第26話 アジトにあった魔術書

 外の騒がしさに気付いたカエムワセトが、扉を開けて顔をのぞかせた。

 門番に案内されながら、ライラとジェトとカカルが中庭をこちらに歩いて来る様子が見えた。三人は何やら喧嘩腰で言い合っていた。


「どこにいても煩せえな、あいつらは」


 アーデスがぼやいた。


 出会った時から喧しかったジェトとカカルだが、ライラも加わった今は、より一層騒々しくなっている。

 ジェトのいう魔術書とやらをアジトに取りに行っていた三人であったが、城でのやり取りから考えるに、道中ずっとこんな調子だったのかもしれない。


「殿下!」


 カエムワセトにいち早く気付いたライラが駆け寄った。


「遅くなり申し訳ございません」


 ライラの額は少し汗ばんでいた。


 イエンウィアが「ライラ」と名を呼び、右手で額を指して『こんにちは』の挨拶をした。ライラも顔馴染みの神官に対し、同じように挨拶して返す。


 続けて、ジェトとカカルが部屋に入ってきた。

 入室するなり、カカルが悲鳴を上げてジェトに飛びつく。


「アニキィ! ミイラっス! ミイラがパン食べてるっス!」


 その瞬間「ぶっ」と三つの破裂音が起こった。吹き出し笑いである。


 カエムワセトは辛うじて口に手を当てていたが、アーデスとイエンウィアは間に合わず盛大に吹き出していた。


 必死に押し殺される三人の笑い声の中で、「まだ死んどらん!」とフイがカカルに向かって吠えた。


「あれ? ホントだ生きてるや」


 カカルは目を瞬くと、ジェトの首根っこから離れた。続いて、部屋に漂うパンや鶏肉の香りに気付き、鼻先を兎のように動かした。ぐうううう、と盛大に腹を鳴らす。


「腹、減ったっス……」


 カカルは腹を抑え、肩を落とした。


「そういえば俺も」


 ジェトも腹をさすった。

 二人は昨日の昼に何も入っていないパンを半分こして食べたきりである。しかもカチカチだったものを水で流しこんだ粗末なものだった。それでも二人にしてみれば食べられただけマシであった。


「……腹をすかせた痩せた子供粉をイースト塩バターに乳をよく捏ねる根気よくねらねばやわらかなパンは猛禽類は蛇を食うイチジクが喉を潤す供物はメルレカは明日訪れる……」


 パンを飲み込んだフイは、残りのパンが入った皿とイチジクの皿を雑な手つきで掴むと、ジェトとカカルに歩み寄り、「ホレ喰え」と押し付けるように寄こした。


「いいんすか?」


 渡すだけ渡してさっさと背中をむけたフイに、ジェトが確認する。

 フイは背中を向けたまま、手を払う仕草で『さっさと喰え』と示した。


「それは祈祷を終えた供物だから、食べていいんだよ」


 手をつけるべきか迷っているジェトとカカルに、カエムワセトが助け船を出した。イエンウィアも頷いて、二人に食べるよう勧めた。


「祈祷……。そうだったのか」


 落ちた供物を食べようとした子供を神官が叱ったのはそういう理由だったのだと、ジェトは初めて知った。


 ジェトとカカルはパンを手にとって遠慮がちに一口噛ったが、その柔らかさと甘さに驚いて目を見張ると、そこから先は二人とも無我夢中で頬張った。


「私も食べたいな。ハワラにもあげる」


 リラも横から手を伸ばしてイチジクを二つ取り、一つをハワラに渡すと、もう一つに口をつけた。


「もうすぐ昼だ。皆も食べて行くといい」


 子供達が食べ物を頬張る微笑ましい光景に頬を緩めたイエンウィアが、昼食に誘った。


「それよりも蛇じゃ蛇の魔物」


 フイはテーブルには戻らず、室内に幾つも山を作っている書物を漁っていた。


「食事はもうよろしいので?」


「邪魔するでない! ……大蛇……蛇の魔物……ナイルの底……ナイル川の底の暗い……暗く湿った部屋のパンはかびると臭いいっそミイラの如くナトロンにつけてくれようかデーツは乾燥に限る乾燥は砂漠の力太陽の恵み……蛇の敵は鷲であるから」


 補佐役を一喝した後、フイはすぐにまたブツブツ言いながら、書物の山から引き抜いた紙や巻物を、投げるように部屋の中央にどんどん溜めてゆく。


 イエンウィアは、やれやれ、とため息をついて、テーブルの上の余った鶏肉とナツメヤシを下げて部屋を出て行った。調理場に戻すのであろう。


「この人、考えが全部口からダダ漏れてません?」


 パンの最後の一欠片を口に放り込んだジェトが、部屋の真ん中にまた新しい書物の山を作ろうとしているフイを指差して、カエムワセトに訊ねた。咀嚼しながらなのでモゴモゴとくぐもってはいるが、フイのようにパンくずをこぼしたりはしていない。


 フイは食べ物を飲み込む時以外、ずっとブツブツモゴモゴ喋っている。会話の際は喝舌が良くなり声も張るのでコミュニケーションをとる分には困らないが、彼の様子は見ていて妙である。


「全部ではないよ。『煮えたぎる鍋の中の泡のように湧き出てくる思考の中で、収まりきらない部分だけがこぼれ出ているのだ』と、以前仰っていた」


「わけがわかりません」


 ジェトの顔は、未知のものに触れた人間のそれだった。


「そのうち尊敬できる人だと分るよ」


 カエムワセトは笑った。

 そして、フイの書物探しがもうしばらくかかりそうだと予想したカエムワセトは、ジェトが言っていた魔術書について別班で動いていた三人に訊ねた。


「魔術書は見つかった?」


 主人からの問いかけに、ライラが手に持っていた麻袋を躊躇いがちに手渡した。


 カエムワセトは、ライラが躊躇う理由が分らないまま、麻袋から中身を取り出した。姿を現した中身に、目を見開く。


「トトの書じゃねえか!」


 カエムワセトより先に、アーデスが声を上げた。


 リラとハワラも駆け寄り、カエムワセトの手の中にある巻物を覗きこんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る