第44話 覚悟そして来るもの

 神殿内部から屋上へと続く階段を、数人の弓兵と、ライラとジェト、カカルが上っていた。特に屋上に移動するつもりはなかったが、蛇を避けながら魔物を探しているうちに、こんな場所に追い詰められてしまったのである。


 ライラは階段を登りながら、弓兵から分けてもらった矢を放ち、次々と蛇を階段から落とした。


 他の弓兵が何本か打ち損じる中、ライラは一本たりとも矢を無駄にしなかった。その上、確実に頭部に命中させて息の根を止めていた。


「すげえ」


 エジプト軍セト師団弓兵隊小隊長の実力を目の当たりにしたジェトとカカルは、その戦いぶりに見惚れた。


「感心してないで戦え! 雑魚にかまってる暇なんてないんだからね!」


 安全圏で呑気に観戦している元盗賊の少年二人を、ライラは蛇も慄いて逃げ出しそうな形相で怒鳴りつけた。



 ライラらが屋上へ移動しつつある一方で、カエムワセトとハワラは神殿内部に突入した。


 神官や兵士達がおおわらわで変異した蛇と闘う中、カエムワセトも襲ってきた蛇を何匹か斬った。


「王子も剣を使えるんですね」


 ハワラが、感心して言った。


 カエムワセトは余裕のない表情で「多少は」と答えたが、次に襲いかかって来た人型の蛇に押し倒されてしまった。


「けど、そんなに得意じゃないんだ…!」


 杖で蛇の頭部を押し返しながら、首筋に噛みついてきた蛇の左手を剣で斬り落としたカエムワセトだったが、蛇の手はもう一本残っていた。右手側の蛇がカエムワセトの肩に噛みつこうとしたその時、蛇の胴体を後ろから剣が貫いた。


 胴体に刃を残したまま蛇が倒れると、その後ろから、棒立ちになったハワラが現れた。


「ほら、ちゃんと、守れたよ」


 蛇にとどめを刺したハワラは震える声でそう言うと、カエムワセトに手を差し伸べた。その手も小刻みに震えていた。


 カエムワセトはハワラの手を取ると、強く握りしめて身体を起こした。


「助かったよ」


 カエムワセトはハワラの背中を軽く叩き、「急ごう」と至聖所へと再び走りだした。



 至聖所の重い石門を開けると、カエムワセトとハワラは中へ入った。


 イエンウィアが言っていた通り、御神体は無く、祠堂は空だった。


「何をするつもり?」


「この神殿から、完全に闇と影を消し去る。そうすれば、奴は逃げ場が無くなる」


「そんな事できるの?」


「できるはずだ。だが、トトの書を失う事になるし、効力はそれほど長くないと思う」


 カエムワセトが『奥の手』と言った理由はここにあった。トトの書を失った状態で失敗すれば、もう勝ちは望めない。


 最終手段なのだと悟ったハワラは、ごくりと唾を飲んだ。


「それから、ハワラ」


 カエムワセトが躊躇いがちにハワラの名を呼び、しゃがみ込んでその両肩に手を添えた。


「御神体が戻って神気が満ちたら、魔物の力で生き返った君には辛い環境になるかもしれない。悪いが耐えてくれ」


 ハワラはカエムワセトの深く優しい茶色の瞳を見つめながら、力強く頷いた。


「大丈夫だよ。僕に出来る事は何でもするって決めたんだ」


 カエムワセトは「よし」とハワラの両肩を握る手に力をこめた。


 一度至聖所を出たカエムワセトは、混戦している光景を前に、右掌を壁に触れた。

 天井から大きな根っこの様な突起が伸び、変異した蛇に次々と絡みついた。絡みつかれた蛇は身動きが取れず、根っこの檻の中で暴れた。


 呆気にとられている兵達を前に、一つ呼吸を置いてその顔から疲労の色を払い去ったカエムワセトは、声高に指揮を下した。


「神殿内の者は全ての部屋に散開! 影の消失と同時に、姿を現す魔物を討て!」


「応!」


 野太い声が、そこかしこから上がった。


 至聖所に戻ったカエムワセトは、祠堂に杖を立てた。カエムワセトの手を離れても、杖は自立していた。


 カエムワセトは大きく深呼吸すると、これから起こる事を予期したように光の呪文を映し出した杖に向かって、語りかけた。


「私の魔力もこれで底を尽きる。お別れだ」


★ 


「来ちゃったね。ワセト」


 リラは夜空を見上げた。


 冷たい風が吹き荒れ、リラの髪と服を大きく揺らしている。


 リラの視線の先には、厚い雲がたちこめた夜空を渦巻くように、巨大な物体が動いていた。それは蛇の姿をしていた。しかし、自分達が追っている魔物の数倍巨大であった。体内に夜を孕んだような暗黒の身体は、鱗が月の光を反射し、夜空に散らばる星を集めたように輝いていた。


 暗黒の大蛇が夜空を舞うたび、雲が捻じれ、冷たく湿った風が吹き荒れ、木々を揺らした。


 太陽神ラ―最大の敵。世界の秩序が始まる前に原子の水より産まれ出でたる大蛇。混沌と破壊と夜の闇を司る者。


 アペピの登場である。


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