番外編第5話 運命の出会い
高級レストランでヘルミネ達に個室を譲ろうと声をかけてきた若い男はアンドレ・ド・ロレーヌと名乗った。
ヘルミネはそのような申し出を受けたら個室をオリヴィエと2人だけで使うだろう。でもアンドレに興味を抱いた彼女は一緒に食事をどうかと彼を誘った。オリヴィエは一瞬嫌そうな表情をしたが、すぐににこやかになってヘルミネに追従した。
「でもご夫婦のお邪魔をしては申し訳ないですよ」
「いえいえ、妻もそう申してますし、いかがですか? 折角知り合えたわけですから」
「そうですか? 後から友人も来るのですが、それでもよいでしょうか?」
夫婦を偽装するヘルミネとオリヴィエは、アンドレの友人の同席を了承して個室のテーブルに着いた。彼の友人はすぐにはやって来ず、3人がワインと前菜を楽しみながら会話している時に到着した。
「アンドレ、遅くなって悪……あ、こちらの方々は?」
「こちらはカルノー男爵ご夫妻。今晩は満席なので、同席いかがとお誘いしたんだよ。ロベール、いいよね?――ご夫妻、こちらは私の友人ロベール・リベルテです」
「お知り合いになれて光栄です」
「こちらこそ」
「ロベールは大学で化学を専攻して粉状にした石鹸を発明した秀才なんですよ。その特許と製造販売で大成功しました。『シーニャ』って言うブランドですけど、お聞きになったことがあるかもしれませんね」
そう言われてヘルミネとオリヴィエは目をしばたたかせた。王妃の護衛を務めるオリヴィエも王妃のヘルミネも自分で洗濯することはおろか、洗剤を自ら注文することすらないので、石鹸のブランド名など知らないに決まっている。
「いや、すみません、聞いたことありませんね」
「アンドレ、男爵夫妻が粉石鹸の名前など聞いたことがある訳ないだろう?」
「それもそうだね。すみません、ご夫妻」
「いやいや」
「アンドレは、商売以外は世間知らずな所があるんです。でも彼は子爵子息で僕はただの平民なのに気さくで身分差を越えて仲良くしてもらってます」
「でもこう言っては失礼かもしれませんけど、ロレーヌ様のお父様はいい顔なされないのでは?」
「男爵夫人、私のことは是非アンドレとお呼び下さい。それから父のことですけど、おっしゃる通りです。それどころか私が商会を設立したのを貴族らしくないと言って私の交友関係にも苦い顔をしています。領地経営だけじゃ苦しくて私の商売で大分助かっているのに、何の役にも立たない堅苦しい貴族の矜持とか言って本当に頑固です」
「まぁ、うちの義母と同じですわ! アンドレ様、私のことも是非カミーユとお呼び下さい。夫のことも是非シルヴァンと。ロベール様もファーストネーム呼びでいいですわよね?」
オリヴィエ=シルヴァンは、ヘルミネ=カミーユがドロテアのことを話し出しそうな勢いでぎょっとしたが、素知らぬ振りをして『妻』に同意するように頷いた。
「ええ、それではお言葉に甘えて、カミーユ様。これからの時代は、古臭い価値観に囚われて何も新しいことをできない貴族よりも金儲けに貪欲なブルジョワの時代になります。貴族の誇りだけではこのように素晴らしい料理を堪能する財力すら持てません」
「ロベールの言う通りです。今やこのレストランの客だって半分以上はブルジョワ層です。このままでは貴族は落ちぶれます」
「貴族も商売は卑しいなんて言っていないでもっと金儲けとそのための知識獲得に貪欲になるべきです。貴族の矜持で若者達を雁字搦めにしたら才能を殺して国が没落します」
「貴族の若者だけじゃなくて、ロベールみたいな平民の若者の才能も伸ばすべきなんです。貴族とか平民とかで区別するなんてナンセンスです。それよりも才能と努力の結果を評価すべきですね。ロベールの粉石鹸は外国にも輸出して少ないながらもソヌス王国の財政に貢献しているんですよ」
「『少ないながら』は余計だよ、アンドレ」
「ハハハ、まあ、まだ本当のことだろう?」
「そうだな、でもいずれは国の財政に大貢献できるような大企業にしてみせるよ」
「まあ、素敵な野望ですわね! それにしてもアンドレ様もロベール様も柔軟な考えをお持ちで素晴らしいわ! それに比べてうちの義母は古臭い価値観をいつまでも振りかざして……」
「カ、カミーユ、母上のことは……済まないが……」
「まあ、貴方! 本当のことではありませんか!」
オリヴィエ=シルヴァンは、またドロテアのことが話題になっていつヘルミネ=カミーユの身元が割れるかハラハラして冷や汗が背中に流れた。ヘルミネは、そんな『夫』の心配もよそに話題にどんどんのめり込む。
「カミーユ様、そうは言ってもお年を召した方には今までの古い価値観を覆すのは難しいですよね。ですから私達はまず子供達や若者達に新しい価値観を教えています」
「でも単に私達の考えを押し付けているんではないですよ。彼らは両方知った上で我々の新しい価値観を選んでいるんです。失礼ですが、カミーユ様達にはお子様はいらっしゃいますか?」
「ええ、8歳の息子が1人」
「カミーユ様は、そんな大きなお子さんがいらっしゃるようには見えない美貌ですね。シルヴァン様もお若くていらっしゃる」
「え、ええ……結婚が早かったものですから……」
オリヴィエ=シルヴァンは、その時22歳で8歳の息子が実際にいるような年齢ではないし、見かけも年相応だ。ヘルミネ=カミーユがどんどん個人的な事情を打ち明ければ打ち明けるほど、ボロが出そうでハラハラしてテーブルの下で彼女の太腿をドレスの上から突いた。せっかく美貌を褒めてもらったのに気分台無しになり、ヘルミネは彼を睨んだ。他人がいなければ無礼者と罵っていた所だ。
「ご夫妻に似て聡明なお子さんなんでしょうね」
「ええ。でも義母が息子にも四角四面な古臭い教育を押し付けていますから、その影響がどう出るかわかりませんわ」
「今からならまだ間に合いますよ。シルヴァン様、貴方の息子さんです。母上からご家族を解放して息子さんに新しい価値観で教育されてはどうでしょうか?その上で息子さんに自由に選んでいただくのです」
「あ、ありがとうございます。でも母は……その……中々難しい人で……強い人でもあるんです」
「でもそれはいい考えだと思うわ。貴方が当主なんですもの。貴方に選択権はあるでしょう? 是非新しい価値観と教育方法についてお伺いしたいわよね、シルヴァン?」
ヘルミネ=カミーユの目は『はいと言え』と語っている。オリヴィエ=シルヴァンは仕方なく同意した。
オリヴィエ=シルヴァン以外の3人の話はどんどん盛り上がり、4人の初顔合わせの夜はあっという間に更けていった。だからヘルミネ=カミーユが滞在中に2人と再び会う約束をしたのも無理はない。オリヴィエは、お忍び先で親しくなり過ぎればヘルミネが王妃とばれてしまうと気をもみ、再会に気乗りしなかったが、ヘルミネの希望は彼にとって命令に等しい。
その後、保養地からヘルミネは帰国し、閨で夫にジークフリートの家庭教師を入れ替えるように甘い声で懇願した。それから1ヶ月もしないうちにドロテアが少し留守をした隙にジークフリートの家庭教師が一斉に入れ替えられた。
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