第2話 愛、男たち。

 翌日になり、私はルンルン気分で甲烏賊こういか駅前にたどりつく。

 甲烏賊のこうは昔貝殻を背負ったときの名残でイカで唯一堅いところ。

 そんな駅で正樹がやってくるのを待つ。

 いつも八時四十分の電車で降り、そこから十分じゅっぷんかけて高校に向かう。

 人混みの中を見つめていると、そのがっちりした身体つきを晒している。

「あ。正樹~♪」

「お前、どうしてここが!?」

 目をパチパチと瞬く正樹。

「ストーカーか?」

「友達から聞いただけだよ」

 私にしては良い誤魔化しかただと思う。

「なるほどな。獅子唐ししとうか」

 う。彼女のことは思い出したくないのに。

 そう言えばこの頃からすでに接点があったのね。

 悔しい。

 こんなに素敵な人と友達でいられるなんて。

 そして最後は浮気するんだから。

 見てなさい。

 私が獅子唐さんとの接点を潰してやるんだから。

 ふんすと気合いを入れ直していると、正樹はケラケラと笑う。

「なんだよ、その反応。おもしれー」

 面白女になるつもりはない。

 そうだ。今のうちに性癖を矯正しないと。

 手を伸ばし、正樹の手をそっととる。

「わっ。な、なんだよ……」

「いいじゃない。恋人、なんでしょ?」

「それは、そうだけどさ……」

 正樹は口を尖らせて不満そうに呟く。

 一緒に歩きだし、高校へと向かう。

「それにしても、正樹はどんなエッチがしたい?」

「え。いや、え……」

 顔をまっ赤にしながらしどろもどろになる正樹。

 あ。そっか。まだ夫婦じゃないものね。そりゃ動揺もするわよね。

「まだ早い?」

「そう、だね……」

 こんなに慎重なのに、なんで浮気なんてしたんだろ。

 いやドMを受け入れてくれるのが私ではなく獅子唐だったからだけどさ。

 分かっていますよ。

 でも、そのドMという性癖のせいで私がどれだけ苦労したことか。

 もう彼女の思い通りにはさせない。

 獅子唐さんが正樹をドMにしたのだから。

 学校に着き自分の席に座る。

 正樹のもとに人が集まり出す。

「なあ、主席だったのか?」

「格好いい。付き合いたい」

「あー。もう彼女がいるんだよ」

 正樹はそう言って私を見やる。

「うわ。なんだ、あのスタイル」

「性癖歪んじゃうね!」

 嫌らしい視線を向けてくる男子生徒ども。

 私があんな下品な奴らと付き合うわけないじゃん。

 普通に考えてよ。

「もう私と付き合っているのよ」

 正樹の前に出ると警告するように低く唸る。

「ちょっと。冗談で言っただけじゃん。本気マジにしないで~」

「そっか。冗談かー」

 クスクスと表面上では笑みを零す。

 この子絶対狙っていたでしょ。水口みなぐち江布えの

 警戒するべきね。

 普通の性癖になっても浮気症が直るとは限らないのだから。

 まあ、私の魅力でメロメロにしてあげるんだから。


 昼休みになり、私はすぐに正樹のもとに行く。

「一緒にお昼しよ?」

「え。ああ。そうだな」

 素直な正樹は今のうち。

 そう思いながら私は彼を誘導する。

 それでいい。

「これ、お昼のお弁当だよ♪」

「マジか。ありがとう!」

 嬉しそうに受け取る弁当。

 私と正樹は机をくっつけて、椅子に座る。

「いい彼女さんでしょ?」

「言わなきゃ完璧だったのに」

 少しくらい隙を見せないと、引いてしまうのが世の常。

 それを私は体感した。

 だから、彼に意識させるためにも残念さを出さなくちゃいけない。

 これも戦略のうちなのだよ、クロ香織くん。

 少し上機嫌になった正樹は弁当箱を丁寧に開ける。

「おお!」

 唐揚げに、卵焼き、ミニハンバーグ、ひじきの煮物、梅干しご飯。

 これでもかと彼の好きなトッピングにしたのは誰でもない私だ。

「俺の好きな料理ばかりじゃん! 特にこのひじき!」

 彼は意外とヘルシーなのである。

 パクパクと食べる正樹を見て、久しぶりにこんな気持ちを味わった。

 ツーッと流れてくる涙。

「お、おい。どうしたんだよ。香織」

「ええと。あははは。嬉しくて泣けてきちゃった」

 久々に一緒に食べた食事。

 壊れた家庭ではありえなかったこと。

 それが嬉しくて涙が流れてくる。

 ああ。嬉しいな。

 こんな生活が毎日続けばいいのに。


 しばらくして、私は彼の家に行く。

 隣町の小さな一軒家。庭も狭く、彼の部屋も小さい。

 彼の両親は気にしなくていいと理解しているので、そのまま上がり込んだ。

 部屋に行くと、私は制服のシャツの胸元を開いて見せる。

「な、何やっているんだよ。バカ」

「いいじゃない。少しは興味あるんでしょ?」

 ニタニタと笑みを浮かべる私に、動揺の色を見せる正樹。

 ふふ。でもその動揺は嬉しいな。

 私を知って。

 私を愛して。

 私を性癖にして。

「暑いならエアコン下げるぞ」

 彼はそう言ってリモコンを操作する。

「もう。奥手なんだから」

 私としては手を出しても良いと思っていたのに。

「俺たち、まだ高校生だ」

 私のおでこにデコピンをする正樹。

「ああん。もう」

 クスッと笑みを零すと、やれやれといった様子で正樹は肩をすくめる。

「俺のことも身体目当てじゃないのか?」

 不安そうな視線を投げかけてくる彼。

「何言っているのよ。正樹のことは知っているよ。小学生サッカーチーム《エンジェルス》に入っていて、そこで一番の成績だったって。それに中学のサッカーでも全国大会に行った。サッカーを愛していた。それに両親の影響で学力は落とさなかった。サッカーボールは監督との思い出、なんでしょ?」

「獅子唐すら知らない情報を……!」

「ふふ。だって私、あなたの妻になるために未来から来たんだもの」

 私はへへんと立派な胸を張って言う。

「未来? 変わったことを言うな」

「ふふ。いいじゃない。私が愛してあげる」

 スカートの裾をつまみ、少し上げる。

「な、何をしているんだよ!」

 正樹は耳までまっ赤にし、顔を逸らす。

 嫌ではないはず。

 彼はむっつりだったから。

「ふふ。もう可愛い♪」

「からかうなよ……」

 困ったように眉根を寄せる正樹。

 そんな顔も可愛い、愛おしいと思えるほどに、私は彼に恋をしている。

 彼と一緒にいたいと思える。


 翌日、私は学校へと向かう。

 例によって、甲烏賊駅前で正樹を待ち伏せして。

「青木さん?」

 後ろから声をかけてくれる人がいた。

「え。もしかして、仁志ひとしくん?」

 その顔には見覚えがある。

 ――初恋の人。

 そう言った彼の言葉を思い出した。

 物静かで本の虫と言った様子だった彼。

 小学校の時に引っ越していった記憶がある。

「良かった。やっぱり青木さんだ!」

 テンションの上がった仁志くんを見て少し気恥ずかしい。

 駆け寄ってくる姿はまさに大型犬。

「誰だ? そいつ?」

 反対側から聞き慣れた声が届く。

 正樹だ。

 しまった。一番嫌な相手と出くわした。

「おれか? おれは神薙かんなぎ仁志。青木さんの同級生だ」

「なに?」

 嫉妬の色を見せる正樹。

 いいよ。ああ。いいよ。その顔!!

「彼は私の恋人、一条正樹だよ」

「恋人?」

 ピクリと眉根をつり上げる仁志くん。

 ああ。いい。

 この嫉妬と怒りに満ちた空気。

「そっちはただの同級生に見えないけどな」

 正樹が煽るように仁志くんを見やる。

 いや睨み付けている。

「……おれは、」

 そう。言えないでしょ?

 あなたはそういう子なんだから。

「おれにとっては、初恋の人だ」

 柔らかい顔に似つかわしくない険しい雰囲気を醸し出す仁志くん。

 え。言っちゃうの?

 で、でも……。

「ほーん。それで?」

「別に。おれはただの同級生だよ?」

「「…………」」

 ぴりぴりとした空気に耐えきれずに、声を上げたのは正樹だった。

「学校に行くぞ。香織」

「う、うん……。ごめんね。仁志くん」

 私を好いてくれた人だ。

 嫌いにはなれない。

 それに彼もちょっといい男だし。

 甲烏賊駅から徒歩で学校へ向かう。

 障泥烏賊あおりいか高校へ。

 私と正樹の通っている学校へ。


 でもまさか、あんなことになるなんて予想外だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る