第5話 野獣の牙


P.M.12:30 東京都渋谷区 遥か上空


「あー、やっぱりダメだったなぁ。まあ、どう考えてもあの作戦は無茶だよねぇ」

「『マキナ』の鹿野山内での掃討は失敗。でもこれは、予想の範囲内」

「やっぱアイーシャの立てた作戦には無理があるよぉ。私が考えつかなかったのも悪いけどさ」

「んだよ、お前らだってオレの作戦にノッたじゃねえか。もうこれしかない、って」

「それは他に作戦が思いつかなかったから仕方なく採用しただけだよぉ」

「皆さん、喧嘩している場合じゃないですよ。早く仕留め損ねた『マキナ』をどうにかしないと。『地球』が大変なことになりますよ」

「リハナの言う通り」

「リハナは真面目だなぁ。そんなんじゃ良い貰い手が出てこないよ?」

「な、なんの話ですか!」

「ま、いいじゃねえか。そういう堅物が好きな物好きだって、世界単位で探せばいつか見つかるだろ」

「だからアイーシャさん、なんの話をしてるんですか!?」

「それじゃあみんな、準備はいい?」


「はい!」

「おう!」

「はあい」


「『派遣ビーファ』、マーダー小隊。目的地、渋谷――出動」




 肌に突き刺すような突風が吹き抜ける。東京の空は硝子のように透き通っていた。鮮やかな青色がどこまでも澄み渡り、見た者の心が洗われるようだった。


 頭上からモーター音が聞こえる。先ほど飛び出した航空機のプロペラ音だった。


 リハナ達、マーダー小隊は『派遣ビーファ』と呼ばれるヘルミナス王国直属の騎士団アルスマンのひとつだった。『地球』と『ヘルミナス王国』の二世界で結ばれた、『アースヘル和親条約』によって、地球への駐屯を許された部隊だった。

 勤務外を除いて、『派遣ビーファ』は非常事態に備えるためにも『世界の扉ミラージュゲート』が存在している千葉県葉県富津市、鹿野山の駐屯地にて監視を一役買っているのだが――『マキナ』の氾濫を抑えきれず、航空機による長距移動を挟みながら東京まで追いかけてきたのだ。


 派遣ビーファ達にとっても、此度の事態は予想外のことで、いずれの対応も後手にまわらざるを得なかった。


『こちら、マーダー01』リハナの付けている無線機用イヤホンから声が聞こえた。『降下問題なし。約二百メートル先に渋谷ヒカリエを確認。この軌道なら問題なく渋谷の中心街に着地できる』


『えー、こちら、マーダー02』今度は別の女性の声が無線で聞こえてきた。『オレのほうもヒカリエは見えるが、ここからだとちょい遠いな。まあ、着地してから合流は簡単にできそうだ』


『はいはい、同じくマーダー03ですよっと』先の二人と違い、少し間延びした口調の声が続いて無線を使った。『こっちはねぇ、まだ二人ほど渋谷の街並みは見えないかなあ』


『合流はできそう?』


『んー、多分大丈夫じゃなあい? ヒカリエは解るし。それを目印にすれば』


『了解』


『というか、一人だけまだ上にいるリハナのパンツが見えそうでえす』


「はい!?」リハナは無線越しに指摘された通りに、自身の下半身に眼をやった。『派遣ビーファ』の制服は、男はズボン、女はスカート、と決まっており、地球で言うところの軍服に似たデザインの服装をしていた。


 思わずスカートを押さえ、太腿で密着させて股下を隠した。

 突然の姿勢変更により、パラグライダーと自身の身体を接続しているハーネスからお尻が離れそうになった。落ち着いて安定した状態を戻してから、赤い顔で下にいるであろう仲間に睥睨した。


「リデアさん! 今は真面目にしてくださいよ! 一歩間違えたら死んじゃうじゃないですか!」


『ごめんごめん。だって、見えちゃっただもん』


「仕方ないじゃないですか。私は皆さんと違って身体が弱いから、


『いや……そういうことじゃなくて、私やクレハみたいに、スパッツとか履けばいいんじゃないかなぁ。もしくは、アイーシャみたいに短パンで覗き防止するとか』


「う、うぅ……確かにそうですけど……」


『みんな、お喋りは一旦お預け』最初の声、マーダー01と名乗った女性の声が冷静に注意してきた。『一応、もう出動してるから、コールサインを忘れないように』


「す、すみません!」


『ごめんごめん』リハナが謝るのに続くように、リデアと呼ばれたマーダー03も軽く謝罪を口にした。『マーダー04もごめんねぇ。反応が可愛いから、どうしても揶揄からかいたくなるんだよねぇ』


 そのコールサインの使い方は間違っている気はしたが、彼女の適当さ加減は今に始まったことではなかった。


 マーダー小隊は、 『派遣ビーファ』の中でも特殊な立ち位置にいた。隊員が女性のみで構成されているのだ。他の派遣部隊に女性は所属していない。これは、『派遣ビーファ』が騎士団アルスマンの中でもまた特殊な立ち位置にいたからだ。


 『騎士団アルスマン』は『ヘルミナス王国』の王家に仕える団体だった。主な仕事として、国王の護衛や城内の警備、王都の治安維持や国民の相談相手まで、様々な社会的秩序を守る役目を担っていた。地球で言うところの、軍隊や警察の性質を併せ持っており、それぞれの役割には対応した階級が存在するのだが、 『派遣ビーファ』は『六神世界』が発覚してから生まれた階級だった。

 地球に駐屯し、四世界からの侵略を防衛する。その性質上、郷里に帰ることを許されず、一生を地球で終える。まだ決まったばかりの条約でもあり、実際にその提言通りに天命を全うした者はいなかったが、とにかくそうした規則から、『派遣ビーファ』に選出されるのは故郷に未練が少ない独り身の男騎士にかたよっていた。


 にもかかわらず、彼女達が派遣入りしたのは、自ら進んで入隊を希望したからだった。


『他の小隊はまだこっちに到着してねえ感じか』マーダー02は言った。


『そうみたい』


『一番乗り、ってことぉ?』


「というよりは、『マキナ』を追跡するために各区へ散らばったんじゃないですか。奴らの移動先は渋谷だけではないはずですから」


 マーダー小隊は、区域内での防衛が不可能と見るや否や、包囲網を突破した『マキナ』を追いかけてきた。こうした単独行動が許されているのも、マーダー小隊の強味だった。


『それにしても、謎だよな。なんで【マキナ】の野郎共、この期に及んでこんな数で攻め込むことできんだよ』


『一年前のあのとき、完全に息の根を止めてやったと思ったのにねぇ。【母胎マザー】だって機能停止させたはずだし、あれ以上繁殖はできないはずなんだけどなぁ』


『……それを考えてる暇はないかも』


 リハナがいる空中から四時の方角だった。


 動体視力が格別に優れている01と02でなくとも、その方角から迫りくる『マキナ』の大群は容易に視認することができた。それは、空を飛び、夜が青空を埋め尽くすかのようで、アレが百は下回くだらない数の敵じゃなければ、幻想的な光景として受け入れられただろう。


『チッ』マーダー02の舌打ちした。『やっぱ食い止め切れなかったみたいだな』


『うわー、数多いなぁ。きもちわる』


『ん? なんだ、03。あんなのオレらの世界の【魔物ミシュラ】と変わんねえだろ。いつから弱腰になっちまった?』


『いや、私もあれぐらいの大きさなら問題ないけどさぁ。ほら、地球にはアレに似た形のちっさい奴が何匹もいるでしょ?』


「昆虫のことですか?」


『そうそれ!』リハナの言葉に03が強く同意する。『アレ見てからはもう無理。しかも、素早く飛んでくるでしょぉ? 気持ち悪くて仕方がない』


『なんだよ情けないなー』


「……でも、気味が悪いという意味なら、私はこの世界の動物が苦手です」


『それって、ネコやイヌ、みたいな?』


「はい。姿形は全く違うのに、私達、『獣人デュミオン』と全く同じな耳や尻尾を持っているなんて不思議じゃないですか」そう言いながら、リハナは自分の耳がピクッと動いたのを感じた。まるで、『私も同意!』と耳に言われたようで小恥ずかしかった。


 『ヘルミナス王国』の住人達は、姿形こそ地球人と大差ないものの、最大の相違点として、頭に動物を彷彿とさせる大きな耳と、同じく人類にはない尻尾を生やしていた。


 デュミオン、という彼女達の世界の呼び名に『獣人』の当て字がされるぐらい、その姿はまだ魔法が空想上だった世界に想像された獣耳少女そのものだった。


 リハナの耳はネコの持つ耳と形状が近かった。尻尾は細長く、これは彼女に限ったことではないが、今の感情によって先端が上や下に向いたりするのだった。色は髪色と同じ明るい茶色だった。髪の片方を赤いリボンで結びサイドテールにしていた。耳も尻尾も髪も、手入れに余念がなかった。


『私は可愛いと思うけどなぁ』


「しかも、地球人って、その動物達をペットとして飼い慣らすじゃないですか。あれも複雑です。屈辱的とまではいかないまでも、やっぱり複雑というかなんというか」


 自分と同じ部位を持つ地球の愛玩動物。それ自体はして珍しいことではない。人類に眼があるように、イヌやネコに眼があるように、生物である以上は類似点を探そうとすれば幾らでも探し出すことができる。ただし、その感覚を共有されると話は別だ。チンパンジーと人類が似てる、と言われてないのは、そう思う人物が少数派だからだ。しかし、リハナは地球人からネコと同一視されることも少なくなかった。チンパンジーと一緒だ、と言われれば腹が立つように、彼女も飼ってるネコみたいに可愛いね、と言われても釈然としないところがあった。


『だったら、教えてやればいいじゃねえか』複雑な心境のリハナに、マーダー02は乱暴ながらも後輩を励ますような口ぶりで言った。『オレらは可愛いだけが売りの動物とはちげえ。侵略者から地球を守る、なくてはならない存在だってな――!!!」


 下方で地上と水平に飛び出していく人影が見えた。人影は『マキナ』の大群へ一直線に向かっていってしまった。


『あーあ、勝手に突っ走っていっちゃったよぉ』


『仕方ない。私達も向かおう』


『え、いいの?』


『流石にあの数をアイーシャだけに任せるのは酷。私達で食い止めるしかない』


『りょうかーい』


『リハナ』置いてけぼりにされた気分だった彼女に、01が話しかけてきた。


「は、はい!」


『聞いた通り、私達はあの大群を空中にいる間に仕留めてくる。もしも、民間人のいる場所に着地されたら厄介』


「なるほど……!」


『だけど、何匹かは既に街中に侵入してるから、そっちの処理をリハナにお願いしたい』


 つまり、ここからは01、02、03とは別行動となる。単独行動は危険が多い。


「解りました」しかし、リハナに迷いはなかった。「どちらにせよ、私はクレハさん達みたいに身体の『魔力マナ』が強くはないので、空中戦となるとお力になれませんし」


 『獣人デュミオン』の身体は地球人よりも頑丈にできており、また身体能力も高い。リハナがパラグライダーでゆっくりと降下している中、他の三人は生身で何も付けずに落下していた。だから、彼女よりも遥かに早く下方にいたし、百メートル以上先の地上も、並外れた動体視力で観察することができた。


 しかし、リハナは何故か、生まれもって身体が弱かった。『獣人デュミオン』なら誰もが持っている身体能力を授かることなく生まれた。その比例は、鍛えられた地球人にも劣るぐらいだった。


『ごめん。すべて片付けたらすぐに合流する』


「はい。待ってます」


 このやり取りの直後、二つの人影がさっき飛び出していった人影と同じ方角へ向かって行った。


 『獣人デュミオン』は体内に流れる『魔力マナ』を自在に操って、通常できるはずもない動きや身体強化を施すことができる。しかし、リハナにはそれができないため、時々仲間達の動きについていけない場合も多かった。


 それを悔しく思う気持ちはある。だからこそ、自分にできることをやるしかないのだ。


 渋谷の街が見えてきた。地上に降り立つまで一分とかからないだろう。


 地上はやはり、地獄のような状態となっていた。リハナが驚いたのは、地上に残っていた地球人が想定よりも多かったことだった。


 ――まだこんなに避難しきれていない民間人が!

 ――早く助けないと!


 実際は彼らは避難しきれなかったわけではなく、意図的にその場で待つことを選んだのだが、リハナがそんな事情を知るはずもなく、仮に知っていたとしても、彼女が取る行動は変わらなかっただろう。


 パラグライダーの動きが不安定になってきた。都内に入り始めたタイミングで、ビル風などの上空とは全く異なる風向きに煽られているのだろう。


 ――これ以上の降下は危険か。


 高層ビルが乱立する街の中でパラグライダーを運転するのは至難の技だった。


 ――なら、屋上に着地して、ここからは足で地上へ――――


 そう次の行動を決めようとしたとき、ふと見下ろした視線の先で、見えた。


 『マキナ』が幼子を抱える青年に詰め寄ろうとしている、その瞬間を。


「――――!」


 その後は逡巡のいとまもなかった。


 リハナは迷うことなくパラグライダーに繋がる紐を携帯していたナイフで切り離した。途端、重力に引っ張られるように落下の速度がはやまる。ある程度の着地点を定め、そこに落ちるように己の身体を調節してから、緊急パラシュートを解放した。


 再び柔らかくなる空気抵抗。しかし、安心してはいられない。リハナは青年達のいた方向に眼をやった。


 近くにいた『マキナ』は、完全に次の獲物を二人に絞ったのか、ゆっくりと彼らに近付いていた。


 ――距離がちょっと遠いけど、やるしかない!


 リハナは腰に提げた短機関銃サブマシンガンを手に取った。


 地球のために命を張る『派遣ビーファ』の各部隊には、地球側から標準的な装備が支給されていた。それは身体の弱いリハナにとって、とても扱いやすい武器だった。


 いつもであれば、弾の温存のためにも、確実に当たる距離まで近付くのだが、今はそうも言っていられない。民間人に当たらないようにだけ調整しながら、銃口を『マキナ』に狙いを定めると、一気に引き金をひいた。


 乾いた音の連続。何かを破壊するためだけの音が、リハナの大きな耳を貫くようだった。

 弾道が大きくブレた。発砲の反動でパラシュートが揺れた。しかし、それもわけなく再調整し、再び構え直したときには、地上にいる対象を見事に撃ち抜いていた。


 唐突なビル風や突風で落下ルートを一変させるパラシュートという環境では、流石に照準をぴったり捉えたままにするのは難しく、とにかく民間人に被弾しないことを意識した。弾を何発使ったかなど考えず、対象から死の気配が漂うまで撃ち続けた。やがて、脚や胴体が銃の餌食となり、次々とパーツが欠けていくにつれ、『マキナ』は完全に動かなくなった。


 同時に、足が地面に着いた。


「大丈夫ですか?」リハナは呆然としている民間人二人に声をかけた。

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