第41話 外と内
援軍が扇状に別れ、蛇の撃退に乗り出した。神官を伴った主力部隊は、プタハ大神殿の聖なる池で清められた武器を手に神殿内部に突入した。
「噛まれぬよう細心の注意を払いつつ、結界内への侵入を許すな! 結界の中に入った蛇は恐らく――」
カエムワセトが援軍に注意を促し終える前に、一匹の蛇が結界のラインを超えて敷地内に入った。
「げえっ。何だ!」
「でかくなったぞ!」
兵たちの叫び声が、カエムワセトの予感が的中していた事を証明した。
大きくても人間の腕程度の長さだった蛇が、魔物の気を浴びた途端、人一人分の大きさの大蛇に変異したのである。
怯んだ兵士達に、巨大化した蛇を縦に一刀両断したラムセス二世が叫んだ。
「喜べ野郎ども! 的がでかくなった分戦いやすかろうが!」
ラムセス二世の闘いぶりに触発され、巨大化する蛇に逃げ腰だった兵士達の動きが改善された。本来の機動力を取り戻し、次々と巨大化した蛇を斬り倒していく援軍の様子にひとまず安堵したカエムワセトは、続いて神殿内部への援護に回る。
カエムワセトが杖を握る手に力を込めると、杖はまたそれに応えるように光った。そしてその光は、カエムワセトの前に呪文となって形作られた。
目の前に浮かび上がった神聖文字の羅列を見たカエムワセトは、口元に笑みを作った。この呪文はまさに、今カエムワセトが望んでいるものである。
「『影よ闇よ聞くがよい。お前達はけして異物を受け入れてはならない。異物に屈してはならない。我が敵となる者をはじき返すのだ』」
呪文の詠唱が終わると、杖の先から光の波動が起こり、神殿全体に広がった。次の瞬間、何かが弾けるような音が大きく鳴り、続いて魔物の悲鳴が響いた。
★
魔物の絶叫が聞こえたかと思ったら、カカルの頭上に巨大な塊が降って来た。
「あぶねえ!」
ジェトがカカルに体当たり、下敷を免れる。
多柱室に続く大広間に落下したその塊は、カエムワセトが唱えた呪文により影から弾かれた魔物であった。
ライラと弓を持つ神官二人がすかさず矢を放ったが、魔物の動きは早く、全てかわされ再び影に姿をくらまされた。
「また逃がした!」
二度も自分の矢をかわされたライラは悔しげである。
「大丈夫だ。呪文は何度か繰り返されるはずだ。チャンスはまだある」
イエンウィアがジェトとカカルの腕を引いて身を起こさせながら、ライラを励ました。そして彼は、危険は伴うが二手に別れ、それぞれ魔物が潜みそうな場所を探し、再び姿を現す機会を待つことを提案した。
★
屋上で戦況を見守っていたリラが、ふと顔を上げた。くんくんと鼻を動かす。
「瘴気が濃くなったね」
隣のカエムワセトに伝えた。
「相手も焦ってるという事だ」
カエムワセトは、手すりに両手をついて肩で息をしながら答えた。額から流れた汗が、顎を伝い落ちる。
トトの書の使用は、予想以上にカエムワセトの体力を奪っていた。一つ呪文を使う度に身体が重くなり、心臓が早鐘を打つのである。まるで呪文の度に、全力疾走させられている気分であった。神々から使用を許されたとはいえ、魔法書が身体に与える影響までは免除されなかったらしい。
「代わろうか?」
リラの申し出に、カエムワセトは首を横に振った。
自分がこんな状態では、ハワラの安全に気遣いながら、魔術の使用は難しい。リラにはハワラの守護と同時に、周囲の変化にいち早く気付いてもらわなければならなかった。
「息を整えたら、また呪文を放つ」
そう言った直後、再び門前で兵士達の絶叫が響いた。蛇の中から、人型に変化する個体が出てきたらしい。
「うっ、気色悪!」
流石のラムセス二世も、両腕に蛇の頭を従えた蛇人間の登場には一瞬弱腰になった。
ラムセス二世の周囲では、毒蛇に噛まれたのであろう何人かの兵士が倒れていた。
「大丈夫か、大将」
隣で蛇人間の頭を斬り落としたアーデスが、ラムセス二世に声をかけた。
「大丈夫に決まってんだろ」
ラムセス二世は気丈に返したが、一呼吸置いて「今のとこはな」と付け加えた。
「流石のオレもしばらく夢にみそうだぜ。人間相手のほうがまだマシだ」
「神殿内の奴らが魔物を征圧すりゃ蛇は退散するはずだ。それまでの辛抱だな」
神殿が再び光を帯び、弾ける音と共に魔物の絶叫が聞こえた。
★
二度目の呪文を打った途端、カエムワセトは膝をついて咳こんだ。
「殿下! 大丈夫ですか?」
「焦っちゃ駄目だよ。ちゃんと体が戻ってからじゃなきゃ」
リラがカエムワセトの汗ばんだ背中をさすりながら注意した。
蛇が人型に変異した様子を目の当たりにして、急いたカエムワセトは息が整う前に次の呪文を発動させたのである。その反動は覚悟していたものよりも大きく、全身は突然、岩のように重くなり、心臓に走った痛みで一瞬息が止まった。それは、立っていられないほどの苦痛であった。
「また仕損じたみたいだね」
顔を上げて神殿内部の気配を探ったリラが、残念そうに眉を下げた。
胸の痛みが引いてきたカエムワセトは、リラに「大丈夫だ」と答え、額に浮かんだ冷や汗を拭った。
「こちらが好機を作り続ければ、ライラ達がきっと仕留めてくれる」
膝に手をつき重い身体を持ち上げ、息を整えた。
「殿下」
不安げな表情で自分を見え上げてきたハワラに、カエムワセトは微笑んだ。
「心配しなくていいよ。こう見えて、私は結構頑丈なんだ」
事実カエムワセトは、自分の体力と魔力にそれなりの自負があった。
墓からトトの書を持ち出そうとした時に、カエムワセトはネフェルカプタハから、洪水の如き水攻めや砂と岩で造られた魔獣など、これまで自分が経験した事のない強烈な魔術で応戦された。その時もカエムワセトは、ライラとアーデスを後ろ手に守りながら、魔術での反撃を繰り返した。その時に比べれば、今回は身体を回復させる余裕があるだけまだいい。
カエムワセトは、後ろを振り返ると両腕を広げた。
手すりの上で等間隔に並んでいた隼の石像が一斉に羽ばたき、カエムワセトの腕の動きに合わせて飛び立つと、蛇の集団に突っ込んだ。蛇たちが怯んだ隙に、援軍が何匹か、蛇の首を斬り落とした。
「それに。父上達と主力部隊の援護。その両方ができなければ、私がここにいる意味は無いんだよ」
眼下で繰り広げられる闘いを見ながら、カエムワセトはハワラに言った。
自分が下に降りて共に闘わずいるのは、軍の指揮を滞りなく行う為と、トトの書を用いて主力部隊の力を存分に発揮させる為である。その二つの役目を果たす為には、例え息が止まるほどの胸の痛みに襲われようが、トトの書を使い続けなければならない。
体力にも魔力にも自信はある。しかし、トトの書の反動がこれまでの魔道具に例を見ないほど強いものである事も、また事実である。
カエムワセトは苦々しい笑いに顔を歪めると、術を使うたびに従来の魔術以上に自分の体力をごっそり奪ってゆく、神権を象徴する魔法の杖を、恨めしそうに見た。
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