第15話 二人の少年
街と王宮の間にはナイルの支流が流れている。昨年、王宮の正面に石橋がかけられた。二頭引きの荷馬車がすれ違えるほどの立派な物である。
石橋を渡り切ったところで、賑やかな声が聞こえてきた。
「あー! アニキ、あの馬さっき街で見たやつっスよ」
「うまうまうるせーわ! 俺は蹄のある動物が大嫌いなんだよ!」
「止まんじゃねえガキども!」
少年二人が、エジプトの警備隊であるメジャイにロープで腕と腹を拘束された状態で引っ張られていた――と、いうよりも、しょっ引かれていた。
三人は墓地やピラミッド遺跡が集合しているネクロポリスの方角からやって来た。
「どっかで聞いた声だな」
馬を珍しがる少年の声は、さほど遠くない昔に聞いた気がする。アーデスが顎に手を当てて首をひねった。
メジャイはカエムワセトの姿を見つけると、嫌がる犬を無理やり引っ張る飼い主のように、少年二人を引きずって来てお辞儀をした。
「お騒がせして申し訳ありません。街の神殿で盗みを働いた者達です。捕えて神殿の牢に閉じ込めたのですが、恥ずかしながら逃げられまして」
「ほんでこっちでまた捕まえたのかよ」
痛いだの離せだの、ぎゃんぎゃん吠えている少年二人を見やりながら、アーデスは「ご苦労さん」と言葉短くメジャイを労った。
少年二人はハワラとさして歳が違わないように見えた。賑やかで小柄な方は、眼がくりくりと丸く、愛嬌のある面ざしをしており、子犬のようである。対して、もう一人は少し年上で、見るからに生意気そうであった。フクロウのような鋭い目つきで、強面のアーデスにでさえ物怖じせず睨みつけて来る。
メジャイは、どうせ墓泥棒でも企んでいたのだろう、と言った。貴族や王族の副葬品を狙った墓泥棒はこの頃から既に、往々にしてあったのである。
神殿や墓での泥棒行為は重罪である。それを両方ともなると、死刑は免れないであろう。
「違うわボケ!」
墓泥棒と聞いた年長の方の少年は、ギリッと眉を逆立てて、メジャイにくってかかった。
「俺は墓泥棒はしねえ主義なんだよ! 西側には逃げて来ただけだって言ってるだろ!」
「ほんとっスよー。オイラ達、墓はこれまで一度も荒らした事ないんス」
一方、年下の少年は、大きな瞳をメジャイに向けて詰め寄ると、しおらしい態度で減刑を訴えた。メジャイは身体をのけ反らせて煩そうにシッシと払った。
「神殿も墓も似たようなもんだろ」
アーデスが言った。
どちらで盗みを働いても罪の重さは大して変わらない。民家に盗みに入った場合、その刑は賠償や鞭打ちが多いが、国家や神の領域で盗みを働いた場合それは重罪とみなされ、減刑されても四肢の切断である。
アーデスの言葉に、年長者の少年が「はっ!」と吐き捨てた。
「これだから貴族様はよ。墓の供物や副葬品は、死人のもんだ。けど神殿の供物はこいつみたいな神官の腹を余計に膨らますだけだろうが。元々が無駄なんだよ」
文句のついでに、年長者の少年は神官の装いをしているカエムワセトを睨みつけた。
農民が供物として納めた農作物を、神殿は職人や神官、王宮の職員の手当として分け与える。一方、農作物を納めた農民が供物の恩恵にあずかれる分はほんの少量であった。
腹に脂肪を溜めた神官が、腹をすかせた子供が供物棚から転げ落ちたデーツを拾って口に入れただけで目くじらを立てる様は、信仰心を深めるどころか神殿への不信感を植え付けるだけである。
「だとよ」
アーデスがわざとらしくカエムワセトに話を振った。
カエムワセトは「はあ、まあ」と曖昧な返事をした。供物台から落ちたものを食べてはいけない正当な理由はあるのだが、それを今この少年に語った所で響かないであろうと考える。
「誤解を招いている点については反省すべきだと思うよ」
と、ひとまずの感想を述べてそれ以上の言及を回避した。
「義賊気取ってんじゃねえぞコソ泥ども!」
メジャイが縄を引っ張り上げて、少年二人を更に縛り上げた。手首と腹により一層くい込んだ麻縄に、少年たちはめいめい「いだだだだ!」と悲鳴を上げる。
そこに、カエムワセトが「メジャイ」と声をかけた。
「嘘は言っていない。少なくともこっちの彼は、墓泥棒はしていないはずだ」
カエムワセトはそう言って、視線で年長者の少年を示した。
思わぬところで助け船を出された年長者の少年は、三白眼を見開いてカエムワセトを見た。
「それは……一体どうしてです?」
「目や身体の動きを見て何となく。彼は多分、虚言が苦手な人種かと」
なんとも根拠に欠けた曖昧な理由である。
メジャイは「……はあ」としか返しようがなかった。しかし、アーデスとライラがメジャイに目配せして肯定の意味で頷いた事で、メジャイはカエムワセトの言葉を信じざるを得なくなる。
カエムワセトはメジャイに二人の罪状を確認した。
ファイアンス製の壺に手を伸ばしていたところを、神官に見つかって拘束されたのだという。神殿での犯罪も殆ど未遂である事が分った。それならば減刑も有り得るだろう。
カエムワセトは裁判の必要性をメジャイに説いた。
メジャイはしぶしぶ納得した。彼は今日一日彼ら二人に振り回され続けたのである。やっと捕まえたと思ったら減刑と言われ、面白いはずが無い。しかし、エジプト人の一人として誇りを持っている彼は、無実の人間を罰する事は『真実』 『法』 『正義』を司るマアト女神の教えに逆らうと判断した。
メジャイは、少年二人をひとまず王宮の牢屋に入れるため、カエムワセト一行にお辞儀をすると「行くぞ」と少年達を繋ぐ縄を引っ張った。
「おい、神官」
すれ違いざま、年長の少年が、カエムワセトに呼びかけた。
「俺らは盗賊だ。今回の罪が軽くなろうと、捕まった限り結局は殺される」
「お前ら、盗賊だったのか!」
目をむいて怒鳴ったメジャイの声は裏返っていた。
「言わなきゃいいのに……!」
縄を引かれて歩きながら、小さい方の少年が天を仰いで嘆いた。
再び厳しさを取り戻したメジャイの縄に引っ張られながら、少年たちの後ろ姿が小さくなってゆく。王宮の裏口から牢屋に連れて行かれるのであろう。
「ほんでどうやって出してやる気だ?」
三人を見送りながら、アーデスが訊いてきた。
「さて、どうしようかな」
お見通しの武術指南役に、カエムワセトは宙に視線を泳がせながら考えた。
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