番外編 ある悪女の物語

番外編第4話 お忍び旅行

これから3話は、元々本編の幕間3、4、5として投稿していた話です。コンテストの字数制限のために削除しておりました。これら3話は、ヘルミネがまだ王妃として我が世の春を謳歌していた頃の話です。アメリーのアマーリエが目覚める前になります。

ちなみに本編の幕間3は、今話と次話をコンパクトにまとめたものなので、内容的に少し重複しています。


------


 ヘルミネは型にはまって窮屈な王宮での生活を嫌う。お忍び旅行に出れば、堅苦しい生活から解放されるし、うざったい義母ドロテアにも会わずに済む。それに好きでもない夫フレデリックとの閨をどうやって断ればいいか頭を悩まさなくてもよい。その上、ドロテアに追従してヘルミネに批判的な貴族夫人達とも付き合わずに済むので、一石二鳥だ。


 お忍び旅行には忠実な護衛オリヴィエとお気に入りの侍女イザベルだけを伴う。旅行先で使う偽名は祖国ソヌス王国の一代男爵カルノーのもので、ヘルミネがオリヴィエの名義で買った。旅行先でオリヴィエはシルヴァン・ド・カルノーとなり、ヘルミネは彼の妻として振舞い、イザベルが男爵家の侍女となる。


 オリヴィエとイザベルもヘルミネと同じくソヌス人で、彼女より7、8歳若い。ヘルミネの輿入れの時に付いてきた護衛と侍女が数年前に引退して祖国に帰った後にソヌス王宮から派遣された。それにはドロテアが大反対し、母に追従したフレデリックも当初渋ったが、ヘルミネが閨で甘い声で頼むとちょろかった。ヘルミネの祖国の両親も兄の王太子も本心ではヘルミネの頼みをよく思ってなかっただろうが、正式なアレンスブルク国王の要請を受け入れ、侍女と護衛を送ってきたのだった。


 ヘルミネは、旅行で息子ジークフリートに滅多に会えないことも、ドロテアが押し付ける教育方針も当初は特に気にならなかった。でもその考えを変えた出会いがあった。


 それは新生アマーリエが目覚める6年前、ジークフリートは当時8歳。ヘルミネはまだ29歳で自分の容姿に今よりも自信を持っていた。


 出会いの地は、ヘルミネの祖国ソヌス王国の保養地。ヘルミネ一行は、アレンスブルク王国の王都から保養地まで当時開通したばかりの鉄道で赴いた。ヘルミネの護衛オリヴィエの偽名カルノー男爵は成金新興貴族という設定で、その名前で1等車1両丸ごとを貸し切りした。本当なら、アレンスブルク王家にも専用列車があるが、それを使うとお忍びでなくなってしまう。


 それは王国歴439年7月のことだった――


 ヘルミネ一行の乗る列車が保養地の最寄り駅に到着した。停止した機関車からシュッシュッシュッと蒸気の出る音が聞こえる。


「この列車を出たら、お前はカルノー男爵シルヴァン、私はお前の妻カミーユ、イザベルは男爵家の侍女よ。わかったわね」


 ヘルミネはオリヴィエの腕に手をかけてイザベルの顔をちらりと見た。忠実な侍女の顔に忠誠と嫉妬がせめぎ合う苦悩が見え、ヘルミネはほくそ笑んだ。


 重厚な石造りの駅舎を出ると、真っ青な空に夏の太陽が燦々と輝いている。イザベルはすかさずヘルミネの頭上に日傘を差す。一行は、駅前で辻馬車を拾って定宿となっている最高級ホテルに向かい、そこでスウィートルームにチェックインした。居室と主寝室、メインの浴室の他に寝室が2部屋あり、それらの寝室にも小さいながらもそれぞれ浴室が付いており、オリヴィエとイザベルが1室ずつ使う。


 ベルボーイがヘルミネ一行の荷物を部屋に運び入れるのを横目に、ヘルミネは居室のソファにさっさと座り、オリヴィエは名目上の『夫』としてその向かい側に腰を下ろした。イザベルはさっそく旅行鞄を開いて荷物を整理し、ヘルミネのドレスをクローゼットに掛ける。ヘルミネはベルボーイにチップを渡し、ここに滞在中に都度都度訪れる高級レストランの個室の予約と紅茶の注文を頼んだ。


 しばらくして部屋に来た客室係から個室を予約できないと聞かされ、ごきげんだったヘルミネの機嫌は急降下した。だが夫役のオリヴィエがテーブル席を予約するように客室係に言ってとりなした。


 レストランにはヘルミネはイザベルを伴わず、オリヴィエと2人だけで出かけた。嫉妬を必死に隠すイザベルを見てヘルミネはまたもや小気味よく感じた。イザベルがオリヴィエに懸想しているのはヘルミネの目からも明らかだ。オリヴィエとイザベルは恋人同士ではなく、同じくヘルミネに仕えているだけだが、外国に2人だけ同時に送られてきた同年代の独身の男女である。恋愛関係に発展するか、どちらかが恋愛感情を持つようになるのも自然だろう。


 本来なら、使用人であるオリヴィエもヘルミネと同じテーブルで食事をとることはないが、ここでは彼は夫ということになっている。ヘルミネは自由を愛すると言いつつも、王侯貴族の傲慢と贅沢を享受するダブルスタンダードとお気に入りの侍女が苦悩する様子を楽しむ残酷さも持ち合わせていた。


 ヘルミネとオリヴィエがレストランに着くと、ハイシーズンの保養地らしく満席だった。行き違いがあってテーブルの予約が元々されていなかったか、予約しようとした時には既に満席だったのかは分からない。ヘルミネはかっとなり、偽名を使っていることを忘れて思わず『私を誰だと思っているの』と言いかけた。


 そこにその男は颯爽と現れた――自分の予約している個室をどうぞと。ヘルミネは、20代前半に見えるその眉目秀麗な男に一瞬で魅入られた。白皙の肌に端正なマスク。ヘルミネと同じブルネットの髪は艶やかで、彼女がコンプレックスに思っているように醜くはない。それどころか目鼻立ちの整った顔に似合ってアンニュイというか、そこはかとない色気を感じさせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る