第21話 アペピか否か
「何かひっかかるのか?」
訊ねて来たアーデスに、カエムワセトは「引っかかる事だらけだよ」と頭を背もたれに預けた。
「まず、再生の神はオシリスやイシス。死者の復活なんてアペピにとっては畑違いもいいところだ。それに狙いも分らない。私なのか、母と弟の命なのか。動機もまるで謎だ」
「メルエンプタハが命を狙われる理由ならあるじゃねえか」
「なら私をわざわざ弟の傍に呼び寄せるなんて無駄な事はしないし、母もろとも葬る必要もない。プロの刺客を雇って弟だけ殺せば済む事だ。第一、神と並ぶ力を持つアペピを動かせるほどの人間なんてこの世にはいないよ」
人の思惑が絡んでいるとは思えない。かといって、アペピの仕業とも思えない……。カエムワセトはぶつぶつと独り言を言った。
「なぜ、アペピではないと?」
ハワラからの問いかけに、カエムワセトは神殿の書物から得た知識を思い出しながら説明した。
「アペピがラーと同等の力を持つ蛇の姿をした魔物だと言う事は、よく知られている話だ。けれどそれだけでなく、アペピは世界が誕生する前に生まれ出でた最古の存在であり、今でこそ悪の象徴になっているけれど、ラーがこの世に現れるまでは太陽神の役割を担っていたんだよ。確か、コブラ以外のあらゆる蛇の支配者ともいわれているんだけれど……」
そこまで説明すると、カエムワセトはリラに呼びかけた。
神の眷属であるペストコスとコミュニケーションを取るリラであれば、自分以上に神・魔に詳しいはずだと踏んだカエムワセトは、「リラ。アペピのような存在が、こんな姑息な手を使ったりするかな?」と意見を求めた。
その質問に、リラは考えるそぶりも見せず即答する。
「古くてラーとも戦える大物だからね。気位が高いはずだし、分別だって心得てるはずだよ。子供を騙して殺しをさせる様な、馬鹿な真似はしないと思うな。むしろ怪しいのは、アペピの配下か、まったく別の魔物だね」
「なんだそりゃ。とんだ詐欺じゃねえか」
殆ど断言したも同然であるリラの回答に、アーデスが目を剥いた。
ライラに至っては驚くどころか、神・魔談議についていけなくなっていた。心が拒絶しているのであろう。辛うじて真面目な表情を保ってはいるが、目の焦点が合っていなかった。
とりあえずライラはそのままに、カエムワセトは考察を進める。
「一時的とはいえ人間一人を生き返らせたんだ。相応の力の持ち主である事は確実で、ただの戯れでなく何か目的があるのは確かなのだろうが……」
その目的がまるで分らないのは困ったものである。
「それじゃあ、僕は……」
ハワラの手は震えていた。そこから二の句が継げないハワラに代わって、カエムワセトが己の見解と結論を述べる。
「君が復活できるというのは、虚言だよ。今の君の状態も、本来なら許されるものじゃないんだ。蛇の姿をしていたのなら、アペピの眷族である線が濃いが、アペピの名を語ったのは、君を服従させやすいからに過ぎないだろう」
「あいつは結局、みんな殺すつもりなんですね」
「それはまだ分らないよ」
ハワラが下唇をぎゅっと噛んで黙りこんだ。
憤りと混乱が渦巻く室内で、完全に第三者の立ち位置を決めこんでいるカカルだけが、比較的和やかな雰囲気を保っていた。
「王家に恨みでもあるんですかねぇ?」
「さあ。どうでもいいけどなんで俺らまで参加してんだよ。ていうかあいつ、王子なんて冗談だろ」
こっそり耳打ちしてきたカカルを適当にあしらったジェトは、一刻も早くこの場を立ち去りたい衝動と闘っていた。王族にしてはあり得ないほど腰が低いカエムワセトに、自分が昨晩しでかした数々の不敬を思い出すと、冷や汗が滝の如く流れ出る。
「アペピは闇と悪を司る魔物だから人には嫌われているけれどね。でも太陽と月のように、光と善に相反する要素として、この世には不可欠で、アペピもその眷族も、神ではないけど気高い存在なんだよ」
静まり返った室内で、リラが誰に言うでもなく語った。それは、人にも動物にも神々や魔物にでさえも、万物に対し常にニュートラルに接する事が出来る、実に魔術師らしい捉え方であった。
平和な時に魔術師と出会い、今の様な講釈を聞いたなら、感銘を受けていたかもしれない。だが、目の前に迫る現実は、生きるか死ぬかの崖っぷちである。頭では理解できても、敬意を払う余裕は、ハワラを含めそこにいる面々にはなかった。
不安に押しつぶされそうなハワラに、カエムワセトは「大丈夫。君も助けるよ」と言明した。
「退治とまではいかなくとも、退ける程度なら可能だと思う。眷族なのであれば何とかなるんじゃないかな」
そこまで言ってから、どうだろう、アーデス。と、カエムワセトは戦歴豊富な近臣に可否を伺った。
アーデスは腕を組むと、難しい顔で唸る。
「俺は人間同士の戦いしか知らんから、何ともな。こいつはあてになんねーだろうし」
そう言って、床の一点を凝視したまま身動き一つしない重要戦力を親指で指し示した。
名指しされたわけではなかったが、誹謗の気配を感じ取ったライラは、眠りから覚めたようにハッと顔を上げると、ふんぞり返った。
「失礼ね。気持ちを強く持ってれば平気よ! ――多分!」
放心状態だと思っていたが、一応話を聞いていたようである。最後に添えた一言に、なけなしの本心が伺えた。
肩をすくめたアーデスは続いて、壁の花になっている元盗賊二名に目をやった。
「お前らはどうだ? やれそうか?」
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