弐ノ巻 犯人は身近に潜む

「やっと現れたな、泥棒!」


 駆けてきたのは年齢が十前後であろう幼い少年だった。右手に大きな赤いはさみを持っていて、その鋭い先端をシロに向けている。真っ赤な瞳は今にも泣きだしそうに潤んでいて、感情を抑えるように口元が引き結ばれていた。


「お前が柿を盗んだんだな!」

「え……えぇと」


 シロはバツの悪そうな顔をした。怒られるのは慣れているし何とも思わないが、泣かれると流石に罪悪感が出てくる。しかも子供に泣かれるなんて、今までに経験のない居心地の悪さだ。


「……ごめんなさい」


 彼女の耳と尻尾がしゅんと垂れた。潔く謝るシロが意外だったのか、少年は面食らったように赤い瞳をパチパチさせる。


「猿じゃない……?」

「さる?」

「お前、おかあさんを殺した奴じゃないのか?」

「へ?」


 下を向いていたシロは勢いよく顔をあげた。どうやら少年が捕まえようとしているのは、柿泥棒ではなく母親の仇らしい。急に大きくなってきた話に、様子を見ていた桃太郎が木の裏側から現れた。


「その話、詳しく聞かせてもらおうか」

「お前は誰だ!?」


 驚いた少年が鋏を向けるが、桃太郎は剣を抜かない。彼が地面に片膝をついて少年に視線を合わせ敵意の無さを示すと、少年の方も戸惑いに瞳を揺らしながら構えた鋏をゆっくり下ろした。


「俺たちは先ほどここを初めて通りかかった旅の者だ。こいつも食い意地が異常なのは確かだが、お前の母親を殺して逃げるほどの悪党ではない……はず、だが」

「そこはちゃんと言い切ってくださいよ!」

 

 自信なさげな桃太郎に、シロが吠えた。仲の良さそうな二人を見て何となく母親を思い出したのか、少年が一筋涙をこぼす。シロが網の下で狼狽えながら、少年に向けて柿を差し出した。


「あぁっ! ねぇ、泣かないで。これあげるから」

「お前っ、それもともとこいつの柿なんだろうが!」

「だって美味しいもの食べたら元気になるじゃないですか!」

「誰もがお前と同じだと思うな!」


 網を挟んで繰り広げられる会話を聞いて、少年は少しだけ笑った。網を捲ってシロを助け出すと柿をひとつ受け取り、がぶりと一口噛む。しかし、口を動かしながら少年は再び涙を流した。


「うう……おかあさん……」

「お前、母親は誰かに殺されたと言ったな」


 桃太郎の問いかけに、少年は頷く。数年前にこの木の下で殺された母親の仇を討ちたいという少年に、桃太郎とシロは協力することにした。詳しい話を聞くために少年の家に向かう途中で、桃太郎は再びあの案内本ガイドを開く。


 そこには『猿蟹合戦』と大きく書かれた見出しと、たくさんに実った柿の木が描かれていたのだった。


 


         ◇



 

「どうぞ座ってください」


 少年に連れられてやってきたのは、一軒の瓦屋根の家だった。囲炉裏を囲むように座ったふたりはぱちぱちと燃える火にほっと一息ついて顔を見合わせる。そして桃太郎は炎に手を翳して暖を取り、シロは端に刺さっている魚の丸焼きに涎を垂らした。今回は流石に自重しているようで見るだけにとどめているが、とめどなく鳴る腹の音を聞いていられなくなったようで、少年は焦げ目のついた魚をシロに差し出した。

 

「どうぞ」

「ありがとうございますっ!」


 シロの瞳が輝く。はぐはぐと湯気の立つ魚にかぶりつくシロを時折横目で見ながら、桃太郎は少年の話を聞いた。


「……成程。それではお前の母親は、柿をぶつけられて亡くなったのか」

「はい。僕はまだ小さかったので覚えていないのですが。通りかかった人の話によると死因は頭部に受けた傷で、身体にもたくさん固いものがぶつかった跡が……そしてそばにはまだ熟していない固い柿がいくつも落ちていたみたいです」

「誰がやったかはわからないんだな」

「はい……でも当時ここらには農作物を盗む猿が時折出没していたといいますし、僕もなんとなく「泥棒猿」という言葉に聞き覚えがある気がして……」

「それで網を仕掛けたのか」


 少年は頷いた。桃太郎は案内本ガイドに書かれていたことを思い出した。猿と蟹が柿の種と握り飯を交換し、蟹は柿の種をうえて立派な柿の木に育て上げる。それを羨んだ猿は柿の実をぶつけて母蟹を殺し、残された子どもは母親の復讐をするのだ。


(状況がそっくりだな)


 やはり案内本ガイドは予言の書なのか。ただ、少年は蟹ではなく人間だと思われるので、そこは違うが。


「……人間だよな?」

「え? あ、僕ですか?」


 ぽつりと零れた桃太郎の問いに、少年は少し驚いた表情で答えた。


「僕は一応人間ですが、先祖に化け蟹の血が混ざっていると伝えられています。ですから僕も、鋏を出す事が出来るんですよ」


 そういいながら、少年は両手に赤い鋏を出した。桃太郎はその手をじっと見る。先ほどは鋏を「持っている」と思っていたが、よく見ると手が鋏に「変化している」のだ。


「便利な手だな」


 桃太郎は特に驚きはしなかった。シロにも耳と尻尾があるし、鋏がある者がいても不思議ではない。それどころか彼は、状況が「猿蟹合戦」の内容に近づいたことに安心している。


(あとは猿を見つければ……いや、「協力者」がいたはずだな)


 桃太郎は少年が席を外した隙にまた案内本ガイドを捲った。柿の木が描かれた次のページを捲り読んでいると、綺麗に魚を食べ終えたシロが横から案内本ガイドをのぞき込んできた。栗と蜂と臼が協力して猿を退治するのだと、その後の結末まで読み終えたところで、少年が戻ってくる。


「どうかしたんですか?」


 戻ってきた少年は、両手に栗のいっぱい入った籠を抱えている。シロは珍しく食べたいとは言わずに、少年に聞いた。


「ねぇ。この栗って、話が出来たりとか……」

「まさか」


 食い気味に否定された。少年に頭のおかしい人を見るような視線を向けられ、シロは理不尽だと口を尖らせる。


「私間違ってないのに!」

「…………」


 桃太郎は全力で視線を逸らし、何も見ていないふりをした。自分も同じことを聞こうと思っていたことは内緒だ。


「あの、すみません……言い忘れていたのですが、もうすぐお客様が来るんです」


 少年はどこか落ち着かない様子で座ると、籠から栗を取り出して選別を始めた。虫がついたものを避けているのだ。


「栗がたくさん取れたので、お裾分けしようと思っているんです。下処理が終わったものもあるので、あなた方も良ければ持って行ってください」

「やったぁ!」


 シロが座ったまま跳ねた。その間桃太郎の視線は部屋の隅に置いてあった臼に釘付けだ。当然といえば当然だが、臼は喋らないし動きもしない。彼はその事に少しほっとしている。


(きっとあの臼を使うんだな。肝心の猿はどこにいるんだ?)


 誰に言われたわけでもないのだが、桃太郎はすっかり案内本ガイドの通りに動く気になっていた。


(できれば少年の母親が殺される前に出会いたかったが、遅かった……せめて復讐の手伝いをしてやろう。案内本ガイドの通りに進めれば出来るはずだ)


「失礼」

「あ、来た! お客様です、すみません」


 ガラガラと玄関の戸が開く音とともに、溌溂とした渋い声が聞こえた。ぱっと顔をあげた少年は嬉しそうで、客とは余程信頼している人物なのだろうと桃太郎は思った。


「……蜂ですかね?」

「さあな」


 玄関に急ぐ少年の後姿を見送りながら、シロが小声で言った。桃太郎は明言を避けたが、実は彼もそうでないかと思っている。もし蜂の末裔が来たら一緒に猿を捕まえに行こうと案内本ガイドを手に打ち合わせをしていると、少年が客を連れて戻ってきた。


「先客がいらしたのか。これは失礼した」

「いえ、大丈夫です。先ほど道で出会った方々です」

 

 少年がふたりに手のひらを向ける。男がふたりの方を向いた。歌舞伎役者のような堂々とした佇まいの男だ。貫禄ある眼差しを見るに、歳は四十半ばほどだろうか。蜂にはとても見えないなと思いながら、桃太郎は軽く頭を下げた。

 

「桃太郎だ、こっちはシロ。よろしく頼む」

 

 少年は桃太郎の向かいに座るよう客を促す。彼は頷いて、囲炉裏の前に正座で座った。ピンと伸びた背筋に彼の育ちの良さが垣間見える。


猿衛門さるえもん御座ござる。よろしくお願い申し上げる」

「猿……」

「さる……?」

 

 客が名乗り、ふたりの時間ときが止まった。隣に座った少年がお茶を入れながら、母親を亡くして以降彼にどれだけ世話になっているかを嬉しそうに話しているが、混乱している二人の耳にはあまり聞こえていない。


「そうだったのか。それは……心強いな」

「良かったですね……サル……えもんさんが、味方……? で?」


 もしや少年は騙されているのではと勘繰る桃太郎と、ひたすら混乱しているシロ。ふたりは曖昧に微笑みながら、それぞれの頭の中で今後の計画プランを白紙に戻したのだった。

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