第12話 進め、メイドのみやげ号



 翌日、僕らはメイドのみやげのポロシャツを着て、黒いズボンを履き、僕は白いキャップを被った。「よし、いくぞぉ」とビーサンを履こうとする夕太郎を止めて、スニーカーを履かせた。ビーサンの介護職員はいないでしょ。


「せっちゃーん、迎えに来たよ」

 夕太郎が一○二号室のドアを叩くと、間もなく高齢女性が部屋から出てきた。昨日は気がつかなかったけれど、表札には小さく達筆で山下節子と書かれている。節子さんは、背は低く一五○センチそこそこで、痩せ型、髪は薄く真っ白で、後ろで一つに結ばれている。あずきバー色のモザイク柄の七分袖とくすんだグレーのズボン、大きなマジックテープの靴を履いている。表情は険しく、少し怖くて腰が引ける。


「今日は、何をさせる気よ」

 怒った口調で節子さんが聞いた。

「この可愛い理斗くんの自分探しの旅です」

 夕太郎が僕を紹介する様に掌を向けると、ギロっと節子さんの視線が僕に向けられた。老いてもなお鋭い眼光が僕を圧倒する。思わず夕太郎の後ろに隠れたくなる。

「なんでアタシが、そんな事に付き合うのよ」

「旅は道連れ世は情けでしょ? このまえ早朝四時にたたき起こされたけど、文句一つ言わずに、せっちゃんちのお便所のつまりを、スポスポって直してあげたでしょ」

「……だまらっしゃい」

「さぁ、行こう。顔の良い男の子二人とデートだと思って、思う存分楽しんで」

 節子の手を握った夕太郎が、彼女の顔を覗き込んで微笑んだ。節子さんは、ブツブツ文句を言いながらも、素直に歩き出した。ほんと、夕太郎って、誰にでもゼロ距離っていうか、懐に勝手に入り込むの上手いっていうか。とにかく凄い。僕は二人の後ろを感心しながら付いて行った。



 僕と兄は、東京都心から少し西に行った地域に住んでいた。夕太郎のアパートほどは年期は入っていないが、少し古い。でも、ずっと共同生活をしてきた僕にとっては、満足な暮らしだった。三人が乗る介護タクシーが住んでいた地域に入ると、胸がドキドキと騒がしくなった。


 そんなに大きくは変わってないけど、所どころ見たこと無いお店があったり、古いお家が無くなってたり……自分の感覚だと一週間くらいなのに、本当に十年経ってるって実感する。アパートに着いたら警察官が待ち構えていたりして。


 ソワソワとキャップを被り直していると、運転席の後ろの一席に座った節子さんが「ちょっと、坊や」と声を掛けてきた。

「はい!」

「そんなに、おどおどしてたら目立ってしょうがないわよ」

 節子は、姿勢正しく座り、まっすぐ前を見て視線だけを、助手席の僕に向けた。

「す、すいません。僕いつも、大事な時に失敗するタイプで……」

 これまでの人生、失敗したらダメだと思うほど、失敗してきた。学校のリレーではバトンを落とし、発表の場では、頭が真っ白になった。


「面白そうね。絶対に失敗しなさいよ」

 節子さんは、意地悪そうにニヤリと笑った。

「えっ……でも、そしたら二人に迷惑が」

 僕は、自分が掴まれば二人も罪を問われるのではないかと心配していた。

「私とアンタ達は他人。脅されて付き合ってるだけ」

「そう、ですね。確かに」

「はーい! 俺は理斗の愛人だから、愛のためには何でもするって言うよ。同じ刑務所が良いね」

 何度も手を上げる夕太郎に、ため息が出た。どこまで本気で言っている発言なんだろうか。

「馬鹿言ってないで、前見て運転しな」

「はーい」


 介護タクシー、メイドのみやげは、住んでいたアパートの前に停車した。住宅街には、他の介護サービスの車も多く走っているので、不審な目を向ける者は居なかった。運転席から降りた夕太郎が、助手席の方へ回り、スライドドアを開いた。僕も車から降りて、夕太郎の後ろに立った。


「おばあちゃん、本当に此処であってる?」

 夕太郎が一歩車内に踏み込んで片手を節子さんの前に差し出した。節子さんは、夕太郎の手を押しのけるように車から降りて、腰に手を当ててさすった。

「間違えるわけ無いでしょ!」

「このアパートの一階?」

「五月蠅いわね、着いて来なくて良いわよ」

 節子の腰辺りに手を差し出している夕太郎が、困った顔で僕を見た。二人の演技はとても自然で自分だけが浮いていないか心配になる。

「一応ね、一応、おばあちゃんのお孫さんにご挨拶して帰らせてね、心配だからさ」

「勝手にしなさい」


 怒ったように、一人で歩き出す節子さんを、僕と夕太郎が心配そうに後を追う。僕の部屋は、アパートの一○三号室だ。節子さんが次第にニコニコ顔をして、そちらへ向かった。兄の灯馬が出てきた時の為に、僕は二人から離れた手前で止まり、顔を背けた。

 節子さんの指が、インターフォンを鳴らすと、聞き慣れた音が響いた。


「ひろし、ひろし。おばあちゃんが来たよ」

 節子さんの言葉が終わったと同時に、玄関のドアがゆっくり開いた。

「っ!」

 僕は息を呑んで、ギュッと目をつぶり、帽子を深く被った。


「どちらさまですか?」

 ロングの黒髪を掻き上げて、中から女性がでてきた。三十代くらいだろうか。スポーツメーカーのTシャツに短パンを履いて、ノーメイクだが小綺麗でキリッとした美人だ。兄さんじゃ無かった。もう引っ越してしまったのだろうか。

「ひろしは?」

「部屋をお間違えでは?」

 女性は、サンダルを履き、一歩前に進んだ。

「あの、すいません」

 夕太郎が、節子の横に立って眉をハの字にして微笑んだ。

「こちらのおばあちゃんが、道に座り込んでて、通りかかったのでお声かけしたら、孫のお家に行くんだって言って……」

 女性が夕太郎のポロシャツの、介護サービスの名前を見て「あぁ…」と納得したような声を出した。


「ここよ、ひろしは此処に住んでるのよ」

 節子さんは、左右に首を動かして、部屋の中を覗き込もうとした。

「あの、此処は十年以上前から、ずっと同じ人が借りてますけど、ひろしさんではありませんよ」

 女性は、胸の前に手を開いて、困ったように話した。


「……ひろし、じゃなかったかしら……たかし? りょうま? その人お名前は?」

「灯馬さんです」

 女性の口から兄さんの名前が出て、僕は息を呑んだ。兄さんは、まだ此処に住んでいるけれど、僕とではなく女性と暮らしているのか。

「お母さん、どうしたの?」

 部屋の奥から、子供の声がした。女性は「良いの、宿題やってて」と中に向かって声を掛けた。僕は、目の前が真っ白になりそうだった。


「おかしいわねぇ」

 節子さんは、顎に手を当てて首を傾げた。

「おばあちゃん、ちょっと交番で、お巡りさんに調べて貰おうよ。ほら、一緒に行こう」

 夕太郎が節子さんの腰に手を添えて、体の向きを変えさせた。そして、出てきた女性に、苦笑しながらぺこりとお辞儀をし、小さな声で「お騒がせして、すみませんでした」と背を向けると、女性も頭を下げて「いいえ、ご苦労様です」とドアを静かに閉めた。


「おばあちゃん、足下気をつけてね。もう一回車乗っていこうね」

「ひろしは、どこに行ったのかしらね」

 二人の演技が続く中、僕はその場に呆然と立ち尽くした。夕太郎が心配そうに僕を見た。


「田中くーん、ごめん、先に行ってエンジン掛けておいて」

「……は、はい!」

 夕太郎に声を掛けられて、気を取り直し、僕は、飛び上がって走り出した。その後、三人でアパートに戻り、節子さんと別れ、僕は這々の体で部屋に帰り付いた。


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