<29> 訪問カード
この手のパーティーは深夜まで、日付を跨いで続くのが当たり前だそうだ。
それも、お祭りの最終日たれば尚更熱が入るもの。
ヒミカはひとまず、午前三時で切り上げた。
そして翌日。
「大成功でしたわねン。ワタクシの顧客三人から、それぞれ噂を聞きましたわよ」
「よかったぁ……」
「ワタクシ自身としても興味深かったですわ。
今あるものを美しく魅せるのはワタクシの技ですけれど、あのように美しさを基礎から作る技術はございませんもの。不覚にも、その発想すら無かったですわ」
緊張と疲労の反動で昼過ぎまで寝ていたヒミカが、ビキニアーマー研究所とかいう頭に文字を思い浮かべるだけでおかしくなりそうな場所を訪ねていくと、カノンは全く疲労など感じさせない顔で出迎えた。
カノンは昨日、ヒミカのパーティーを裏から様子見するだけでなく、あちこちの上流階級パーティーをハシゴして周り、その上で今日は朝から顧客の訪問に出ていたそうだ。
体力はもちろん、疲労を表に出さない意志力と矜恃の賜物だろう。まさに鉄人だ。人ではないが。
実際パーティーは大盛況だった。
ただ、こういったパーティーでは主催者にペアのダンスを申し込むのが礼儀であるらしく、当のヒミカはどうやって自分がまともに踊れないことを誤魔化すかで必死だった。
基本的にはひたすら健康指導をすることで乗り切った。
「急ぐお話ですし、これならもう、次の段階に進んでもよろしいかも知れませんわねぇン。
私が『共通の知人』という立場から紹介のお手紙をしたため、皆さんにヒミカさんをご紹介するんです」
カノンの言葉にヒミカは、身を引き締め気合いを入れる。
早くも本命のターゲットを狙う準備に掛かるのだ。
もちろんそれも、並大抵ではない。人脈を一つ繋ぐには、伝手と、時間と手間と、失敗してもめげずにアタックし続けるくじけぬ心が必要になるとのこと。難攻不落の砦をいくつも、同時並行で攻めることになるのだから。
カノンはばらりと、思いのほか質素なカードを応接室の机に並べた。
いずれも『ヒミカ・ホージョー』と名前が書かれ、滞在先の借家の住所が添えてある。
「訪問カードをご用意致しました……
もちろんお代は後ほど」
「わ、すごい。名刺みたい」
「いきなり訪問しても、居留守を使われるでしょう。ですがそれが普通ですので、気にしてはいけません。訪問カードを置いてきて、返答を待つのですわン。そして……」
カノンの説明に割り込む、駆け足の足音があった。
それは廊下を迫ってきて、応接室の前に来るなり、間髪入れずに扉が開く。
「ヒミカさーん!」
「これ、メル! 勝手に入ってしまって……」
「師匠! メルちゃん!」
部屋に飛び込んできたのは、船に乗る前に別れたはずのメルティアだった。
飛び込んでは来なかったが、後にはセラもやってくる。
「どうしてここに!」
「事の次第を知って、飛んできたんです。
全く、とんでもないことになりましたね」
「この方々は? ヒミカさんのお知り合いですの?」
「あ、セラニア王国でお世話になってた方で……」
かくかくしかじか。
お互いに事情と状況を説明し、メルティアは牛乳を出されて大人しくなった。
「……もうご存じかも知れませんが、長雨による街道の崩落は大嘘でしたよ」
「やっぱり……!」
「公爵家の兵が街道を封鎖しておりましたが、気にせず裏から山中を進みましたところ、街道は全くの無事でした」
「そう、それでね! ひどかったんだから!」
牛乳の髭を生やしたメルティアが、拳を振り上げ激怒する。
「コロシアムの闘技大会! ヒミカさん、っていうか『アンジェリカ姫』が来るって、ずーっと宣伝されてたのよ!
でも出てこなくて! なんか偉い人が、『姫様は来なかった』とかー、『以前、一回負けたから来なかったんだろう』とかー、『あの姫様に、姫様より強い騎士団が付いてるんだから魔王も怖くない』とかー、そういう話をみんなの前でしてて、みんな笑ってて!
でもヒミカさんが逃げるわけないでしょ? だからおかしいって……思って…………」
メルティアの説明は若干つたない部分もあったけれど、ヒミカは内容を十二分に理解した。そういうことをしているのではないかなと、薄々考えていたからだ。
勝手は許さないはずだった。それだけの力を付けたはずだった。だが、いなされた。
子供だましのような計略に見事に嵌まった自分が憎い。
そしてもちろん、こんな侮辱をぶつけてきて、それによって身勝手な利益を得ようとしている、あの王も……
「ヒミカ!」
「っ!」
「落ち着きなさい。あなたはもう、殺気で人を殺せる段階に達しているのですよ」
セラの一喝で、ヒミカの世界に、音と光が返ってきた。
それは、自分が自分ではなくなるような、打ち寄せる殺意の波だった。
「……オーケー、分かったわ。
次の仕事の話をしましょう」
「ひええええ……」
ヒミカは深呼吸一つ。
力を使えるからこそ、感情に任せてはいけない。それでは傷つけるべきでないものを傷つけ、何事も為せぬまま、また失敗するだろう。
必要なのは殺意ではなく、成し遂げる意思だ。
「あっ、そ、そうだヒミカさん!
これから、あっちこっちのお屋敷に挨拶に行くんだよね?」
「そうだけど……」
「メイドさんと一緒じゃないと、舐められるって聞いたよ」
メルティアが何を言いたいか、ヒミカが理解するまで少しかかった。
* * *
それから数日は、概ね地味な仕事となった。
まずメルティア(メイドのすがた)が、カノンの紹介状と訪問カードを持って、あちこちのお屋敷に届けて回った。
これは文字通り、挨拶代わりで、紹介状を書いてくれたカノンの信用を盾にして『私に良くしてくれませんか』と要求しているわけだ。
訪問カードには、商店のチラシの如く『営業時間』が書き込んである。
この曜日のこの時間に訪ねてきてくれれば会えますよ、という話だ。
とは言え、いくら噂が広まったと言っても、いきなり最高の返事をくれる人はそうそういない。相手も大勢と人付き合いをしているのだから時間は有限だ。諸侯の奥方やご令嬢のような大物は、尚のこと。
自分からヒミカを訪問するのでなく、お返しの訪問カードが届き始めた。相手が指定した時間に、今度はヒミカの方から会いにいくのだ。
さてこれで会ってくれるのかというと、話はまだまだややこしい。
「奥様は今、ご不在です」
お屋敷のベルを鳴らせばメイドが出て来て、営業スマイルで門前払いを喰らわせてくる。
「それでは仕方がありませんね。
ヒミカ・ホージョーが参りましたと、どうか奥様によろしくお伝えください」
ヒミカは再び訪問カードを渡し、礼儀正しく引き下がる。
……以下、ひたすら繰り返し。
「この家も居留守なの?」
「『居るけど忙しいから会えません』なんて言うと角が立つでしょ。かと言って、訪ねてくる全員には会えないでしょ。
だからそう言う決まりなんだって」
「変なマナー」
メイド姿でヒミカについて回るメルティアは、首を傾げて溜息交じりだ。
上流階級のお付き合いは、絡まった毛糸のように複雑なルールと、建前に支配されている。それは上品さを保つため己に嵌める枷なのか、それとも無粋な下層民を追い返すための高慢な防壁なのか。
どうあれ今は、郷に入っては郷に従うしかない。
やっていることは結局、飛び込み営業のようなものだ。
ルールで縛られたもどかしい世界と言えど、相手は人だ。動かす望みはきっとあるはず。
「こういう地味ーな営業活動、もっとやるべきだったのかなあ、私」
慣れない外出用ドレスで街を歩きつつ、ヒミカはふと思う。
「何の話?」
「前世って言うか、その頃の話。
……ワインの瓶にはラベルを貼らなきゃ、ってカノンさんに言われて、すごい腑に落ちたのよね。私、なんかそういうの……邪道ってか、寄り道ってか、本質から外れてると思って、避けてたから……」
ヒミカはダイエット配信者だった。
昔々あるところに、ふくよかなOLがおりました。ある時同僚のイケメンに告ってフラれて、諸々あってオフィスに居場所がなくなりました。そして執念のダイエットを始めたのです。なお、ダイエットが終わる頃には、件の男のことはどうでも良くなっていた模様。
ダイエットの半ば辺りで、独り黙々と空腹に堪えて筋トレするのが辛くなり、ふと思い立って配信を始めてみたところ、それなりの収入になる程度の人気を得た。
ちょうど仕事も辞めていたし、成り行きで専業配信者になったと言えよう。だがその先で苦労した。
今にして思えば、宣伝のノウハウも何も無く、成り行きで初めたのにそれなりにやれていたのだから、向いていたし素養もあったのだろう。勿体ない。ヒミカはそれをドブに捨てた。
真面目ではあったつもりだ。だがボディメイクに時間を割いたり、資格の勉強をしたり、配信で披露するダイエットメニューを考えるより、SNSでバズりを狙う方が正しい場合もあったのかも知れない。それは『ラベルを貼る』ことだ。
「あ、えっと、つまりね。商売してたけど、宣伝を熱心にやらなかったって話よ」
「それだと売れないんじゃない?」
「……そうよね。
こう、話纏めると当然な気がしてきたわ……」
要約が本質を言い当てるとは限らないが、おそらくそこには、一面での真実が存在した。
「さあ、次行きましょ。
これからこれから!」
ヒミカは気持ちを切り替えた。
まともに生きている限り、生きた時間に比例して後悔は増えていくものだ。幸いにも、今ヒミカには、後悔を塗り返す機会が与えられていた。
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