<11> 温野菜

 この世界で長い旅をしようとしたら、やはり、自分の足で歩くか馬を借りて乗り継ぐのがポピュラーな手段らしい。

 魔法の力で動く『自走馬車』なんてのもあるらしいが(それは果たして車と呼べるのか?)、そんな高級品を使っていては目立つことこの上ない。身を隠すための巡礼旅では使えない。


 ヒミカとしても歩き上等だ。

 ウォーキングはカロリーの消費手段としては、いまひとつ効率が悪い有酸素運動で、その分食事を減らした方がマシというのがヒミカの持論だが、職業的に一日中歩くほどなら流石に結構なカロリー消費だ。

 何より、このたるみきった肉体に基礎体力を付けようと思ったら、まずはウォーキングくらいの強度の運動から慣らしていかないとダメだろう。


 這々の体で街道を歩き、ヒミカたち一行は昼下がりに、宿場町に辿り着いた。

 宿場町は、街から街へ街道を旅するときの中継地点。なにしろ化石燃料に支配されているどこかの惑星とは事情が違うので、移動手段がのろい。朝に街を出て街道を歩いても、夕方までに次の街へ辿り着けるとは限らないのだ。そのため街道上で宿を取る必要が出てくる。


 休むには少し早い時間だったがヒミカの歩く速度も考慮し、今日はここで宿を取ることになった。

 そして一行は宿の一階にある酒場兼食堂で、少し遅めの昼食を取っていた。


「うえええ、ちょっ、なにこれ」

「ニンジン」

「それは分かるけど!」

「あとブロッコリー」

「それも分かるけど!」


 ヒミカが注文して出してもらったのは、ただ茹でただけのニンジンとブロッコリーだ。

 ワイルドに塩だけ振ってかぶりつくと、地獄の青臭さが口いっぱいに広がった。


「……うっげぇ、ゲロ苦……」

「そりゃそうでしょ」


 メルティアは、信じられないという顔をして見ていた。

 ヒミカもその気持ちは分かる。とにかく信じられないくらい苦い。子どもはもちろん、大人だって、青臭さを消す入念な調理無しでこれを食べたいとは思わないだろう。


 ――品種改良の力……


 日本で普段何気なく食べていた野菜が、どれほど『不自然』だったか、ヒミカは思い知る。自然ってやつは基本的に、人に優しくない。それを飼い慣らしてきたのが人類史なのだ。


「携帯食にはしにくいけど、街に居る間はなるべく野菜食べる方針で行くわ……」

「それ、なんていう拷問?」


 ヒミカは頭の中でソロバンを弾き、必要な栄養素の計算に集中することで、口の中の吐きそうな青臭さを忘れようと努力していた。

 この世界にビタミンのサプリメントなんて便利なものは存在せず、旅の空で持ち歩ける食料は限られている。なれば、野菜は食えるときに食うべきなのだ。もちろん、輸送や保存技術も地球とは格が違うのだから、街に居ても欲しい野菜が都合良く手に入るとは限らないわけだが……


「旅の途中で野菜が食べたいなら、市場で漬物ピクルスなど探してはいかがです?」

「ダイエットのためなんですよね。多少なら私の収納魔法で持って行けますよ」

「うう……ありがとうございます」


 セラとフワレの気遣いが身にしみる。

 なるほど、確かに不自由はあるが、この世界にはこの世界でのやり方がありそうだ。


 ――旅のせいで栄養バランスが多少悪くなるのは仕方ないか。どうせ身体のバランスは、一日二日の食事で改善しないかわり、逆に即座に悪化もしない。

 それよりまずは、毎日のカロリーコントロールとPFCバランスを考えよう。


「あとはパンがこれくらいかな……」


 自分の分として渡された、牛をキャトりに来たUFOみたいなゴツいパンを、ヒミカは四分の一まで切り分けた。地球は守られた。


「これっぽっちしか食べないの!?」

「大丈夫、大雑把だけどちゃんとカロリー計算してるから」

「まるで修行食じゃない……」

「これでも一日中歩く前提で、ちょっと盛ってるの。大丈夫そうなら今後減らす予定」

「本当に大丈夫ぅ?」


 メルティアは酷く心配そうだ。

 彼女の感覚からは信じられないほど少ない食事量らしい。


「……と言うか皆さん、結構食べてらっしゃる?」


 むしろヒミカは、他三名の食べっぷりに驚いたほどだ。

 岩みたいに堅い焼きベーコンを摘まみながら、UFOみたいな巨大パンを平然と食っている。セラさえもそうだ。


「いい時代になったもんですよ。

 私が子どもの頃は、まだ世界全体が貧しくってねえ。

 今はもう、誰でもお腹いっぱい食べられるんですから」

「魔王討伐の度に、人族は版図を広げてきたの。

 最初の勇者の時代には『はじまりの七王家』だったけど、今じゃ四十個くらい国があるもん」

「んだね。特に変わったのは、50年前の第四次征伐の後からだよ」


 少しの肉と、大量のパン。

 パンに付けるのは材料不明の甘いペーストか、脂身を挽きつぶしたような塩辛い何か。

 金を払えばもっと色々と食べられるだろうが、これが『普段の食事』なのだ。

 ケチっているわけではない。ごちそうではないが、文句を付けるほどでもないメシというわけだ。セラもメルティアも、メニューに疑問を抱かず食べている。


 ――豊かとは言えないか。実質的にはジャンクフード。低価格高カロリーの食事で、貧困層ほど病的な肥満になる。


 当然、飢えるよりはマシだ。

 だがこの世界は、おそらく、産業革命的な急発展にが追いついていない。『お腹いっぱいになれば大丈夫』という以上の知見がまだ一般に広まっていないのだ。

 お宮の豪華な食事とて、問題は同根だろう……美味しいものを、満足いくまで。以上。

 それでは健康になれない。


 ――そうか、『健康』って食品を売る上での大きな付加価値だったんだ。

   食べ物で健康になるっていう発想が無いと、世間が豊かでも健康食は流通しない……なるほど、これは難儀しそうだわ。


 ダイエットは考えていた以上に難しそうだと思う一方で、ヒミカの場合、そこにある物なら手に入る。

 幸い、お小遣いは王宮から持たされているのだ……宝石が買える程度には。


「今後、一箇所に留まることはなるべく避けて、街から街へ回ります。

 行く先々の神殿を通して、王宮からの支援を受けることになりますね。

 快適とはいきませんが、不自由無き巡礼をお約束しますよ」

「じゃあ、支援物資に野菜が多いと嬉しいなあ、なんて……」

「私、お菓子がいい! あとお魚!」


 メルティアがすかさず口を挟んだ。

 菓子は貴重品だ。ダイエットの敵である故、今のヒミカには無用の長物だが。もし本当に貰ったら、全部メルにあげようとヒミカは考えていた。


「……そうだ。少し寄り道になりますが、次の街へ行く前に、近くの農村に寄ってみましょうか? 野菜なら安く手に入ると思いますよ」

「なるほど、お願いします。

 ……さてと」


 クソ苦い温野菜をどうにか片付けて、ヒミカは立ち上がる。


 ヒミカの歩く速度を考慮して、今日は早めに宿を取ったが、こんな時間から宿場町の宿に入る人は少ない。

 がらんとした食堂には、四人の他に誰も居なかった。


 夜になれば酒も出すようで、壁際には酒樽が積まれている。

 こいつに蛇口を突き刺して、中身を杯に注ぐのだ。


 ヒミカはおもむろに、未開封の樽に手を掛け、持ち上げた。


「何キロか知らないけど、今日の記録は、タルひとつ」

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