第18話 ライラの鉄拳

「おっかしいな~。おかしいな~」


「次はなんだようっせえな!」


 舞台はまた牢屋に戻る。賑やかな元盗賊の少年二人は、まだ命が繋がっていた。


 「死にたくない」と、もんどりうって暴れていたカカルは落ち着きを取り戻したが、今度は何やら引っかかる事を思い出したらしく、先程からずっと「おかしいな~」を繰り返している。


 ジェトが怒鳴るのと同時に拳で壁を殴ったので、天井からパラパラと砂埃が落ちてきた。


 カカルは自分の髪に落ちてきた砂埃をぱっぱと払うと、「いや、じつはね」と話しだした。


「昨日橋で出会ったあの男の子、オイラどっかで見たんスよねぇ」


 それだけ言うと、カカルは、ううむと唸って首を捻った。必死に記憶を呼び起こしているようである。


 人の顔を覚えるのが得意なカカルは、カエムワセト一行を一人残らず記憶していた。一方そういった特技を持ち合わせていないジェトは、無精髭を生やしたアジア人と変な洞察力を発揮した神官以外、はっきりと思い出す事はできなかった。大嫌いな馬を連れていたし、人数も多かったから尚更である。


「それがどうしたよ。メンフィスの奴ならどっかで会っててもおかしくねえじゃねえか」


「違うンスよ。もっと、なんか変わった場所でね……」


 再び唸って考え込んだカカルだったが、やがてパチンと指を鳴らすとスッキリした顔を上げた。


「あ、思い出しました。ミイラ処置室にいたんだ」


 ミイラ処置室、という言葉にジェトは眼をむいた。


 ミイラを作るのは、墓地の近くの西側だと決まっている。知り合いに死人でも出ない限り、一般人がそこへ赴く事はまず無い。ということは、カカルの場合、副葬品や護符を盗みに入った可能性が高かった。


「お前、墓で仕事するなってあれほど言っただろ!」


 盗みを仕事、と称するのは染みついた癖である。


 自分の主義に反する場所で、こっそり盗みの仕事をしていた弟分の胸倉を掴んだジェトは詰め寄った。


 約束を破った弟分は涼しい顔で「そうでしたっけ?」と嘯いた。そしてあろうことか「そんなこと今はどうだっていいんです!」と、自分の首を締め上げるジェトの手を押しのけた。


「あの子供、処置台で寝てたんスよ! だからさっきから、おかしいなー? って言ってるんじゃないスか!」


「へー」


 興奮するカカルとは対照的に、ジェトは興味なさげに両手を頭の後ろに組んで寝転がった。しかし、しばらくしてから「――ってそりゃ死人じゃねえか!」と跳び起きた。重ねるが、カカルは人の顔を覚えるのが得意で、まず見間違う事はないのである。


 ジェトは土色の毛髪を逆立てると、すぐさま立ち上がって格子扉へ走った。扉を掴むと、力いっぱい揺すって牢屋番に向かって叫ぶ。


「おい番兵! おい!」


 だが、返事は無い。居るのなら、さっきのように怒鳴りつけてくるはずである。


「いないのかな? 犯罪者が留置されてるってーのに、職務怠慢スね」


 カカルがのんびりと文句を言った。いつもなら「お前が言うな」と頭の一つでもはたいているところだが、今はそんな余裕はなかった。


「好都合だ」


 閂を外そうと格子の隙間から腕を出したジェトに、カカルが首を傾げた。


「何してるんスか?」


「お前だけでも逃がしてやるよ。その代わり、あの神官に子供の事を話せ。多分、この城に居るはずだ」


「神官って、アニキを助けてくれた昨日の兄ちゃんすか? なんでまた?」


「知らねえよ勘だ。あの男でなきゃ、髭面の奴でもいい。……嫌な予感がする」


 記憶の特技を持っていカカルに対し、ジェトは動物的直感に優れていた。ジェトの勘は大きな危険を予期しており、それを昨日出会った青年に伝えなければならない、と警告していたのである。


「くっそ! この閂、鍵付きのヤツだ!」


 ジェトがいくら閂を引き抜こうとしても、それはピクとも動かなかった。

 閂の中には、鍵付きのものも存在する。閂の中に幾つものピンがあり、そのピンの位置と、櫛の様に見える鍵の棘の位置が一致している。解錠の際は鍵を下から差し込んでピンを持ち上る、という仕組み。つまりは、シリンダー錠であった。


「正解よ。鍵はここ」


 若い女の声が聞こえたのと同時に、ジェトの目の前に陽に焼けた形のいいふとももが現れた。見上げると、赤髪の女が櫛のような棒、つまり鍵を手に持って立っていた。


 幾つかジェトより年上に見えるその女の面立ちは、猫科の大型肉食獣を連想させた。潤沢に広がった豊かな赤毛はタテガミのようである。ジェトの脳裏に、雄ライオンの頭を持った破壊の女神、セクメトの姿がかすめた。ジェトは一目で、「こいつを怒らせたらヤバい」と感知した。


「性懲りもなく、また脱走するつもり?」


 破壊神の気配を背負った赤毛の女はそう言って、嘲るようにジェトを見下ろした。


 ジェトはゆっくりと格子扉から腕を引き抜くと、舌打ちした。


「番兵は留守じゃなかったのかよ」


「おあいにくさま。腹具合が悪いって言うんで、私が代わりを引き受けたのよ」


 そういえば苦しげな唸り声が廊下の向こうから聞こえていた気がする、とジェトは思い出した。牛か馬でもいるのかと思っていたが、トイレに駆け込みたいのを必死に我慢する番兵のものだったようである。


「気になって来てみれば、案外元気そうじゃない」


 赤毛の女を覚えていないジェトにとっては、彼女の言葉は不可解であった。だが、今はそんな事よりも、弟分を逃がす方が先決だと判断した。


「ご親切にどうも。親切ついでに、こいつを逃がしてやってくれると嬉しいんだが」


 駄目で元々で頼んでみた。予想通り、赤毛の女は「それとこれとは別よ、お馬鹿さん」と腕を組んだ。


 さてどうしようかと考えあぐねいていると、後ろからカカルが、ジェトの肩をつついてきた。


「アニキ、この姉ちゃんも昨日一緒に居た人っスよ」


 耳打ちし、「この人でもいいんじゃないスか?」と訊いてくる。

 ジェトは赤髪の女を見上げた。そういえば、髭面の男の左斜め後ろに、いたようないなかったような。


 カカルはジェトの返事を待たず「あのね」と赤髪の女に話しかけた。


「昨日一緒にいた男の子、知り合いスか?」


「ハワラのこと? 知り合いだったらなんなのよ」


 きょとんとした顔で、女がカカルに聞き返した。


 カカルは「驚かないで聞いて下さいよ」と前置きしてから、右手を口の横に添えて、女に近寄った。女もその動作の意味を理解し、身をかがめ耳を寄せてきた。


「あの子、何週間か前にミイラ処置室で処置台に寝てたんす」


 声のトーンを落としたカカルが格子扉越しに伝えた事実に、一瞬、女の身体がピクリと震えた。途端、周りの空気が張りつめたのを、ジェトは感じ取った。

 しかし、そういった変化に鈍感なカカルは、「もうお腹の横を割かれてたから、生きてるわけないんスよ」と続ける。


「あれってもしかして、オバケ――」


 そこまで言った時、格子の隙間からげんこつが飛んできた。その拳は見事、カカルの額を直撃した。

 それだけにとどまらず、カカルが地面に倒れるより先に、女はカカルの胸倉を片手で捻り上げた。その手なれた一連の動作に、ジェトは遅まきながら、彼女が手だれの武人である事を知った。


「こんのクソガキどもぉっ! 冗談でも言っていい事と悪い事を知らんのかぁっ!」


「うわぁぁんアニキ―っ! この姉ちゃん、番兵よりおっかないよーっ!」


 何故か突如狂ったように怒り暴れ出した赤髪の女を前に、ジェトとカカルは慌てふためいた。


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