 声をかけられた事で、リュドミラはようやく我に返った。

「あ、ありがとうございます」

 そう言って、今身に着けている黒いローブを手早く脱いで“伝道師”に手渡し、代わりに灰色のローブを受け取って身につけ始めた。


 リュドミラは、“伝道師”の方に目を向けないように努めていた。一度目にすれば、また見蕩れて動けなくなってしまうと思ったからだ。

 また、“伝道師”の人知を超えているとすら思える美しさを見て、リュドミラには思うことがあった。


(歴史を紐解けば、世界には時代を超えてその美貌を讃えられるほどの美女も存在する。この方も、或いはそれほどの存在なのかも知れない)

 と、そのように思ったのである。


 確かに、時代を超えて語り継がれる伝説的な美女という者は存在している。

 そして、伝説的な美女は善良な存在ばかりではない。中には国を滅ぼし、或いは数カ国を巻き込む大戦乱を起こした者もいる。そういった者達の中には、暗黒神アーリファの信徒だったといわれている者もいるのである。


 何も遠い異国の話ではない。このオルシアル王国の歴史上でも美貌のアーリファ教徒が、国に壊滅的な影響を与えた歴史がある。それは、今から270年近く前の話だ。

 この“伝道師”がそんな大昔の出来事に関係があるはずはないが……。

 しかし、本当に見た目通りの年齢ではないなら、実年齢は不明という事だ。世の中には老いから解放された存在なども実在しているという。まさか……。


 リュドミラがそんな事を考えているうちに、“伝道師”はリュドミラが脱いだ黒色のローブを身に着け、そのフードを目深にかぶって、またその美貌を隠した。

 そして、灰色のローブを着たリュドミラに声をかける。

「さて、具体的に計画をたてようか」

「分かりました」

 リュドミラは好奇心を押さえてそう答える。ここでいらぬ詮索をして“伝道師”の機嫌を損ねても良いことはない。


 それに、リュドミラは“伝道師”が何者であっても、今更己の意思を変えるつもりはなかった。

 例え、自分が味方に引き込んだものが如何なる存在だったとしても、それがどんな結果をもたらし、どれほどの犠牲を強いるものだったとしても、それでも、必ずや復讐を成就させる。と、そう決めていたのである。


「よろしく、お願いします」

 リュドミラは確固たる意思を持ってそう告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る