柿物語

壱ノ巻 犬も腹減りゃ木に登る

「桃太郎さん桃太郎さん! みてみてキレイ!」

「ハイハイ見た見た」

「もぉ! ちゃんと見てますー?」

「見てる見てる」


 秋深し。と一句詠めそうな色鮮やかな道を、真っ白な髪に犬の耳を生やした少女がぴょんぴょん飛び跳ねながら歩いている。その後ろでは紅や黄色の葉に負けないほど鮮やかな桃を身にまとった男がひとり、紐で綴じられた古い本に視線を落としながら歩いていた。


「いつまで案内本それ見てるんですか」


 熱心に文字を追っていた桃太郎の視界がぱっと開けたと思うと、代わりに赤子の手に似た真っ赤な葉が眼前にひらひら揺れる。桃太郎は溜息をついて、差し出された葉を手に取った。

 

「お前はこれ・・をおかしいと思わないのか?」

「うーん。面白いと言うよりは、感動ですね! だってこんなに素敵なんだもの!」

「そういう意味じゃない。明らかに変だろーが」


 桃太郎はシロの手から案内本ガイドを取り返すと、紅葉もみじの葉をひらひら振って道端にぽいと捨てた。鮮やかな紅は確かに美しいが、それよりも違和感が先に立つ。


「さっきまで春だったのに、急に秋になったんだぞ。お前は少し状況を疑え」

「いーじゃないですか、キレイなんだし。気持ち悪い虫とかヘビが降ってくるっていうなら、何とかしようと思いますけど」


 そんな事を言いながら歩くシロは、違和感を感じないというよりは原因に関心がないのだろう。自分に困ることが無ければ異常気象だろうとそれでいいのだ。ある意味清々しい価値観である。


「さすが食い逃げ常習犯だな」

「まさか謝罪に行かされるとは思いませんでした」

「悪いことをしたら謝るのは当然だろ」

「だってせっかく逃げたのに」

「二度とするなよ」


 不服そうに口を尖らせるシロに、桃太郎は胡乱な目を向けた。彼らは花咲か爺の件のあと、一度川向こうの街まで戻り、シロが盗みを働いた店に一軒一軒謝罪して回ったのだ。大飯食らいのシロが食い逃げした額は相当なものだったが、自分の事のように謝ってまわる桃太郎の誠実な態度に免じて許してくれる店が多かった。


 しかしあの気の強い娘がいる茶屋だけは予想通り、しっかり被害額を請求してきた。それもかなりの額だったので、桃太郎の懐は今、秋風のように寒い。


「本当に二度とすんなよ」

「何度も言わなくてももうわかりましたー」

「お前が返事をしないからだろ」

「だーってお腹が空いて美味しいものが目の前にあったら……あっ!」


 シロは急に駆け出したかと思うと、一本の木の下で立ち止まった。大きく手を振る彼女の頭の上を見ると、その木には橙色の丸々とした柿がいくつも実っている。


「美味しそー!」

「食べ頃かはわかんないぞ」

「いいじゃないですか。ちょうどお腹すいてきたし」

「さっき握り飯食べたばかりだろうが」

「甘いものは別腹なんですー」

「何だそれ」


 桃太郎の呆れた視線をものともせず、シロは柿の木に登りはじめた。枝に足をかけて器用に登っていく様子を見れば、彼女が普段からこういう事に慣れていることがわかる。


(宵越しの金を持たず、目の前にあるもので食い繋ぐ生活、か。貧しいとはいえ、理解できないな)


 桃太郎の育った家もあまり裕福とはいえないが、慎ましく質素な生活を心がけていた。他人に迷惑をかけず、受けた恩はしっかり返す。しかし人助けのためには財も労も惜しまず与える。彼はそう教えられて育ったし、そうあるべきだと思っている。


 そうしてそんな世話焼き体質が仇となり、桃太郎は自由奔放なシロに振り回されているのだが。


「桃太郎さん! 美味しそうですよ!」


 眉を顰めて柿の木を見あげる桃太郎とは反対に、シロは嬉しそうに柿の実を手に取っている。あの柿が甘いか渋いかなんて事さえも考えていない間抜け面だな、と桃太郎は思った。


「鉢巻に食いついたくらいだしな……」

「何か言いました?」

「付き合ってられないから先に行くぞ」

「えっ!? ちょっと待って!」


 ふいと視線を外してそのまま歩き去ろうとする桃太郎についていこうと、シロは慌てて木から降りようとした。降りる前にできるだけ多くの柿を取って両手に持ち、最後のひとつの柿をガブリと噛んで片足を浮かせる。そうしてぴょんと飛び降りて、残りの柿はゆっくり食べながら歩けばいい。その、筈だった。


「んー!!」


――バサッ、という大きな音とくぐもった声に桃太郎が振り向いた時には、もうその木の上にシロの姿はなく、下には大きな白い網が広がっていた。近づいてみるとその網の中にはシロがいて、柿を口にくわえたまま、目で助けを求めている。


「……何やってんだ?」

「ふぉひは……」

「食いたいのか喋りたいのか助かりたいのかはっきりしろ」

「はへなはあふはーいふぁい!」

「食べながら助かりたい……」


 母音の組み合わせとシロの性格から何となく推理すると、大きめの網目の下でシロがこくこく頷いた。理解できてしまったことを少し悔しく思いながら、桃太郎は端から丁寧に網を捲ってシロを助け出そうとする。


「じっとしてろ」

「ふぁい」

「こんな状況で食えるかっ!」


 網の下から差し出された柿を思いっきり睨むと、シロの耳がシュンと垂れた。しかしどれだけ残念そうな表情を向けられても、悪いのは彼女の方だ。いっそこのまま置いて行った方が楽なのではと桃太郎が思いかけた時。


「泥棒だぁっ!」


 少し遠くから子供の声が聞こえる。桃太郎は反射的に網から手を離して木の裏側に身を隠し、シロは口の中の柿を素早く飲み込んで両手の柿を袖に隠した。

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