第3話 私の望んだ未来。

「こんにちは。神薙かんなぎ仁志ひとしです。よろしくお願いします」

 文学少年といった彼は私に向かって言っているように思えた。

 転校生。

「これで近くにいられるね。青木さん」

「う、うん……」

 格好いいけど、でも彼の想いが強すぎてクラクラしてくる。

「おい。一条いちじょうというものがいながら浮気かよ」

「何股しているんだよ」

 男どものいい加減な発言にイラッとくる。

「キミだけがタイムリープしたわけじゃないよ。青木さん」

 すれ違いざまにボソッと耳打ちをしてくる仁志くん。

「えっ?」

 私は思わず振り返り、彼の背中を見送る。

 ちろっと出した舌先はちょっとえっちぃ。

 でも彼もタイムリープしているのなら、私はどうすればいいの?

 もしかして運命の人は仁志くん?

 そんなことない。

 私がときめくのは正樹だけ。そのはず。

「どうしたんだ? 香織」

「え。なんでもないよ?」

「いやあるね。香織は神薙が気になっているだろ?」

「そ、それは……」

 だって気になるじゃない。

 私を好きでいてくれることも。タイムリープしてきたことも。

 彼はどうしたいのだろう?

「だけどさ。俺から視線を逸らすなよ」

 正樹がやけに突っかかってくる。

「えー。そんなんじゃないって……」

 少ししつこいかも。

 こんな怖い顔みたことない。

「いいか。お前は俺の彼女なんだろ?」

 私のほっぺをつかみ、顔を近づけてくる正樹。

 怖い。

 どこか怒りが滲んでいる彼に不安と躊躇いが生まれる。

「ちょっと正樹君、何やっているんだよ」

獅子唐ししとう……」

 正樹が彼女の名を呼び振り返る。

 ギャルのような風貌の彼女。

 獅子唐有紗ありさ

「いいじゃない。私たち、夫婦なんだから」

 私は慌てて正樹の腕をとり、腕を絡ませる。

「ふーん。もう夫婦になった気でいるんだ?」

 強めの口調で煽ってくる獅子唐。

 少し怖い。でも私は正樹と添い遂げるんだから。

 自分の無力さを思い知りなさい。

「ああ。俺たちは付き合っている。これからは獅子唐とも会えなくなるな」

「……っ!」

 勝った。

 私はあの獅子唐有紗に勝ったんだ。

 ありがとう、正樹。

 ありがとう、神様。

「でも、それは少し寂しいな」

 ボソッと呟く正樹。

「ふふーん?」

 この威圧的な視線。

 やっぱり獅子唐が正樹の性癖を歪めたんだ。

 彼女はドSだから。

 だから家庭を壊された。

 むちゃくちゃにされた。

 私は怒りのあまり睨み付けるようにして獅子唐を見やる。

「どうせ身体だけの関係なのでしょう? すぐ別れなさいよ、正樹君」

 ぱんっと平手うちの音が鳴り響く。

「獅子唐。言っていいことと悪いことがある」

 正樹だった。

 彼が獅子唐を叩いたのだ。

「な、何よ!? あたしはあんたのことを思って言っただけだし!」

「な、せ……だ! 余計なお世話だ! お前なんて知らん!」

 そう言って私の手をとって走り出す正樹。

 それがたまらなく嬉しい。

 やっぱり正樹とは運命の恋の相手なんだ。


 私たちが屋上前の踊り場に出ると、正樹は息を整えてこちらを見やる。

「ごめん。悲しい思いをさせてしまった」

「ううん。あんなに大切に思ってくれているなんて知らなかった」

 まさかまだ付き合ってから四日目だよ。そんなに愛情深い人とは思えなかった。

 だって浮気したし……。

 ふくれっ面を浮かべていると、正樹は申し訳なさそうに頭を下げてくる。

「本当にごめん。まさか獅子唐の奴があんなに突っかかってくるなんて思わなかったんだ」

 先ほどの言い分からしてみれば、獅子唐も正樹のことが好きみたい。

 そうだよね。そうじゃなかったら、この鈍感男と付き合えていたはず。

 邪魔したのは私の方?

 頭に浮かんだ疑問を振り払い、訊ねる。

「正樹はその……獅子唐さんのこと、どう思っているの?」

「え。ただの仲の良い友人だと……」

 やっぱり。

 勘の鈍い男ね。

 クスッと笑みを漏らす。

「な、なんだよ。急に」

「なんでもなーい」

 ふふふと笑い声を零すと、正樹も困ったように頭をガシガシと掻く。

「まあ、いいけどさ……」

 実直で優しい彼はやっぱり私の夫だ。

 これから先もずっとそばにいる。

 そんな彼と今度こそ、仲の良い家庭を築いていくんだ。

「こんなところにいたんだね。青木さん」

 階段を上がってくる音とともにやってくる仁志くん。

「さ。おれと一緒に行こう?」

「なんで?」

 私は訳が分からないと言った様子で返す。

「なんだ? お前は。香織は俺の彼女だ」

 かんに障ったのか、正樹が剣呑な顔を見せる。

「俺の大事な恋人を渡す訳にはいかない」

 か、格好いい!

 しびれるほど格好いいよ! 正樹!

 心の中では彼の株が急上昇した。

「ま、今すぐじゃなくていいさ。おれと青木さんは運命で結ばれた相手なのだから」

 そう言って爽やかそうに前髪を掻き上げる仁志くん。

 うん。こんな子だったっけ?

 知っている彼と違いすぎて戸惑いを覚える。

「なんだ? お前もあいつのことを不思議ちゃんだと思っているのか?」

「不思議ちゃん……、そうだね。そうかも」

 確かに、仁志くんはミステリアスなところがあった。

 だからこんなアプローチをしてくることに違和感を覚えている。不思議に見える。

 でも、彼にとってもタイムリープは予想外だったんじゃないかな。

 この世界に一人、いや私と彼の二人だけがタイムリープをした。

 これは運命なのかもしれない。

 彼の気持ちも少し分かるのよ。

 去っていく仁志くんを見やる。

「ちなみにおれは不思議ちゃんじゃないよ?」

「「いや、絶対に不思議ちゃんだ」」

 私と正樹は顔をつきあわせて笑い合う。

 それを見て不愉快に感じたのか、避けるように逃げ出す仁志くん。

「ああ。ようやく俺たち二人になれたな」

「そうだね。エッチなことを要求したいんでしょ?」

「はぁ!? そんなわけないだろ。俺たちにはまだ早いって」

 顔をまっ赤にして否定する正樹。

 ああ。この感じ懐かしいな。

「ふふ。分かっているよ。正樹は紳士だもの」

「……バカにしていないか? それって」

「そんなことないよ。そんなところも好きなんだ」

 私は慌てて手を振って気持ちを伝える。

「ま、まあ。素直に好意を言われるのは悪い気はしないな」

 苦笑しつつ頬を掻く正樹。

「うん。そうでしょう?」

 社会人になって思った。

 人は意外と単純だ。そしてちょっとしたことで一喜一憂するのが人間なんだ。

 達観している人もいるけど、私はもうちょっと素直に生きようと思った。

 体調不良も、有給も、仕事配分も。すべて素直に気持ちや理由を伝えるべきだと、そう思った。

「今度、デートしよ?」

「え。うーん。分かった。でも土曜はダメだ。日曜にしてくれ」

「うん。いいよ」

 確か、このときの正樹はアルバイトと勉強に集中していた。

 いい大学に進学して、いい就職先を見つけて、いいお嫁さんと一緒に円満な家庭生活を送る。

 それが彼の口癖だった。

 ずっと思っていた夢を私が叶えるんだ。

 今度こそ、まっとうな性癖を。

 まっとうな付き合いをするんだ。


☆★☆


 私は槍烏賊やりいか駅前にやってくると、少しおしゃれをした彼を見つける。

「あ。おはよう。仁志くん」

「うん。ありがとう。来てくれると思ったよ」

「それで? 何があったの?」

 私は仁志くんの顔色をうかがう。

「ちょっと時間をもらえるかな?」

「いいよ。そうじゃなければ私は来ていないし」

 クスッと笑みを浮かべると、仁志くんは嬉しそうに目を細める。

「じゃあ、そこのカフェで」

「うん」

 私は仁志くんと一緒にカフェ【赤烏賊あかいか】に立ち寄る。

 オリジナルコーヒーを二つ頼み、私はホッとする。

 何かおかしなことを考えている訳ではないらしい。

「この世界に異変が起きている」

 淡々と告げる彼に違和感を覚える。

「いや、何を言っているのかわからないのだけど?」

 私は困ったように眉根を寄せる。

「今はまだ分からないかもしれない。でもキミがした過去の改変があらゆる方向で問題を起こしている」

「え。でも、過去が変わったといっても私と正樹が付き合うの、早まっただけだよ?」

「それが、それだけじゃないらしい」

 真剣な顔で続きを話す仁志くん。

「風が吹けば桶屋が儲かるって知っているかい?」

 聞いたことのない言葉に私は首を横に振る。

「最初に起きた事象が、後々のちのち別のところに影響してくるって意味合いなだけど」

「じゃあ、私のしたことで未来が大幅に変わっていく、ってこと……?」

「その通り。やっぱり地頭はいいんだね」

「そうかな?」

 私は茶化されているようでうまく飲み込めない。

「これ以上の改変は世界を滅ぼす」

 笑み一つ浮かべない仁志くん。

「でも。でもね。私は正樹と一緒がいいの。正樹の笑った顔が好き。正樹の優しさが好き。正樹の支えになりたい」

 いきなりの惚気のろけに面食らった様子の仁志くん。

「だから、正樹がいないのなら、世界が壊れてもいいかな? って思うんだ」

「そこまで彼を愛しているのなら、なんで今日ここに来たのさ……」

 渋面を浮かべて目が痛いのか目頭をくしくしと揉むほぐす仁志くん。

「世界よりも正樹を愛しているんだね」

 仁志くんは自棄やけになったのか、ため息を吐きながら口を開く。

「おれが全てを変えるつもりだったのにな~」

「すべて?」

「ああ。おれが青木さんの恋人になっておれだけの妻にしたかった」

 そんなに好きだったんだ。

 申し訳ない。

「でもキミは彼が好きなんだね」

「うん。ごめんなさい」

「いいよ。それが分かったのなら、引くのも男というもの」

 くしゃっと笑みを浮かべる仁志くん。

 悪い人ではない。むしろ好感の持てる好青年といった風情をしている。

 引く。その言葉が上擦っていた。

 きっと彼だって割り切れるものじゃないのだと思う。

 振った側が何か言っていい雰囲気ではなかった。

「今日はありがとう」

 そう言ってペコリとお辞儀をする仁志くん。

「そんな! はい……」

 私は声を荒げるけど、彼の気持ちを尊重することにした。

 それは苦悩の選択だった。


 その日の夜。

 私は自分のアパートに戻る。

 と、クラクラする。

 アパートのドアを開けると、そこには八畳三部屋、風呂トイレ別。寝室もある。

 見覚えのある配置。それに部屋。

「おかえり。香織」

 それは彼の優しい声だった。

 私は嬉しくてつい駆け寄る。

 彼を取り戻したんだ。

「もう浮気しないでね!」

「浮気なんてするもんか!」

 彼の声を聞けて、私はつい跳ね上がる。


                           ~完~

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サレ妻、後悔後に立たず。タイムリープして彼の性癖を矯正します 夕日ゆうや @PT03wing

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