第四章 白亜の宗教都市メンフィス

第14話 メンフィス港

 メンフィスはかつて首都として機能していた大都市の一つである。その全長はナイル川支流に沿って五百セスヘン(約五㎞)に及び、ナイル川から延ばされた水路は街の隅々まで縦横無尽に張り巡らされ、そこに住まう人々を潤していた。


 華やかなぺル・ラムセスとはまた違い、石灰岩と漆喰の白を基調とした荘厳な建造物が数多く立ち並ぶこの街は、宗教都市の名にふさわしい風格がある。


 ギザのピラミッドとスフィンクス像を左手にナイル川を登り続けると、白く輝く防壁を備えた都市が姿を表した。街の西奥には、数日後にカエムワセトが発掘調査に向かう予定であるサッカラのピラミッド群が霞んで見える。


「着いたよ。メンフィスだ」


 白亜の都を目前に、カエムワセトは眩しそうに額に手をかざした。


 船長が帆を畳み、オールの漕ぎ手達に指示を出して船着場に船首を進めた。

 

 メンフィスには大きな港が存在した。石灰岩で造られた灰白色のその港には、商船などの大型船や、各地方の神殿から来た船なども着岸していた。


 カエムワセト一行を乗せた木造中型船は、大型商船の脇を通り、小型から中型船用の着船場に着岸した。舷梯がかけられる。


 馬を連れたカエムワセト一行は乗客達の最後に下りた。


 人々はロバではなく馬を連れて船を下りてきた集団を、珍しげに眺めながらすれ違っていく。


 遠くで「アニキ! 馬っスよ馬!」という楽しげな子供の声に続き、「早く歩け!」という怒号も聞こえた。


「酔ったかい? ハワラ」


 自分達が乗って来た船を呆けた様子で眺めていたハワラに、カエムワセトが訊ねた。

 ハワラは頭を振った。


「夢みたいで」


 と答える。


「まさかこんな大きな木造船に乗れるなんて思ってなかったから。しかも馬と一緒になんて」


 ちょっと楽しかったです。と、指で頬をかきながら、ハワラは照れたように笑った。


「で、どうすんだワセト。さっそく神殿に殴りこみに行くのかい?」


 不敵な笑みを浮かべて物騒な物言いをしてきたアーデスに、カエムワセトは苦笑った。


「殴り込んだりしないよ」


 まだ昼を過ぎたばかりではあるが、ハワラの体調面を考慮し、今日はこのままメンフィス王宮へ行って休む事を提案する。


 ハワラが「えっ!?」と小さく跳び上がった。


 カエムワセトが眉をひそめる。


「どうした?」


「なんでも、ない、です」


 ハワラはぎこちない笑顔を繕うと、「わかりました」と王宮行きを承諾した。



 カエムワセトの母と弟が逗留している王宮は、西側の街はずれにあった。街とサッカラピラミッド群の、ちょうど真ん中である。


 カエムワセト一行は王宮までの道すがら、パンを焼く香ばしい臭いに誘われ、飯屋に入った。


 パンとモロヘイヤのスープが人数分、テーブルに並べられる。

 リラが蜂蜜パンを食べたがったのでそれも注文すると、リラは五人分の蜂蜜パンを一人でたいらげてしまった。


 ライラがモロヘイヤのスープを食べるよう言って押しやると、リラは粘り気のある緑色のスープを豪快な音を立てて一息に飲み干し、まだ食べ足りないと言わんばかりに指に残っていた蜂蜜を舐めた。


 リラの食べっぷりを眺めていたアーデスが、食事半ばでゲップをした。無頼漢に見える男にも、繊細なところがあったのである。


「ハワラ、食べないの?」


 指をあらかた舐め終えたリラが、ハワラの目の前で冷めてゆく手つかずのパンとスープに目をやった。


 ぼんやりと俯いていたハワラは顔を上げると、リラにパンとスープを押しやった。


「欲しいならリラにあげるよ」


 そして、「僕の分の蜂蜜パンも食べていいよ」と言う。


「もう全部食べた」


 リラの返事を聞くと、「あれ?」と目を丸くしてテーブルを見渡した。明らかに考えにふけって周りが見えていなかった様子である。


 アーデスとライラは、船を下りてから徐々に口数が少なくなっているハワラを訝しげに見た。


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