第31話 乱闘。ホルス神殿跡にて

 ホルス神殿跡に集まっているならず者は、大体いつも三十人程度。強奪や詐欺など、悪行を働いては金品を得ている連中が、賭博に興じたり女性を連れ込んでいるらしい。

 一応彼らにはリーダーと呼ばれている男がおり、名前はセベキ。いつも腰に手斧をぶら下げているという。


 道すがら、ホルス神殿に巣くっている悪党達について、ジェトは知っている情報を伝えた。


「その男、腕っ節はどうなのよ?」


「ガタイはいいぜ。アーデスなんかお姫様に見える筋肉ぶりだ。金でリーダーやってるようには見えなかったしな」


 ライラの問いかけに、ジェトが答えた。時間が惜しく殆ど小走りのため、喋りながらであると若干息が切れた。


「三十人以上の輩を統べているなら、腕は立つんだろう」


 イエンウィアの分析に、ライラが「余裕だわ」と口角を上げた。


「私は普段、五十人の男を従わせてるんだから」


 ライラは部下の数を引き合いに出した。


「女王様はお強いんでございますね」


 勝ち誇った笑みを浮かべる弓兵小隊長に、ジェトが嫌みたっぷりに言った。ただし、怖いので小声である。


「幾つになってもじゃじゃ馬だな。彼女は出会った時からこうだ」


 ライラの背中で揺れている豊かな赤毛は、持ち主の心境を表しているかのように軽やかになびいている。これからゴロツキどもの巣窟に突入しようというのに大したタマだとジェトは恐れ入るが、イエンウィアはそんなライラを可愛がるように目尻を下げた。


 意外な事に、優雅な神官殿は跳ねっ返りが好みのようである。


 出発前、ジェトはカエムワセトから、ストレスを溜めているライラが暴れ過ぎないよう見ていてくれと頼まれていた。しかしイエンウィアがこれでは、派手な小競り合いになりそうである。

 カエムワセトの命令とはいえ、この二人にくっ付いて来たことをジェトは激しく後悔した。



 南側の街外れは、畑と果樹園である。一月ほど前に収穫を終えた大麦畑はスッキリとしており、ところどころ点在する葡萄畑は今が収穫期で、紫色の実がたわわだ。 


 ホルス神殿は、畑と果樹園の更に南にあった。


 ライラとイエンウィア、ジェトの三名は果樹園に身を隠しながら、神殿に近づいた。


 神殿に最も近いヤシの陰に身を隠して覗くと、壁の奥から細く煙が上がっている様子が見えた。飯でも炊いているのかもしれない。

 門にあたる部分には中が見えないよう、ぼろ布がかけられていた。


「広さは大体、外壁含めおよそ二十平方キュービット(約三百坪) といったところだ。出入口は正面にひとつだけ」


 ヤシの幹を背にして、イエンウィアが簡単に説明した。

 ライラは「了解」と言うと、唇を舐めた。


「神殿内と大将は任せなさい。こぼれた奴はお願いね」


 二人が返事をする前に、ライラは入り口に向かって走った。



「気をつけ!」


 入口を覆っていた幕がはぎとられると同時に、仁王立ちした女が男達の前に登場した。


「私はエジプト軍セト師団弓兵小隊長、ライラである! 王家を代表するやんごとなきお方の命により、この神殿はたった今から、王家の占領下に置くこととする! お前達はすみやかにこの場を明け渡すべし!」


 軍隊の訓練さながらのよく通る大声で宣言したライラに、前庭で飯を炊いたり博打に興じていた男達は、「ああ?」と一様に人相の悪い顔を向けた。


 鍋の前に居た一人がのそりと立ち上がり、ライラに詰め寄った。


「姉ちゃん。頭どうかしちまってるのか? 遊んでほしいなら黙って中に――ゴブ!」


 言い終わる前に、ライラが顔面に掌底をくらわした。男は鼻から血を流し、後ろにばたりと倒れて動かなくなった。

 それを見た他の男たちは慌てて、剣や斧を手に取って立ち上がった。数名は、神殿内部に駆け込んだ。


 一方、ライラは腰の剣を抜く事無く、腕を組んで臨戦態勢になったゴロツキ達に睨みをきかせた。


「殿下から、やりすぎないよう注意を受けているから、剣は抜かないであげるわ。だからあんたたち――」


 好戦的な笑みを帯びたライラの口元から、白い歯が覗く。


「――逃げない奴は足腰立たなくなるほどボコってやるから覚悟なさい!」


 柔らかな赤毛をひるがえして敵陣に突っ込んでいった姿を最後に、ライラがジェトとイエンウィアの視界から消えた。

 姿が見えなくなった代わりに、壁の中から男達の悲鳴や怒声がひっきりなしに聞こえる。


「派手にやっているな」


「どっちが悪者だかわかりゃしねえ」


 時折入口から気絶寸前で出て来る男達を縛りあげながら、イエンウィアとジェトは中の様子を伺った。


 耳をつんざくような悲鳴を上げながら飛び出て来た半裸の女はそのままにしておいた。女は半裸のまま、大麦畑の真ん中を走って行った。


 こぼれた奴は任せると言われたが、こぼれて来るのは連れ込まれていた女性か、戦意を喪失した輩だけである。ライラは溜まりに溜まったストレスを存分に発散しているようであった。


「リーダーは中だろうか」


「さあな。セベキは四キュービット(約二m)を超す大男らしいから、見りゃすぐに分るはず―――」


 入口から中を伺う二人の後ろに大きな塊が現れ、太陽光を遮った。

 その塊は四キュービットを越しており、手に斧を持っていた。


「娼館から戻って来てみりゃあ、ひとんシマで何やってんだオマエら!」


「お、おぉ外にいらっしゃったんですねぇ~」


 ジェトが声を上ずらせて後ずさった。


 後ずさったジェトの踵が、縛り上げた男の一人に当たった。「あ」という顔で、ジェトは後ろを振り返る。そこには、縄でぐるぐるに拘束されたセベキの配下たちが、壁沿いに転がっていた。

 分厚い筋肉で装甲されたその盛り上がった肩を更にいからせたセベキは、奥歯が見えるほどに唇をめくり上げ、憤怒で血走った両目で若い神官と少年を見下ろした。


「ら、ライ、ララライライ――」


 歯の隙間から蒸気が吹き出てきそうなほど怒り狂っているセベキの迫力に圧倒されたジェトは、大いにどもった。


「うおらあ!」


 セベキが大喝とともに、斧を振り上げた。



「ライラー!」


 外から聞こえたジェトの絶叫に、あらかた倒して大将を探していたライラは外に飛び出した。


「ジェト! イエンウィア!」


 慌てて駆けつけたライラの前に、大男がうつ伏せに倒れていた。セベキである。

 彼の頭部周辺には血溜まりができていた。傍には腰を抜かしたジェトと、剣を回すようにさっと振るって血を払うイエンウィアの姿があった。


 振り下ろされた斧を左の剣で受け、右の剣でセベキの喉を斬ったイエンウィアは、足元に横たわる悪党の首領の死体に嘆息した。

 そして、茫然と立ち尽くしているライラに苦笑いを向けて一言。


「君が小隊長からなかなか昇進できないのだとしたら、理由はこういった詰めの甘さかもしれんな」


 鼻っ柱を折られたライラは、ぐうの音も出なかった。

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