第32話 傭兵アーデスの勘

「あいつは昔、魔術に鼻っ柱を折られてんのさ」

 

 

 プタハ神殿の聖なる池。ここは神官達が、仕事を始める前に体の穢れをはらう場所である。アーデスは、麻紐で束にした矢を清める目的で池の水面下に沈めながら、カカルにそう言った。

 ライラがとてつもない魔術嫌いでありながらも、魔術を使うカエムワセトの従者をしている理由を訊かれたからである。


 武芸の才に恵まれたライラは、幼い頃からその辺の男達より腕っ節が強く、ライラ自身それが自慢でもあった。だが、先の旅でトトの書を守るミイラの妨害に遭い、その強大な魔力の前に、ライラは手も足も出なかったという。その時の挫折とトラウマが、ライラを大のオカルト嫌いにしてしまったのである。


「ミイラはネフェルカプタハっちゅう大昔の王子だ。最初にトトの書を掘り出して天罰くらって死んだ奴でな。トトの書抱いて地下深く眠ってたんだ。そいつが起きて、桁外れの魔術で抵抗しやがった。何しろ物理攻撃が全く通用しねえ冗談みたいな闘いだ。ライラだけじゃなく、俺だって役立たずだった」


 それでもトトの書を手にすることが出来たのは、カエムワセトにアーデスとライラを守りながら応戦できるだけの魔力と気概があったからである。


「そういやお前ら、ネフェルカプタハの妨害には遭わなかったのかよ」 


 カエムワセトはネフェルカプタハの墓に、トトの書を戻した。それを掘り起こしたのだから、ジェトとカカルもネフェルカプタハに出会ったはずである。

 しかしカカルはきょとんとして、「そんなヤツ知らないっす」と答えた。そして、トトの書はオアシスにあった一本のヤシの根元に埋もれていたと話した。


「はあ。神の計らいってのは、本当みてえだな」


 いくら鼻の利く盗賊とはいえ、アーデス達が発見するまでに数年を要したネフェルカプタハの墓をあっさり見つけられるはずがない。あれは墓ではなく、洞窟に近かった。しかも入口は非常に狭く、魔術で目くらましまでかけられていた。カエムワセトは、その目くらましの術までしっかりかけ直し、墓を後にしたのである。

 神の計らいとやらがなければ、トトの書は未来永劫、再び外へ出ることはなかったはずだ。


「しかし、妙な話だとは思わんか」


「なにがスか?」


 アーデスには、ハワラの告白を聞いてからずっと腑に落ちなかった事柄があった。


「人間ひとり生き返らせるだけの力を持った魔物が、わざわざアペピの名を語ってまで、生まれて間もない王子と母親の命を欲しがってるなんてよ。何がしてえんだか」


「それは、僕にも分らないけど……」


「そのうち分るんじゃないスか? 考えたって仕方ないっす」


 ハワラが申し訳なさそうに身体を小さくしたので、カカルが作業の手を止めて背中を撫でてやった。意外にもカカルにはこういった優しさがあった。


「すまんかった。お前さんを責めてるわけじゃねえんだ」


 ハワラに謝罪して、アーデスは剣をまとめて入れた袋を池に沈めた。

 カカルの言うとおり、アーデスの抱いている疑念は今ここでこれ以上口にしても仕方のないことである。

 だが、敵がまるで見えないのは、やはり心もとないものである。


 アーデスは、夜の砂漠に一人放り出された幼い頃を思い出していた。

 幼くとも成すべき事は分っていた。生きるのみである。しかし、砂漠の真ん中に荷物のように、自分をぽんと置いてどこかへ消えた両親が戻る事を期待して、ひとまず待つべきか。もしくは少しでも早く民家を求めて一歩を踏み出すべきか。置いてゆかれた理由も分らぬまま、ただ、このまま成り行きに任せていれば死ぬという確信と恐怖を駆動力に、幼いアーデスは行動するしかなかった。


 今の感覚は、その時に似ている。忍び寄る実態の無い死の気配のみを感じながら、最善を模索しているのである。

 

 神々にとって人間は蟻の様なものだと、アーデスは考えている。大群ともなれば目に付くが、一人ひとりの行動や生き様などは、石粒が転がるよりよりも訳ない。


 理由が存在するはずである。いくら人外の存在が絡んでいるとはいえ、普段人間の営みに手出ししない神々が、王子と生母の為にご親切にもその力を貸し与えるという理由である。


 自分が砂漠に捨てられた理由については、アーデスは未だに分らない。しかし、戦場を幾つも経験しているアーデスの本能は、今回の戦いにおいて、まだ顕わになっていない真実の大きさを感じ取っていた。




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