第6話 別に意味なんてないから
あれからどのくらい時間が経っただろうか。
「ほー。。。ほけっきょっ。。。」
相も変わらず鳥は鳴き、木々は木の葉を風で震わせて自然の音楽を奏でている。
どこまでも青い空、どこまでも緑の草木。
ときおり足元を飛んでいくイナゴのようなバッタ。
そこには、ただの自然がある。
そしてそのなかに、これもまた、ただの人間という動物がいる。これもまた広義でいう自然なのだろうか。
「トンタントントン……」
頬のジンジンと内から湧き出てくるような痛み。
その脈拍よりもずっとゆっくりなリズムの歩調で後ろから階段を上っている人の足音が聞こえる。
とても軽やかで、さっきまでの不条理とは何も関係ない音がそこにある。ただの足音。それには本来、何の意味もない。
しかし、人はその足音に意味をつけたがる。どうしても意味を世界につけたがる。
人間はそうして出来上がった世界のなかで、その不安定な存在を確かなものとするために必死にもがき苦しみ、そして幸せだと信じ込むことができる人が、ひとり孤独に幸せになっていき、確かに私は存在したと、存在してよかったと、思い込むことができる。
孤独になってしまった幸せに人は縋り付くようになった。
「頂上だ……」
虎太郎が口を開いた。
虎太郎たちは、あの不条理なNTR事件のあとに、静かにデートの続きをしていた。黙々と登山していた。
小町とかわす言葉はほとんど何もなかった。その間、おおよそ1時間半。
いや、虎太郎が小町と言葉を交わそうとしなかったと、そう言った方がいい。
しかし、それでも小町は何も言わずに虎太郎についていった。ボロボロになった虎太郎をじっと見つめながら、いや、慈しむような瞳を向けながら、登山した。
小町はその間なにを思いながら登山したのだろう。
どうして、虎太郎は黙ってしまったのだろう。自分が惨めだったからだろうか。自分が不条理を前にして、抵抗するも空しく、一方的に屈してしまったからだろうか。それとも……
不条理を前にした自分の愚かさを、自分の利己性を愚直に受け止めているからだろうか。わからない。何も。誰も。この心情を、やるせなさを言語に起こせるものはいない。
感情とは、言葉とは、そういうものだ。
「トン……トン……タン」
後ろからの足音が止まった。
「どうして、こんな俺なんかのこと。。気にしてくれるんだ、小町」
「…………私が虎太郎の彼女、だからよ。ただ、それだけ。あなたのことがずっと、好きだから。ただ、それだけのことよ」
小町が、振り返った虎太郎の、ボコボコに腫れた顔をまっすぐに見つめる。目には、登山の途中に溜めていたと思われる大粒の涙があった。おそらく、ずっと泣いていたんだと思う。ずっとずっと、忍びながら泣いていたんだと思う。
しかし、それにしても虎太郎は滑稽な顔をしていた。
「それだけのことって。。俺は小町にひどいことをした。酷いことを言った。とても許されないようなことを言った」
「うん……そうだね」
小町はそれだけを呟く。
そして虎太郎は息を飲み込み、続けた。
虎太郎の後ろには広大な、地元の平地がこれでもかというくらいに広がっている。
太陽は西日となり、オレンジの光が町を、空間を照らしている。
「俺は小町のことが本当に好きだ。大好きだ。好きで好きで気がおかしくなってしまうくらいに好きだ。でも、あのとき俺はどこまでも貪欲に、自分の性欲を果たしたいという欲求に素直になってしまった。自分でもいま考えると、どうしてそうなった、と思う」
「うん」
「どうして自分の彼女が、小町が襲われている瞬間に、そういうことを考えて、そしてあろうことか、その気持ちを口にしてしまったのか、と思う」
「そうだね、あのときはとっても絶望したよ」
「……うん。だから、小町。ぼくはそういう人間なんだよ。どうしようもない、クソ男なんだ。あの人がいっていたように。。。」
虎太郎は俯いて、踵を返した。
背中がどうしようもなく、丸まっている。
小町はその背中を見つめ、そして口を開く。
「虎太郎。口でいうことのできる正論に気持ちが追い付いている人間なんて、本当に少ないんだよ。いや、本質的には誰もいないんじゃないかな、虎太郎」
秋になって冷たくなった風は山の上では、さらに冷たい強風となり二人の間を通りぬけていく。汗をかいた体がどんどんと熱を失い、体を冷やしていく。
それでも二人は、広大な地元の風景を俯瞰しながら、会話を続けなければならない。明日、風邪をひくかもしれない可能性なんて、なにも頭に浮かんでこない。。
「私たちはどこまでも純粋に、感情というものに実直だ。それは時に人を傷つける行動や言動を促すことになってしまうかもしれない。でもね、虎太郎。私はその一時の迷いや失敗が、その人のすべてを決めてしまうなんてこと、あってはならないと思ってるんだ」
小町が、その乱れた服の上から、胸に手を当てる。
小町の瞳はなおも虎太郎の背中に向いている。
「人は複雑な感情の集合体だ。いま言っていることは、その人の考えていること、考えてきたことの、氷山の一角でしかない。それに人っていうのは変化していく生き物だ。大きな変化を可能にする生き物だ。私はそんな生き物である人をどこまでも大切にしていきたいと思ってるんだ。そして、それが紛れもないあなた。虎太郎なんだよ」
びゅうっと。
秋の風がまた、二人の間を通りぬけていった。
虎太郎の背筋は思いのほか真っすぐになっているような気がする。
あくまで、そんな気がする。
太陽が雲の間から抜け出し、強い西日を二人に浴びせる。
二人の存在が自然のなかに強調されたような瞬間。
影が長く伸び、一瞬の時は永遠を求める。
「私はそんな虎太郎のことを、ずっとずっと信じてる。愛してるんだ」
小町はそう言って、虎太郎の隣に並んだ。
虎太郎は小町の顔を見ずに、今まで生まれ育ってきた地元のだだっ広い風景のなかを見つめている。
「こんな俺でもいいのか。いいのかな……」
「それは私が決めることだよ、虎太郎」
「……なぁ。小町」
「なに、虎太郎」
「ありがとう」
「……………」
「……………」
二人の言葉は、存在は自然のなかに溶けていく。風景に溶けていく。
大勢の人間にとってはどうでもいい人生が、関係がここにはある。
そしてまた、それは大勢の人間にとっても同じことで。この世には観測されえない、人の……人間たちの人生がたくさん詰まっている。
私たちは人間は、誰しも人生の意味について考える。考えずにはいられない。口に出すことは憚られても、心のうちでは、みな形は違えど自問自答を繰り返していることだろう。
どうして私はこんなにも愚かなんだ。
どうして私はこんなにもテストの点数が悪いんだ。
どうして僕はいつまで経っても好きな女の子に好きって言うことができないんだ。
どうしてあたしは……
どうして………………
悩めば悩むほど、人は人生に意味を見いだせなくなっていくのだろうか。
そもそも人生に意味などあるのだろうか。
こういう山の頂上から自然を、広大なただの美しい自然を目に焼き付けると、ふとした瞬間に、そのように思うときがある。
「虎太郎……」
小町は、遠景を眺め、目を細くしながらつぶやく。
「私たちって、どうして生きてるのかな」
「……そっくりそのまま返すよ。そんなの俺が聞きたい」
虎太郎もまた、ボロボロになった顔で、体で廃れゆく生まれ故郷をじっと眺めている。
「……私べつに人生に意味なんて求めてないんだ。意味なんて無理に探さなくていいんだよ。大切なことはさ、大事にしていきたいことはさ、私はこの一瞬一瞬の感情なんだ。美しい景色だったり、懐かしい風景だったり、一緒にいて心地いい人だったりをとおして感じる一瞬の感情なんだ。楽しいことだったり、悲しいことだったり、嬉しいことだったり、そういう感情を一緒にだれかと、いや、虎太郎と積み重ねていきたい」
「……………」
「別に人生の意味について考えるなとは言わない。でもね、今この瞬間を大切にしないで、どうして人生の意味なんて大層なことを考えることができるんだ、って思うんだ」
「……………」
「虎太郎、私はあなたのことが大好き。ほら、見てっ……。太陽がだんだんと水平線に近づいていっている。国道に連なる車が豆粒みたいに小さく見える。空に走る一本の飛行機雲、夕焼けに染まる風景。すべてが鮮明に脳裏に焼き付き、そして繊細な私の感情を生み出していく」
「……………」
「虎太郎!どんなに辛いときでも、どんなに悲しいときでも、世界ってこんなにも美しいんだね!!!!!!」
「小町……」
「あははははははははははははははははは!!!!!!!!!」
「……うん。そうだな。そうだよ。そうなんだよ、こんなときにでも、こんな俺たちの何もない田舎は!!!!美しく映るんだ!!!!!あはははあああっははははっはははははあははははははははっは!!!!!!!!!!」
………………………
永遠とも思えるほどに長い長い夕焼けの時が、二人の間に無常に流れていった。。。
【完】
デートの日、俺の彼女がトイレ休憩から帰ってこないと思ったら寝取られていた件について ネムノキ @nemunoki7
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