第19話 ハワラの告白

 川岸から王宮に続く階段を上っていたカエムワセトとアーデスは、上の方が妙に騒がしい事に気付いて階段を駆け上がった。


 上り切ると、「殿下ー!」とハワラが猛獣に追われているような形相で走って来るのが見えた。

 その後ろからは、右手に短剣を握ったライラが。更にその後ろからは、番兵と思われる兵士に縄で繋がれ引きずられるような格好で、昨日の自称盗賊二人が走って来た。


「なんだなんだ!」


 流石のアーデスも、迫り来る異常な光景に声を上げた。


「殿下、助けて下さい!」


 ハワラが怯えた声でカエムワセトの服を掴み、後ろに身を隠そうとした。しかし、すぐそこまで迫ってきたライラの姿を見つけると、「わぁ来たあぁっ!」と慌てて川に続く階段の方へ逃げた。


 のっぴきならない事態を悟ったカエムワセトは、慌ててライラの腕を掴んで止めた。


 カエムワセトに制されても、ターゲットを捕えている猛獣のように、ライラはハワラから目を離さなかった。


「何をする気だ」


「この子を殺します」


「ライラ!」


 珍しくカエムワセトが声を荒げ叱責したが、ライラはハワラを睨み据えたまま、身体を前のめりに、いつでも飛びかかれる体勢を崩さなかった。


「この子は殿下を欺いております! 子供だろうと、武器を持てば人を殺せます! ましてこの子は既に人ではありません!」


 ライラの言葉を聞いて、ハワラはぎゅっと目を瞑り、身を固くした。

 カエムワセトが手を離せば、ライラはまた、すぐさまハワラを襲うであろう。


 息を切らしながら、遅れて番兵が到着した。聞き分けの悪い犬ころ二匹を引きずってきたとはいえ、走ってきただけの割に息切れが酷く顔色も悪い。

 説明を求めたアーデスに、番兵は、「私もよく分らないのですが――」と前置きして話しだした。


 厠から戻ると、ライラが盗賊二人を収容している牢を開け、二人を縄で縛っていた。  

 番兵が止める間もなく、ライラは番兵に盗賊の縄を持って自分についてくるよう言いつけ走りだした。番兵はライラの剣幕におののき、言われるがまま盗賊二人を引っ張りながら必死にライラの後を追った。ライラはハワラに宛がわれた部屋に押し入ると、盗賊二人にハワラの顔を確認させた。カカルが「この子で間違いないっス」と息を切らせながら答えると、ライラは問答無用で剣を抜いてハワラに斬りかかった。それから、今の様な追いかけっこが始まったのだという。


「なるほどな」


 アーデスは腕を組むと、番兵に「うちの若いのが迷惑かけた」と謝罪した。


 ようやく事の成り行きを理解したカエムワセトは、ライラに剣を降ろさせようと説得を試みる。


「ライラ。君の言うとおり、彼はもう死んでいる。私は危険も承知している。だがここで葬る訳にはいかないんだ」


「ライラ、それくらいにしろ。とにかく一回冷静になれ」


 カエムワセトとアーデスの説得は、ライラに剣を降ろさせるまでには至らなかった。


 ハワラは階段のすぐ手前で、震えながらライラを見ている。


 一向に諦める気配を見せないライラに、苦悶の表情を浮かべてカエムワセトは言った。


「頼むライラ。ここは折れてくれ。……私は君に剣では勝てないんだ」


 躊躇いながら発せられた最後の一言は、忠臣のライラには衝撃だった。心から忠義を尽くす相手から考えもしなかった言葉で制されたライラは、弾かれた様にカエムワセトを見ると唇を震わせた。


 波が引くようにライラから殺気が消えたのを感じると、カエムワセトはその細腕を解放した。


 重い空気の中、ライラは無言で短剣を腰の鞘に納めると、カエムワセトとハワラに背を向けた。


「失礼。頭を冷やしてまいります」


 立ち去ろうとしたことろで、アーデスが道を塞いだ。続けて、両腕をばっと広げて準備する。


「よし、来い!」


 真顔で歯切れよく言ったアーデスを、ライラは見上げた。俺の胸で泣け、とでも言いたいのか。ライラの瞳がギラリと狂暴な光を宿した。


 殴られるか! とアーデスは覚悟したが、ライラはそのまま半身を返してアーデスを避けると、川の方へ行ってしまった。


「アニキ、あの人切ないスね」


「あの人ってどの人だよ……」


 目の前の年長者達は、三者三様に胸を傷めている様子である。三人で痛み分けどころか、これでは痛み三割増しである。


「どいつもこいつも不器用すぎるだろ」


 ジェトは呆れて呟いた。



「殿下を連れてこいと言われたんです」


 一同はハワラに宛がわれた部屋に戻り、ハワラの告白を聞いていた。


 踏み台代わりの小さな椅子に座ったハワラは、うな垂れて涙をこぼしながらぺル・ラムセスに赴いた経緯を語った。


 カエムワセト、アーデス、ライラ、リラは各々椅子や寝台、衣装箱などに腰を落ち着け、壁際には両手を縛られたままのジェトとカカルが、居心地悪そうに立っている。


「僕の役目は、殿下をメンフィスに連れて来る事だと。それから、イシスネフェルト妃殿下と、メルエンプタハ様を弑する手助けをしろと。そう言われました。ぜんぶ終われば僕を、病を患う前の身体に生き返らせてくれると。あいつ……アペピは約束したんです」


「アペピ?」


 カエムワセト達は、ハワラの口から出された名前に驚いた。


 アペピは太陽神ラー最大の敵として語り継がれている大蛇の姿をした魔物である。地下世界を移動し、嵐、夜、死等の負の存在の全てを司っている。エジプト人にとって畏怖の象徴でもあった。

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