<26> こうかい

 船の客室部分と、それ以外は、厳格に区画が分けられている。

 泥臭い部分、油臭い部分を、貴人に見せてはならぬのだ。公爵家の船たれば、船の設計段階から徹底されているだろう。


 逆に言えば、客室周りを封じてしまえば、船の狭い領域に乗客を閉じ込めて動けぬようにもできるということ。


「通してください!」


 船員が客室通路に出入りするための扉の前には、公爵家の衛兵が立っていた。

 門番の如く。……いや、実際に門番なのだろう。

 海賊や海の魔物が乗り込んできたときに打ち払うため、王侯貴族の船に衛兵が乗り込むのは、決しておかしなことではないが、彼の仕事は違うようだ。


「こちらでは船員が立ち働いております。

 どうかお邪魔をなさらないでください」

「船が東へ進んでます! 私たちは王都へ向かうんです!」

「私にそうおっしゃられましても、船の行く先を決めるのは船長ですので」

「なら船長に会わせてください!」


 フワレが何を言おうとも、鉄面皮の衛兵は立ち塞がり、一歩も動かぬ。

 押してすかして言葉を変えても、一歩も動かぬ。


「シィッ!」


 ヒミカは前触れ無く、脇の壁を殴った。

 すごい音がして、美しく白く塗られた壁に、ヒミカの鉄拳の形に穴が空いた。

 これにはフワレも衛兵も、目を丸くして身を縮める。


「船底と、あんたの顔。

 どっちに穴空けられたい?」

「む、ムチャクチャだ!

 どちらも御免だ!」

「だったら船長のとこに案内しな!」

「はいいっ!」


 世の中には、暴力で解決してはならぬ事象が数多く存在する。

 しかし暴力は多くのことを解決するのだった。

 今回ばかりは暴力で解決しても、正義にはもとらぬだろうとヒミカは思った。


 船橋ブリツジや船長室は、客室のある場所からさして離れてもいなかった。

 どこも見晴らしが重要だし、船長ともなれば公爵様と晩餐を共にすることもある身分だろう。

 ソーセージを丸めたような巻き髪カツラの船長は、海図を広げて日誌に何やら書き留めていたところ。ノックも無しに乗り込んできたヒミカを見て、見下したような薄笑いを浮かべた。それが事態の全てを物語っていた。


「これは。いかが致しました?

 航海中は忙しいものでしてね。船が沈んだり、高濃度茶漬け汚染海域に迷い込まぬよう、私に仕事をさせて頂きたい」

「私たちは王都へ行くんです」

「左様。この船は王都に向かっておりますとも。

 到着は二ヶ月後。それまで、船はジャメルス内海に留まります。

 平和節のお祭りが終わり、勇者選定の儀が行われる頃、お二方を王都へお連れ致します」

「……はぁあ!?」


 ヒミカの喉から、裏返った声が出た。

 どうせ、あの王様は何かくだらないことを企んでいるだろうとは思った。だがそれがこんなに早く、露骨な形でやってくるとは思わなかった。甘かったと言うべきだろう。

 なにしろここで王都に戻れなければ、ヒミカの計画が全て台無しになる。


「こんの腐れ外道。

 今すぐ船倉の食料を食い尽くして、チートパワーで王都までバタフライで帰ってやってもいいんだぞ?」

「ヒミカさん、落ち着いて。流石に遠すぎます」


 フワレがヒミカをなだめた。

 そう。無理だ。ヒミカのチートとて、海を割って道を作り、エジプトを出ることはできぬ。

 海の上に出てしまったということは、自分の足で無理やり王都に帰るのも無理ということだ。地上に居るのとは訳が違う。


 思えば街道が塞がったという話も本当か分からぬ。封鎖するのも復旧するのも公爵家だ。

 何故公爵家の船に乗ったか。何故警戒しなかった。

 驕りだ。自分は強くなった、公爵家なにするものぞ、つまらぬ事を考えるなら蹴散らしてくれようと。相手は馬鹿で、自分が状況をコントロールできていると。

 ヒミカは悔いた。燃えるように悔やんだ。そして後悔とは、手遅れになってからするから悔なのだ。


「ご不満とあらば、私を殺しますか?

 その後、あなたに船を操る技術があるとは思えませんがね。

 あなた方が陸の上で如何に強くとも、今は私が命綱を握っているのだと、どうかご理解ください」


 船長は皮肉に嫌らしく笑った。


 ――肝が据わってやがる。脅しにも暴力にも屈しない忠臣を用意したって訳ね。


 この船長はおそらく、公爵家の忠臣だ。

 公爵家が正義か悪かも問わず、この世の果てまで付き従う忠臣だろう。彼の笑いはランバルドの笑い。そして彼は己の役割を果たすためなら、悔いなく死ぬのだろう。

 そうと察してヒミカはもう、立ちすくんだ。できることが無い。


「了解しました。

 航海の間、どうかよろしくお願いします。

 お騒がせ致しました」


 フワレは船長に向かって、折り目正しく、礼をした。


 * * *


 二人は船室に戻っていた。


「いくらなんでも、こんな騙し討ちはおかしいです」

「じゃあ、どうして何も言わなかったの!」

「……今、無理やり王都に帰ったところで、事態は好転するでしょうか?」


 八つ当たりじみたヒミカの言葉にも、フワレは冷静に応じる。

 だが彼も冷静かどうかは分からない。短い尻尾を足の間に巻き込んでいるではないか。追い詰められていることを感じ、警戒している証拠だった。


「私は、王宮がヒミカさんを放任し……つまり、放し飼いにしている前提で考えていました。いつでも好きなように操れる、無力なお人形だと侮って、ね。

 ですが、悪意があるから騙し、警戒しているから遠ざけたわけです。

 王宮はヒミカさんを、対処すべき脅威と認識している。これと向き合うための準備が必要です」


 ヒミカも反論は無い。

 フワレほど理屈っぽい言語化をしていないだけで、ヒミカも概ね同じ事を考えていた。

 だがそれを他人から改めて聞くと、黒い水を胸に流し込まれているように感じた。

 ヒミカたちの作戦はあくまでも、王様の計略への対策だった。向こうがどこまで先の展開を読んでいるかは不明だが、王は見事に『対策の対策』を出してきた。ではどうしようかという話だ。


「仮に……思考実験だけど。

 もし私がここで二ヶ月大人しくしてたら、どうなる?」

「まず勇者選定の儀はつつがなく終わるとして、その後ですね。

 最悪の想定をするなら、陛下は即座にヒミカさんを殺そうとするでしょう。

 今のヒミカさんなら、大抵の暗殺者には勝てるでしょうけれど……」

「流石にそんな生活は御免だわね。

 そしたら真実を宣伝して反乱でも起こすしかないかしら」

「もちろん、その暁には私も全力でヒミカさんを守ります」


 フワレは肉球を握りしめる。

 だがすぐ、無念そうに、耳をぺちょんと横に伏せた。


「……と、勇ましいことを言いたいのはやまやまですが……厳しいですね。

 私が罪人として追放・追討されれば、王国内で獣人の扱いがどうなるか。

 私は全ての同胞を人質に取られているも同然の立場なんです」

「私なんか見捨てて王宮に戻っても良いのよ?

 ……いや、ダメか。フワレちゃんは現状でも始末され掛かってるんだから私から離れた瞬間おしまいだわね。

 この案、ナシ」


 フワレは、まじまじと目を見開く(可愛い)。

 いかなる汚名を被り、無実の罪に問われようと、ヒミカ一人なら戦って生き延びることもできよう。

 だが別にヒミカ自身もそんな人生は送りたくないし、何よりフワレはどうにもならぬ。

 彼は大手を振って太陽の下を歩き、人々に認められる立場に居なければならないのだ。

 王の企みを打ち砕き、白日の下に真実を晒す。そのためにはまず、人々の信を得なければならぬのだ。


「当然でしょ?」

「……あなた様こそ、真の勇者です……」


 フワレはヒミカの手を取った。

 両の肉球でヒミカの手を取って泣いた。男泣きだ。

 獣人を厭う宮中にて孤立無援。宮廷魔術師の最高位ではあるが、嫌われ者同士、豚姫様アンジェリカの世話を押しつけられて森の離宮へ遠ざけられた。

 それを彼は、己のことでもいっぱいだろうに、この世界に来て右も左も分からないヒミカを助け続けたのだ。ここでフワレを見捨てるなら人ではないとヒミカは思った。


「じゃあ脱出してどうにか、お祭りに駆けつけられないかしら」

「結局それを目指すしかなさそうですね……

 単純に、勇者選定の儀までの二ヶ月間で、国中の注目を集められそうなイベントは他にありません。

 特に、ヒミカさんの姿ことが目的となりますと」

「そう、そうなのよねー。

 テレビも存在しない世界だもの、人が集まる機会を狙わないと」


 思えば話は単純だが、それだけに難しい。

 ヒミカは長く辛いダイエットを乗り越えた。そして力と美しさを手に入れた。宝石の原石を磨くように、本来アンジェリカに備わっていたものを表に出したのだ。勇者たるに相応しいことを示す武器だ。まして、暴れん坊で豚のような醜女と噂のアンジェリカとして遂にヴェールを脱ぐのだから、国が揺らぐほどの衝撃を与えるだろう。

 だがその力も美しさも、公衆に示す機会が無ければ意味が無い。


「つまり、『走れヒミカ』ってわけね。

 ヒミカは激怒した。必ずや、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した」

「この場合泳ぐ可能性が高いのでは?」

「それだとたいやきくんになっちゃうから」

「はい?」

「……この船、救命ボートくらいあるわよね。

 それを奪って、フワレちゃんの魔法を動力にしたらどうにかならない?」

「私もそれを考えていました」


 地球の歴史において救命ボートは、タイタニック号の事故を転機として、乗員乗客全員分の配備を義務化された。

 こちらの世界でどうなのかは知らないが、仮に船が沈むとなった時、公爵様が溺れては大変だ。他の全員が死んでもそれだけはあってはならぬ。公爵家の船なら、本来ならこの客室を使うであろう公爵様が、すぐ乗れる場所に救命ボートがあるはずだ。


 まさか海のど真ん中で、救命ボート一つを頼りに逃げ出すとは船長も思うまい。言ってしまってから、そういえば無茶かもなとヒミカは思った。

 だがもはや、二人の阿吽の呼吸で、行く道は決まった。他に道が無いのなら、どんな道だろうと躊躇わずに進むだけだ。


「直接王国に戻るのは得策でないと思います。

 一旦、セラニア王国の手が及ばないヴェルダンテ公王国へ参りましょう。

 ……私の友人がおります。助力を得られればよいのですが」


 フワレは、壁に貼られた地図を指差す。

 内海を中心に置き、沿岸の地形を描写したものだ。

 セラニア王国の隣には、ヴェルダンテ公王国が存在する。いずれもこの世界の主要国家『始まりの七王家』の一つ。そして、次期勇者に内定した勇者候補の姫がいる国でもあった。


 * * *


 その日の深夜、二人は船を抜け出した。


 見張りは夜も休まず立っていたが、フワレが魔法で眠らせた。

 他の者が異常に気づく頃には、二人は遙か彼方だ。


 救命ボートのすぐ下には、急激な流れが生まれていた。

 フワレが魔法で水を操っているのだ。

 救命ボートは月夜の海を、風を切って進んでいく。あの船は、いくら高速船と言っても、乗員だけで二十人はくだらない、相応の図体を持つ船だ。それが魔法で運ばれるボートには追いつけないだろう。


 やがて船も見えなくなって、暗く静かな海の上をボートは滑り進んだ。

 だがその中に、何か別のニオイが混じり始めた。


「……めっちゃ、お茶のニオイする」

「この辺りは既に茶漬け汚染領域ですね。先日の抹茶タンカー沈没の影響です」

「実在したのね……茶漬け汚染……」


 闇の中、月と星の明かりだけを頼りに進んでいるのでよく分からないが、おそらく海面は緑色に濁っていることだろう。


「一応、防茶マスクを」


 救命ボートには、医薬品や保存食を収めたバッグが備えられていた。

 その中にはガスマスクの如き形の『防茶マスク』が含まれていた。どういう理屈で何を防ぐのか一瞬気になったが、ヒミカは考えるのをやめた。


 尻の下が、ざわりと、震えた。


「ん?」


 最初ヒミカは、気のせいかと思った。

 しかし、やはり、気のせいではない。

 地震の前兆みたいな震えが、茶漬け汚染された海面を通して、船に伝わってくる。


「ねえ、フワレちゃん……」


 何かおかしいと言おうとした、その時だった。


 もはや目で見ても分かるほどに海面が震え、波打ち、月の光を反射した。

 そして次の瞬間、暗い海面を突き破り、長く滑る何かが生えてきた。


「オオオオオオオオオ!!」


 耳をつんざき身も竦むほどの大咆吼が、波浪を巻き起こし夜空に響いた。


 海面に鎌首をもたげ、ヒミカたちを見下ろしたのは、見えている部分だけで10メートルはあるほどの超巨大海蛇だった。

 滴り落ちる海水に月光が反射し、まるで真珠を纏ったように輝いている。


「ナニコレ!?」

「ま、抹茶ドラゴン!?

 普段は深海で自生している抹茶を食べているはずですが!

 海面に汚染が広がったせいでここまで出て来たんです!」

「抹茶は深海に自生してねえええええ!!」


 抹茶ドラゴンは二人を見て何を思ったか。

 くるりと頭を海に潜らせると、代わりに巨大な団扇のようなヒレの付いた尾を持ち上げて、そしてそれで思い切り、海面をひっぱたいた。


「わあああああ!」


 大波がボートを飲み込んだ。

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