<10> 巡礼団

 異世界の空は青かった。

 丘の上から見渡せば、遙か遠くの山と森で視界が遮られるまで、見渡す限り緑なす野原。

 そして、その真ん中をひょろひょろと、どこまでも街道が続いていく。


「ヒミカさーん!

 こっち、早く早くー!」

「ま、待っで…………」


 禁欲的な黒い修道服の少女が、ぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振ってヒミカを呼んだ。

 少女はエベレストに登頂できそうな大荷物を背負っているのに、まるで月面に居るかのように、万有引力に反した元気さだ。


 それをヒミカはナメクジの如き歩みで追いかける。

 その辺で拾った丁度いい棒(二代目。初代はさっき折れた)を杖にして、どうにか足を引きずって歩む。

 野原を渡る初夏の風は心地よいはずだが、運動するデブには暑すぎる。ヒミカは既に汗だくだった。


「身体重すぎっ……足腰弱すぎっ……

 ぎ、ぎづい…………」


 まだ歩き始めてから大した時間は経っていない。

 丘の上から振り返れば、離宮を抱く王家の森が見えるだろう。

 だがヒミカにはもはや、振り返ってそれを眺めるだけの元気すら無かった。


「アンジェリカ姫って……アベンジャーズじゃなかったの……」

「普段から四六時中食べ続けて、異能の力で身体を維持しておりましたので……」

「ぐぞう、やっぱりそういうことかぁっ」


 ヒミカも黒のシスター装束姿だった。

 ゆったりしていて着やすく、動きやすいものではあるのだが、ヴェールが思ったより暑苦しい。

 と言うかそもそも自分はこちらの世界に来たばかりで、こっちの信仰も神もよく知らないのだが、そんな自分がシスター姿でいいのだろうか。これは実質コスプレではないかと、現実逃避的な思索が頭の中をぐるぐるしていた。


「これじゃ先が思いやられますよ」

「大丈夫、ですっ。

 今はキツいですが、平気になるまで、鍛えますっ!」


 隣を歩く老シスターは、全く平気な顔だった。

 お年寄りに体力面で気遣われるのは、若者として忸怩たる想いがあるのだが、きついものは仕方が無い。

 この肉体、チートパワーはともかくとして、やはり素の体力が足りない。

 そして何より身体が重すぎて、ただ歩くだけでも恐ろしく体力を消耗するのだ。


 もっとも、それも悪いことばかりではないと、ヒミカはポジティブに考えていた。

 体重が重いということは即ち、ただ生きているだけでウェイトトレーニングになるようなものだ。

 身体はその重さに合わせて筋肉を発達させていく。

 然る後、筋肉を上手く残して痩せられれば、デブの体重を支えられるほどのむちむち筋肉を持ったスリムな体型ができあがる……

 現実にそこまで上手くいくかはともかくとして、机上の空論には夢があるものだ。


「まあでも、今は少し休みましょう。

 メル、休憩の準備を」

「はぁい、セラさん」


 老シスター・セラが休憩の合図をして、少女は背負っていた大荷物を降ろした。


 * * *


 野原を渡る初夏の風は、運動するデブには暑いが、座っているデブには心地よかった。


 一行は木陰にシートを引いて、そこで茶を沸かしていた。

 ぬるめのお茶は、天井の甘露だった。


「おおよその説明は聞いてると思いますが、あらためてここで今後についてお話ししておきましょう。

 出発がバタバタでしたからね」


 セラは一応周囲を見回し、聞き耳を立てる者が居ないか確認した。

 とは言えここは野原のど真ん中。隠れて盗み聞きできそうな場所は周囲に無い。

 まあ、ハイテクスパイが光学迷彩スーツで風景に溶け込んで隠れていたり、その辺の地面に野生のニンジャが埋まっている可能性もあるが、それは置いておこう。


「昨日の件で陛下と、主立った廷臣方が対応を協議されました。

 ヒミカ様には、我ら巡礼団の一員として、しばし身を隠していただきます」


 巡礼。

 街々を巡り、神殿や聖地で祈りを捧げ、徳を積む修行形態だ。


 正確には、そういう名目で旅に出て身を隠すという話。

 この世界で巡礼の者は、そう珍しくもないらしい。石を投げれば当たるほど巡礼者がいるのなら、なるほど確かに、紛れて隠れられる。


 森の離宮に忍び込み、一番デカい奴を探せば、それがヒミカなのだ。すぐ分かる。

 だったら巡礼者に扮して旅でもしている方が見つかりにくい、ということだろう。


「私たちは金……あー、徳を高める修行として、諸国を巡る巡礼団。

 私は己の巡礼は既に終えておりますが、金……えー、後進たちを指導せんと、巡礼を率いています」

「目的は大変よく分かりました」


 老シスター・セラは、『そういう』巡礼者を預かり、巡礼団として率いるのが生業らしかった。

 セラニア王国が裏の仕事をカネで押しつけるフリーランスというわけだ。なるほど、この背筋が伸びた老婆は、煮ても焼いても食えない顔をしている。


「殿下のご逝去は国家機密です。秘密を守る者しかヒミカ様の身辺警護に当てられませんが、それでは警備として無意味だという結論になったようです。

 そこで、街から街へ渡り歩く方向に切り替えたわけですね」

「闇の組織を1ダース相手にするのに、これで隠れられるのかな」

「彼らとて、大抵の場合は人の目を借りて標的を追いかけるんです。

 人混みに紛れて監視し、多くの人の目撃情報から敵がこちらを追跡できる街中より、街道の方が安全なんですよ」


 フワレが抹茶を継ぎ足しながら言う。

 彼も同行者だ。アンジェリカ……つまりヒミカの、お目付役というか、お付きというか、護衛というか、その他諸々として。


 巡礼団一行は、別口でセラが預かっている少女・メルティアも加えて、都合四人となる。


「……私は王国に協力しており、陛下の信頼もある身ですがね。

 貴族でも役人でもないですので、ここは少し本音を言いましょう」


 ぬるめの緑茶を一息に飲み干し、セラは皺の奥の目を、炯々、光らせる。


「腐ってやがりますね。

 人ってものをなんだと思ってるんでしょう。

 まして自国民でさえない、無関係のヒミカさんを巻き込んで悪びれもしないなんて」


 研がれた刃物のように鋭く澄んだ声で、セラはぴしゃりと言い切った。

 ヒミカには、面食らうほどの真っ当なご意見に思われた。

 弱冠一名のコーギーを除いて、この世界は誰も彼もおかしいと思っていたのに、お偉い王様でも騎士様でもなく、彼らに金で雇われた非合法くさい仕事人が、こう言ってくれるとは。


「ありがとうございます。

 そう言ってもらえるだけでも、救われます」

「訳ありの令嬢なぞ、幾度もお預かりしてきましたが、ここまでの訳ありは初めてですよ」

「でしょうね……」


 もはや笑うしかなかったし、むしろ笑ってほしかった。


「でも私、このままやりたい放題されて終わる気はありませんので」


 ヒミカは決意を固めていた。

 必ずや、運命にビンタをくれてやると。

 ……異能の浪費によって、緩慢な自殺をしたとも言える、アンジェリカの分まで。


「いいですね。若者は元気がなくちゃ」


 セラはにんまり、凄みのある笑顔を浮かべていた。


 *


 一方その頃。

 セラニア王国の宮殿では悪巧みが進行していた。


「邪教徒どもの動向は?」

「現状、目立った動きは確認できません。

 次元獣保存会は昨日の失敗で混乱中のようです」

「次元獣保存会など、単なる愚か者のサロンに過ぎん。

 だが問題は、あれのごとき小物にすら、手出しを許したことだな」

「はっ……不徳の致すところにございます」


 鷲髭の王は、敵対者にも家臣にも、一切の容赦が無い。

 とは言え、方向性はともかくとして、国を滞りなく動かす能力には長けた王なのだ。

 常に最高速度の馬車があったとしよう。一緒に乗れれば無上の幸運、そうでない者は脇に避けるしか無い。避け損なったり、愚かにも立ち塞がったらどうなるかという話だ。


 天窓より祝福の光が差し込む、玉座の間。

 ミロス王に向かって跪くのは、ヒミカの『訓練』の相手を務めた騎士だった。


 セラニア王国、征魔騎士団長、ランバルド。

 つまり今後、魔王と戦うために編成される軍の長となる者だ。

 魔王討伐に関わる外縁事項も彼の担当となる。『アンジェリカ』に関わる諸々も。

 ミロス王と緊密に連携し、彼は策謀を動かしていた。


「かの巡礼団に任せれば間違いは無かろうが、念には念を入れろ。

 彼女らの進路を掃き清めるように、敵の動向を探り、排除するのだ。

 なんとしても選定の儀まで、あの娘の命を守れ」

「はっ」

「だが、だ。

 勇者選定の儀が済み次第、あの娘は奴らにくれてやる。

 その方が面倒が無くて良い」


 王の言葉に驚いて、思わずランバルドは面を上げる。


「よろしいのですか?

 邪教徒や犯罪組織の跳梁を許し、殿下を殺害されたとなれば、陛下のご威光に傷が付くやも……」

「アンジェリカは民からも煙たがられておっただろう。

 『魔物の侵攻を阻むため戦って果てた』とでも宣伝してやれば、それ以上事情を詮索しようとする者はおるまいて。

 貴様らは、その支度をしておれ」

「はっ」


 異論は無い。

 無理筋に思えても、一貫した方針を以て勢いよく対処する方が結果的に問題無く終わるのだと、ランバルドはミロス王のやり方を見て心得ている。


 元よりランバルドは、傍腹の娘でありながら何を思い上がっているのか、国事にさえ顔を出さぬ身勝手な豚姫アンジェリカを酷く嫌っていた。まして今はなかみさえ替え玉の別人で、しかもそれが反抗的で身の程をわきまえない愚か者なのだから、そいつが無様に謀殺されると思うと胸のすく話だ。

 必要なら気に入らない仕事もするべきだとランバルドは確信しているが、ランバルドにとってこれは、気乗りする仕事だった。


「それと、あの『賢者』もな。

 半獣どもへの義理から、奴に『賢者』の位をつかわしたが、穢れた犬畜生が宮殿をうろつくのはもう我慢ならん。

 あの娘共々、上手く死ぬように仕向けろ。こちらは選定の儀まで待たずとも良い。二度と宮殿の門をくぐらせるな」

「はっ……」


 公爵家嫡男たるランバルドは、魔王討伐を以て家督を継ぎ、重臣としてセラニア王国の舵取りをする一人になるだろう。

 征魔騎士団長としての仕事は、ランバルドにとって最初の大仕事。

 王のため、国家のため、そして己の未来のために。

 全てはつつがなく処理されるべきだし、処理できる。ランバルドはそう信じていた。

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